2000/10/21update

第3回公明党全国大会 運動方針(案)


T 二十一世紀を迎えるに当たって

一、 危機克服へ、既成の価値観や制度の問い直しが急務

 新しい世紀が幕を開けようとしています。二十世紀から二十一世紀へ、この歴史の大きな節目にあって、公明党は、日本の政権与党として新しい世紀の扉を開きゆく重責を担っています。果たして、二十一世紀を「人間の世紀」「希望の世紀」とすることができるか。世界と日本が一つに結びあい巨大な分岐点を迎えている今、私たちは、新世紀に向けて大いなる胸の高鳴りを抑えることができません。
「戦争と革命の世紀」と言われた二十世紀において、人類は二度にわたる世界大戦とイデオロギー対立による冷戦を経験しました。まさに、二十世紀は、「国家」または「イデオロギー」の名のもとに、人間が犠牲になった時代であったと言わざるを得ません。人類は二度とその轍(てつ)を踏んではなりません。
 戦後世界を東西に分断してきた象徴である「ベルリンの壁」が崩壊して十年たちました。しかし、冷戦が終結した後も、民族対立、宗教対立による地域紛争は後を絶たず、難民の増加、テロ、核拡散の危機など、世界の平和を脅かす危機は依然として存在しています。IT(情報技術)に代表される科学技術の進歩は、「人」「もの」「カネ」「情報」が国境を超えて動くボーダレス化を進め、世界の経済活動は急激にスピードと広がりを増していますが、そうした中で、優勝劣敗、勝者と敗者の格差が著しく拡大し、新たな混乱要因を生んでいるのも事実です。そして、市場と国家、市場と新しい秩序の模索という問題が生じています。また、大量生産は大量消費を招き、資源の枯渇、地球環境の破壊は、一段と深刻化しています。
 二十一世紀を眼前にして、日本が直面している危機も極めて深刻なものがあります。ここ数年、経済危機、金融危機、雇用危機、年金危機、教育の危機、精神の危機、環境・生態系の危機……等々、挙げればきりがないほど「危機」が語られてきました。私たちは、かつてこれほどまでに「危機」という言葉がはんらんしている時を経験したことはありません。IT革命の衝撃波は、日本社会の激変を不可避のものとしています。IT革命の進展によって、どのような社会が現出するのか。その期待と不安は、日に日に膨れ上がっています。また、年金・医療・介護は大丈夫なのか、国民は、少子・高齢化の進展に伴い、社会保障の将来に対しても強い不安感を抱いています。更に、生命科学の進歩は、生命倫理の危機という極めて根源的な問題を提起しています。
 私たちが今、何よりも直視しなければならないのは、社会を、人々の生活を根本から揺るがす、これらの切迫した危機を克服するための道筋がいまだはっきりと見えていないということです。そして何よりも、解決の手立てを講ずべき政治がこれに応(こた)えきれないことへのいらだち、焦燥感、閉塞感となって列島全体を覆っているという事実であります。危機克服への道筋と将来ビジョンを示し、国民に希望と安心を与えることが政治に課せられた責務であるとすれば、まさに政治は今、重大な試練に立たされているといわなければなりません。
 危機克服のために、政治は今、何をなすべきか。国民が政治に求めているのは、危機を打開するためのビジョン・政策であり、それを実現できる政治的リーダーシップにほかなりません。時代の変化に適応できなくなった既成の理念、価値観、原理、原則、制度などを問い直し、先見性を持って迅速に政策を打ち出し、果断に実行していくリーダーシップの確立こそ、わが国政治の喫緊の課題です。公明党が、連立政権に参加したのも、まさにそのためであります。
 かつてない長期不況、先進国の中で最も速いスピードで進む少子・高齢化、年金・医療・介護など社会保障システムへの不安、学級崩壊にまで至っている教育の荒廃、人類の生存を脅かす環境問題をはじめ、どれをとっても問題解決には構造的改革が不可欠です。旧来の保守政治に見られた、いわゆる利益配分型、利害調整型の手法では、もはや危機克服は不可能どころか、その転換こそが急務です。同時に、「反対のための反対」に象徴される無責任な政治や旧態依然のイデオロギー優先のネガティブ・キャンペーン型政治にも構造改革を断行する力はあり得ません。改革への強い意志と新しい時代をリードする新しい理念を共有したリーダーシップが、今、何よりも求められているのです。


二、 中道主義=人間主義こそ新時代をリードする理念
 
 私たちは、公明党が掲げてきた「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義」「ヒューマニズムの政治」という中道主義の政治こそ、二十一世紀に向けて政治の基軸に据えられるべきものであり、それが国民の求める「政治の質」であると確信いたします。
 時代は、イデオロギー優先型や経済的価値を至上視するのでなく人間自身に最大価値を置く人間主義へと求心力を強めています。いかなるイデオロギーも、国家も、制度や体制も、すべては生きた人間に奉仕してこそ初めて意味を持ちます。本来、人間に奉仕すべきイデオロギーや国家が絶対視され、人間を手段視することは、甚だしい本末転倒であります。「ベルリンの壁」崩壊に象徴される十年前の東欧革命は、この甚だしい本末転倒に対する「民衆の反乱」「異議申し立て」であったといえます。
 私たちの標榜する中道主義は、生命の尊厳、人間性尊重の哲学に立脚しています。それは、「中道革新の指標は、人間主義であり、総体主義であり、漸進主義であり、平和主義である」(「政治理念としての中道革新」一九七二年四月)、また「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義」(「九〇年代における公明党の指標」一九九〇年十一月)という深い思想性を持っています。
 二十一世紀日本の構造改革を断行するには、どのような政治・経済・社会を目指すのかという哲学が必要です。ちなみに、八〇年代以降におけるレーガン米大統領やサッチャー英首相等による構造改革には、改革への意思とそれを支える哲学があったと指摘されています。哲学なき改革は、一時しのぎ、場当たり的な改革とならざるを得ません。
 公明党が連立政権に参加して一年が経過しました。政治の安定と改革を目指す保守・中道政権のもとで、日本の政治の中に人間主義、中道政治の流れがしだいに強まりつつあります。連立参加から一年、いよいよ公明党の本領発揮の時を迎えています。二十一世紀を迎えるに当たり、私たちは、「公明党の掲げる人間主義こそ新しい時代をリードしゆく最も新鮮な理念である」「時代は生命を至高とする人間主義の中道政治を希求している」との大いなる確信に立ち、二十一世紀を「希望の世紀」とするため、内外の重要課題に対し、真正面から挑戦してまいります。

 

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