東海村のウラン加工施設の臨界事故から2週間が過ぎた。

 新聞、テレビの報道でいろいろ書かれているので、論評はそちらにまかせる
として、それでは我が家はどうしていたのかということに触れる。

 我が家は事故の現場からは約25キロ離れている。翌日からは全国から電話の
お見舞いがあった。一時期、電話がかからなかった時間帯があったようで、その分
余計心配をかけたようだ。 でも我が家は何事もなく平穏に暮らした。

 事故の当日夕方、妻の博子は国道6号線を車で通って家に帰ってきた。警察官が
いっぱいいて、大きな交通事故かなと思ったという。 その夜、通行止めになり、
翌日は外出を差し控えるということになった。

 外出差し控えの10KMというのはどんな根拠だろうか。なにか大きい事故があっ
たとき、すぐに被害が及ぶおよその地域ということか。そういえば原爆は中心から10
KMの被害が大きかったな。

 自分自身で一番の違いは、いままでは放射能の一言で片付けていた認識が、
「放射線」、「放射性ちり」、「放射能」、「人工放射性核種」など、厳密に区別され
はじめたこと、 「シーベルト」などの新しい単位の認識、そしてストロンチウム91、
セシウム137、ナトリウム24、ヨウ素131、ヨウ素133などの放射性物質の名前を
知ったことなどだ。

 そういえば日立市は電気料金が毎年いくらか還元されている。これは東海村に
原子力発電所があるための「ご迷惑料」なんだなとようやく気がついた。

 内藤家で使っている逆浸透膜を利用した浄水器は、放射性物質はストップして
しまうので、安全なのだということ。やれやれ一安心だ。
(99.10.15)

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