今年も我家の小さな池に春がやってきた。 池といっても1メートル四方、深さ60センチくらいのプラスチックの池である。この池にもう20年以上「緋メダカ」を飼っている。飼っているといっても餌を与えているわけではないので、飼っているより、野放しにしているといった方があたっている。 それでも庭に出たときは、メダカの状態を見てやっているので、気にしていることは確かだ。今年も気温が上がってきて、冬の間は池の底のほうにいたメダカ達が水面近くで泳ぐようになった。数えてみると15匹ほどいる。そのうち10匹ばかりは昨年の秋に生まれたものらしくまだ小さい。昨年目視で確認したときは6匹ほどだったので、見逃したのかも知れない。 家を建てて池を作ったとき、10匹ばかり金魚屋さんで買った。最初の頃は、餌を与えたり、卵を取り出して、孵化させ、少し大きくなったころに池に返してあげたりをしていた。 たしかにメダカの数はどんどん増えて、一時は100匹を越えた。しかし冬を越すと20匹前後になってしまう。ということは池の大きさに適当な数があることに気がついた。 それ以後はもっぱら放置を決めこんだ。 毎年観察をしていると、卵が孵化して大きくなるメダカの数は、越年したメダカの数が少ないと多くなり、越年のメダカの数が多いと、卵はメダカの餌になってしまって、孵化するメダカは少なくなる。メダカの総数がほとんど一定に保たれているということになる。メダカとしては、餌をあたえるなんて余分なことはしてくれるなといいたいのだろう。 メダカの一生は1年または2年と思われるので、我家のメダカはもう10数代、近親結婚で続いている。言いかえれば血統書つきともいえる。メダカ達は今さかんに泳ぎ回っている。その生命力の強さ、立派である。メダカの伝統?が脈々と引き継がれている。 地球も人間、生物が自然に住める適当な数があるのだろう。今人間だけが、他の生物の資産を食い荒して数が増えている。このような状態をいつまで続けられるだろうか。 メダカを見て、考え込んでしまう。 (1999.4.12) |