日本の財政は今、かつてない「危機」に直面している。  住宅専門金融会社(住専)の損失処理のために、国民の税金から6850億円を支出することに大きな反対の声が起こったにもかかわらず、政府は小手先の修正だけで、予算案を成立させた。  しかし、本年度予算案では、返済の裏付けがない赤字国債を過去最大に発行するなど、財政の「借金澄け体質」が一段と鮮明になっっている。国の台所が火の車になれば、経済の基盤を揺るがし、急速に進む超高齢化の中で、国民に重い負担がのしかかってくる。  ここでは、財政を圧迫する巨額の国債残高(借金)、国際的に見た財政赤字の状況、急務を要する旧国鉄債務の処理、深刻な地方財政の実態、特に茨城県の財政状況、・・・などの観点から、「借金大国・日本」の現状と課題を検証するとともに、財政再建への道筋を皆さんと共に考えていきたい。 借金返済にまた借金・・・日本は、まさに「サラ金」国家  1996年度の政府予算案が総額75兆1049億円なのに、年度末の国債残高はその3倍を上回る241兆円に達し、日本の財政はパンク寸前である。  しかし、これを国民一人当たりの生活に置き換えてみると、わが国財政の実態を理解していただくことができるだろう。  昨年10月の国勢調査速報値の人ロ(1億2556万2504人)で換算すると、国民一人当たりの予算額は約60万円弱。この収入のうち、給料に当たる税収はおよそ41万円で全体の三分の二にすぎない。残りは、若干のパート(税外)収入に、16万7千円の借金(=国債)で賄っているのだ。 支出(歳出)面を見ても、ローン返済(=国債費)が、医療費や生命保健などの保健衛生費(=社会保健)修繕費(=公共事業)、教育費(=文教・科学振興)、故郷への仕送り(=地方交付税交付金)など他の項目に比べ、最も多い13万円に上っている。 国債残高241兆円は国民一人当たり192万円  何より気になる借金総額(=国債残高)については、およそ192万円に上る。つまり、60万円の収入に対して3倍以上の大赤字を抱える「火の車」状態にあるのだ。  さらに、この借金(=国債)は、普通に返済すれば着実に減っていく住宅ローンなどと異なり、収入の範囲内で返済できる額を上回り、減る見込みも少ない。このため、わが国の財政は「借金を返すために借金を重ねる『サラ金財政』」と揶揄(やゆ)されても仕方ない危機的状況に陥っていることが一目瞭(りょう)然だ。  事実、本年度予算では、返すアテもないのに過去最高の21兆円を超す国債を発行し、「火の車」の財政にさらに油を注いでいる。このうち半分強の12兆円を赤字国債が占めている。当初予算の段階から国の財源不足を穴埋めするための赤字国債を発行するのは7年ぶりのことだ。この結果、歳入を借金に頼る度合いを示す国債依存度は28%と、四分の一弱を占めるに至った。  このまま従来型の財政運営手法を続ければ、国債残高は間違いなく「雪だるま式」に膨らみ、国債の償還や利払いのための国債費の圧迫で政策的経費の余地は急速に狭められていく。  さらに、累積する国債の最大の問題点は、そのツケを将来の若い世代が負担しなければならないことだ。わが国が超高齢社会へと急スピードで突き進み、ただでさえ国民負担率の上昇が危ぐされる中で、国債発行による後世代へのツケ回しの増大は何としても避けなければならない。 裏付けない成長神話が国債累増招く  では、わが国はどうして国債という借金の山を累々と重ねてしまったのか。戦後、わが国で初めて赤字国債が発行されたのは65年度の補正予算にさかのぼる。東京オリンピック後の過剰生産不況を受けての税収不足が原因だった。その後は建設国債の発行が続いたものの、実質的マイナス成長に転落し、歳入欠陥に陥った75年度、赤字国債は再発行される。以降、15年間、わが国の財政は赤字国債依存体質を強め、70年代後半から80年代前半に一つのピ一クに達する。75年度に目安として設定した「国債依存度30%未満」も、この時期に簡単に突破してしまう。経済状態が比較的良好だったにもかかわらず赤字国債発行が増え続けたのは、公共事業などに投資すればその分、経済成長は加速するという裏付けのない過信が原因だったといえよう。赤字国債が発行されなかった時期もあるが、これは89年からの消費税導入とバブル経済による税収増のためで、根本的には財政状況は好転していない。 10年後の国債残高は現在の2倍にも  大蔵省が今年1月、国会に提出した「財政の中期展望」では、今後の歳入不足をすべて赤字国債で賄う場合、名目で年率3.5%の成長が続いても、十年後の2006年度の国債残高は482兆円と96年度に比べ倍増する、という最悪のシナリオを提示している。  また、2000年度に赤字国債発行数をゼロにしようとすれば、国の一般会計のうち国債費と地方交付税交付金を除く政策的経費を示す「一般歳出」を毎年度5%ずつカットする必要がある。ゼロ目標を2003年度にずらした場合でも、一般歳出を毎年度横ばいにしなければならない。いずれにしても苦しい財政事情には変わらないわけだ。  「財政健全化への取り組みは、もやは一刻の猶予も許される状況ではない」と大蔵省自ら認めるまでもなく、財政再建への論議は待ったなしだ。しかし、これが単なる増税のための布石であってはならない。  自社さ政権の相次ぐ経済失策による景気低迷、税収の伸び悩み、さらには大蔵省も重大な行政責任を負うべき住専(住宅金融専門会社)破たんや金融機関の巨額に上る不良債権問題などが重なり、わが国の借金財政は世界各国からも厳しい目を向けられている。 今こそ各事業の徹底的な洗い直しや、自社さ政権で腰砕け状態にある行政改革や規制緩和の断行を含め、財政構造そのものにメスを入れる取り組みが迫られている。  1996年度予算案で計上された国債発行額は約21兆円。この数値は、わが国が総額75五兆円の一般会計予算の3割近くを国債に依存する極めて深刻な赤字財政を意味している。  政府は昨年11月、赤字国債依存体質から脱却した1990年度以来、財政再建の中期目標として掲げてきた「国債依存度」(一般会計の歳入に占める国債の比率ご五%未満)の目標達成を断念した。それもそのはず、この翌月には国債依存度28%の96年度予算案が発表されることになるからだ。 日本の財政は「極めて深刻な事態」  このため、大蔵省が今年1月に発表した「財政改革を進めるに当たっての基本的考え方」には、これまで明記されていた具体的な目標数値が見当たらない。国の台所を預かる同省も、財政健全化へ「新たな目標とその実現に向けた方策について、幅広い議論を踏まえつつ、さらに検討していく」と記すので精いっぽいで、「極めて深刻な事態に立ち至ったと言わざるを得ない」と、自ら『お手上げ宣言』をしてしまっているほどだ。財政再建は、主要先進各国に共通する大きな政治的課題である。時の政権、ひいては国の行方を左右しかねない重要テーマだからだ。そう遠くない昔、わが国は、財政悪化に苦しむ諸外国と比べ、時として「優等生」的な立場にいたこともある。しかし、もはや大幅な経済成長など望むべくもなく、膨大な借金財政を抱き込んでしまった『ニッポン財政』は、果たして今でもモノがいえる立場にあるのだろうか。  国債依存度と政府長期債務残高という財政健全度を測る二つの物差しを通して、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの各国と比較対照してみよう。国債依存度は、他国に比べて極めて高い。  96年度で22%に上る日本の国債依存度はとび抜けて高い。ドイツを除く3カ国の依存度が減少しているのに対して、わが国は91年度から急激に『右上がり』に転換し、増加の一途をたどっているのが特徴的だ。  わが国の抱える借金は国債ばかりではない。これに政府が複数年度にわたって負っている郵便貯金特別会計や交付税特別会計、国有林野事業特別会計をはじめとした借入金を合わせたものを長期政府債務という。  この債務は、国内総生産(GDP)の規模と比較し、国民経済にとってどの程度の負担なのかを見ることで、国の財政状態を見極める一つの尺度になっている。<表>は、日本をはじめとした主要先進五カ国の長期政府債務残高の対GDP比である。 債務残高のGDP比は初の60%台に  96年度予算案に大量な国債発行を計上した結果、わが国の長期政府債務の残高は320兆円を突破する見込みだ。これはGDP比64.6%で、当初予算では初めて60%台を超えた。この数字は巨額の赤字財政に苦しむアメリカを抜き、五カ国の中で最悪になることは間違いない。  財政悪化が国民生活に及ぼす影響は大きい。借金体質脱却をめぐる各国との対応の違いは、そのまま政治のリーダーシップの有無として語ることもできる。  「土地や株式の売却を進め、何とか国民負担を減らしたい」。亀井運輸相は今年1月の就任会見で、旧国鉄の債務処理について、こう言ってのけた。しかし、そんな運輸相の発言を一気に吹き消すような数字が4月1日に発表された。1987年の国鉄の分割・民営化から十年目を迎え、旧国鉄から国鉄清算事業団が引き継いだ債務が過去最高の27兆5811億円にも膨れ上がったからだ。 旧国鉄の債務が27兆5811億円にも拡大  この膨大な借金は、88年の閣議決定で、「最終的に国において処理する」とされている。つまり、土地などの売却収入を差し引いた後の借金については、国民が負うことになっている。その土地処分の期限は、89年の閣議で「96年度までに終了する」と決められており、「新たな財源措置」を決めることが目前に追っている。分割・民営化された時点での国鉄債務37兆1000億円のうち、民営化されたJRが背負った分を除く25兆5000億円を清算事業団が引き継いだわけだが、この9年間で、債務総額は減るどころか、逆に2兆1000億円も膨らんでしまった。  借金返済の主力である土地の処分については、土地市況の悪化から、約9000千ヘクタールの用地のうち約3500へクタールがなお売れ残っており、資産価値も地価下落の影響で既に4兆円を切っているといわれている。株式も、バブル経済崩壊による市場の低迷で、JR東日本株がようやく上場したのが93年のこと。JR西日本株については二年連続して見送られ、売却が思うように進んでいない。 仮に、97年度に土地や株式がすべて売却できたとしても、「20兆円以上の債務が残るのは確実」(運輸省)だ。これがそのまま国民負担になるとすると、一人当たり約16万7000円となり、政府が住宅金融専門会社(住専)の処理に税金投入しようとしている5500円の国民負担と比べて約30倍、二けたも違う。 旧国鉄債務処理には、国民一人約16万7000円  清算事業団の債務残高が膨らんだのは、旧国鉄の借入金利の支払いに、土地や株式の資産売却収入が追い付かないためだ。年間約1兆3000億円に上る財政投融資金や民間金融機関の金利負担に対し、主な債務償却の資金となる土地売却収入が常に年間9000億円余以下にとどまったため、利子が売却収入を上回っており、借金が雪だるま式に膨らんでいるのだ。  つまり、債務膨張の最大の要因は、地価頼みの返済計画の甘さにある。土地を売って債務を圧縮するという当初の青写真は、柱専の再建計画と同機に、92年以降には地価下落で既に破たんしていた。にもかかわらず、債務返済計画の再検討を怠り、「問題を常に先送りしてきた政策の『失敗』に根さしている」(4・2付産経新聞)といえる。  だが、これ以上の先送りは国民負担をますます重くしてしまう。今のところ、処理策として浮上しているのは、償還財源の裏付けがない赤字国債の発行をはじめ、消費税アップ分からの充当や「新幹線利用税」の新設といった増税論などだが、いずれも国民が負担することに変わりはない。さらに、業績好調なJR東日本などJR本州三社に一部負担を求める案も検討されているが、三社も「悪代官がひどい年貢を納めさせるようなもので、許されない」(井手正敬・JR西日本社長)と猛反発しており、難航は必至だ。 このように、『待ったなし』の状況にもかかわらず、政府はいまだに処理策の本格論議を避けている。一刻も早く、「国鉄民営化当時の運輸大臣だった橋本首相は、特に責任を意識」(4・2付読売新聞)して、明確な処方せんを国民の前に示す必要がある。 国の隠れ借金16兆円  実は、こうした表面化していない国の赤字が、旧国鉄債務以外にも約16兆円もあるのだ。いわゆる「隠れ借金」である。  隠れ借金は、本来、一般会計で払うべきところを、厚生年金などの特別会計から資金を借り、特例的に支出を先送りしたりする会計上のやり繰りを指す。大蔵省は、こうした小手先の帳じり合わせで、見かけ上の歳出を減らす「粉飾予算」を組み、「財政危機」を先送りしてきたのだ。  その結果、表面化している国債残高だけでも241兆円(96年度末)に達する見通しだが、「隠れ借金」も合わせた国民の借金は278兆円の巨額に達し、国民一人当たり220万円にも上る途方もない事態を迎えている。 ついに、「隠れ借金」も隠しようがなくなり、自社さ連立政権下で武村前蔵相は「財政危機」を宣言したが、赤字国債の大量発行を安易に決めておきながら敵前逃亡し、肝心の財政再建の展望は一向に示されていない。住専処理への税金投入問題も含め、「借金財政」への流れを一気に加速させた政府・与党の「ツケ回し」体質に、国民の不信は高まる一方だ。 国債発行残高 241兆円 地方債発行残高 136兆円 国鉄清算事業団の長期債務  27兆6925億円 国民年金の国庫負担加算       948億円 地方財政対策の改革による一般会計負担   4兆7933億円 地方財政からの借り入れ   5兆4986億円 旧国鉄・国鉄清算事業団からの借り入れ     6915億円 政府管掌保健の国庫補助繰り延べ     7139億円 政府管掌保健の国庫補助棚上げ   1兆4792億円 国民年金の国庫負担分の繰り延べ     4454億円 厚生年金の国庫負担分の繰り延べ   1兆2150億円 雇用保険の国庫負担分の繰り延べ      600億円 自賠責保険からの借り入れ   1兆1200億円 合     計 421兆円 地方財政も火の車  財政の借金体質は国家ばかりではない。地方財政も、年々悪化の一途をたどり、国と変わらぬ「火の車」状態にある。  都道府県をはじめ市区町村の予算については、各自治体が独自に予算編成を行っているが、国でも全地方自治体の一年間の歳入、歳出の見込みを示す地方財政計画を作成している。これには、 * 地方財源の不足額に対して地方交付税率の検討など必要な措置をとる * 地方財政のあるべき姿を示す・・・などの狙いがある。同計画は毎年度、国の予算編成と同時期に策定され、日本の財政全体の姿を明らかにする役割も果たしている。  1996年度の地方財政計画は、前年度比3.4%増の85五兆2848億円に上り、国家予算をしのぐ。この現象は87年度から始まり、96年度比でも国を13.6%上回る規模に達している。  国家予算と同様、地方においても歳出と歳入のギャップは相当の開きがあり、財源不足が深刻だ。ここでは特に地方債(公債)に焦点を絞って財政赤字度をチェックしてみよう。  地方財政計画によると、長引く景気の低迷や産業構造などによる税収の伸び悩みから、96年度の地方の財源不足額は、8兆6200億円が見込まれる。この不足分は国からの地方交付税の増額や地方債などを充てなければならない。このうち、96年度における地方債の発行見込み額は、国の赤字国債に当たる減税補てん債1兆6000億円を含めて12兆9600億円。前年度比で17.7%の伸びだ。歳入に占める地方債発行の割合(地方債依存度)も、15.2%と過去最高値に達し、「地方財政の赤信号」といわれる15%を突破した。  地方債の元金償還や利払い費用となる公債費も、前年度比15.2%増の8兆8600億円に上る見込み。公債費以外の歳出の伸びが2.1%にとどまっていることからすれば、いかに突出した数字であるかが分かる。  このため、96年度末には、自治体の普通会計で負担する公営企業債を含む地方債の発行残高は120兆円を超え、さらに交付税特別会計借入金を含めた地方の借入金残高は、136兆円に達する見込みだ。国民一人当たりに換算すると約100万円弱の借金を抱え込んでいる計算になる。この額は同じく96年度末で241兆円に達する国の国債残高に比べれば実額では少ないものの、過去三年間の増加率が50%以上と国債の約25%増を大きく上回っており、悪化速度は国より深刻。このように地方も「危機的な財政状況」に陥っているわけだ。 茨城の県債発行残高:1兆627億円  具体的に茨城県の予算を見てみると、1兆円あまりの県の予算に対して、県債発行額が1486億円となった。  これは、予算に対する県債依存高で14.1%に達し、地財計画の15.2%より若干下回っているものの、その伸び率は19.2%と地財計画(13.0%)を大きく上回ってしまった。  発行残高は、平成8年末の予測で、一般会計8749億円、特別会計が1878億であり、合計で1兆627億円となる。これは、県民一人当たり35万1600円となる計算である。  茨城県も、急速に借金大県と成りつつあるといえよう。 歳出削減、税収増実行しにくい体質  地方行政の足腰の弱さを象徴するものに「三割自治」という言葉がある。税収に占める地方税の割合が三割程度であることや、国から地方自治体に委任される事務が七割に上ることからそう呼ばれる。  地方自治体の行政に必要な財源は、それぞれの地域社会で負担されることが望ましい。しかし、現実には、著しい地域格差が存在する。このため、国は地方交付税や補助金を通して均衡を図ることにしている。言い換えれば、各自治体の財政基盤の強さには関係なく、落ちこぼれが出ないよう国の指導や規制によって航行する「護送船団方式」をとっているのだ。  地方の財政は、この護送船団方式が今も温存されていることから、自治体は「親離れ」ができにくく、財政運営の責任もあいまいになりがちで、「無駄遣いをしやすい仕組みになっている」という指摘もある。地方交付税や補助金は、国からあてがわれる性質のものであることから、ややもすれば必要以上に支出が膨らみ、歳出削減や税収増への自治体の自主的取り組みがなされにくいからだ。  たしかに、財政の自主性が高まらなければ、住民に対し、行政サ一ビスと税負担の分かりやすい選択肢を示すこともできなければ、効率的な行政運営も進みにくい。  事実「公明」地域からの改革推進委員会が4月8日に発表した「地方分権・事実、規制緩和に関する重点項目調査」によると、市町村が望む権限移譲の三位に「地方財政の強化」が挙げられた。地方分権の大前提として、いくら権限を与えられてもそれに見合う財源がないと分権は推進できないとの切実な訴えだ。地方の赤字財政も国民の借金であることに変わりはない。住民生活が魅力的であるためには、その自治体の財政も健全でなければならない。それだけに、交付税や補助金に依存する構造そのものの改革を含め、「右肩上がりの借金体質」に甘んじている地方財政に一刻も早くストップをかけ、健全財政へと転換する思い則った改革が望まれる。 住専処理予算で借金膨張の一途  「財政再建に向けて、展望を持った予算とは言えない」・・・。自社さ連立政権下で成立した本年度予算について、当時編成に当たった大蔵省の篠沢前事務次官はこう言い切り、欠陥を認めた。自社さ政権の経済失政による税収の伸び悩みで、歳入と歳出のギャップである財政赤字が拡大し、当初予算としては7年ぶりに、返済の当てのない赤字国債を史上空前の約12兆円も発行するなど、「国の顔」といわれる予算において、財政の借金体質が鮮明になったからだ。しかも自社き政権は、ただでさえ財源不足の中で、住宅金融専門会社(住専)処理の穴埋めに、赤字国債(6800億円)と建設国債(50億円)を充て、借金を一段と膨らませる無謀な事態に追い込んだ。このため、国債発行の総額は21兆円にも上り、過去最高を記録。本年度末の国債残高は241兆円と、国税収入の五倍近くにも相当する見込みだ。これに、国鉄清算事業団の債務をはじめとする「隠れ借金」44兆円を加え、さらに地方自治体の借金136兆円を合わせると、国全体の借金は、何と421兆円の巨額に達する。 国民一人当たりでは340万円にもなり、国全体が「借金漬け」  赤字国債を大量に発行すれば、金融市場の民間資金は政府に吸い上げられる。これによって長期金利が上昇し、民間の設備投資や住宅投資が抑制されるため、経済成長や生活向上に副作用をもたらす要因にもなる。なぜ、これほど財政が悪化してしまったのか。バブル経済の崩壊による長期の景気低迷が根っこにあるのは事実だが、こうした状況に対し、何ら有効策を講じてこなかった連立与党の経済矢政が相乗的に重なったことは明らかだ。まさに自社さ政権の「危機先送り」体質が招いた結末といえる。 硬直化したままの公共事業配分  さらに、何よりも問題なのは、緊迫した財政事情にもかかわらず、政権、行政ともに危機意識が欠如し、財政改革の機運が極めて乏しいことだ。今、求められているのは、時代の変化に応じて、予算の出口である歳出を抜本的に洗い直し、壮大な無駄に切り込んでいく政治の実行力だ。しかし、本年度予算案が閣議決定された昨年12月25日の翌日付の全国紙の社説で「改革の方向が見えない予算案」(読売)、「構造改革に背を向けた政府予算案」(日経)などと批判が集中したことからも分かるように、自社さ政権下では「改革」への道筋が全く描けていない。  事実、効率的配分が一層求められる公共事業でも、既得権益の維持をもくるむ与党族議員の抵抗の前に、ほとんど見直しは進まず、旧態依然とした事業別、省庁別配分比率くシェアごが続いている。復活折衝を通じて繰り広げられたのは、相も変わらぬ各省庁による予算の「分捕り合戦」だった。公共事業の中身を検証しても、高度経済成長期とほとんど変わらない土木事業中心となり、建設省と農水省が、同じ地域にほぼ並行して同じような道路を造成するなど、全く無駄な重複投資も多い。これに対し、今後の日本経済活性化の先導役となる情報通信、科学技術などへの予算配分はスズメの涙程度なのだ。  結局、自社さ政権の下では、事業別シェアの変更幅は二年連続して減少し、コンマ以下の変化しかない。「94年度予算では細川政権が『シェアの見直し』を最重要課題として掲げ、わずかながら改善された」(95・12・26付毎日・社説)にもかかわらず、また後退である。自社さ政権が「改革逆行政権」といわれるゆえんがここにある。  要するに、無駄な財政支出に切り込めないことが、財政危機の要因だ。歳出の見直しは、何よりも行政自身が徹底的なリストラ(事業の再構築)を行う「行政改革」の断行が先決である。特に、新進党が主張する中央省庁の統廃合に大ナタを振う根本的な改革が迫られているが、現連立政権はこれに何ら手を付けようとしていない。  もはや予算編成の従来的手法は限界にきており、新進党が提唱するように、硬直化した一律シーリング(概算要求基準)方式による抑制手法を廃止し、政策のプライオリティー(優先順位)を明確にし、予算にメリハリをつけることが不可欠だ。 国民負担率も上昇…ツケ回し許されず  一方、急速に進む高齢化の中で、社会保障の増大は避けられず、財政に対する国民負担は増すばかりだ。国民の税負担に社会保険料などを加えて、国民所得で割った「国民負担率」は、95年度見込みで28.8%、96年度では37.2%と上昇の一途。高齢化がピ一クを迎える2025年には、50%程度に達する可能性が高い。  そうなれば、サラリーマンの給料の半分が税金と社会保険料に消えていくことになる。財政再建が遅れれば、国庫からの支出が先細りし、それだけ国民の負担が増していくことになるのだ。財政危機は、そのまま未成年や後世代へのツケの先送りを意味する。それだけに、財政の在り方をどう位置付けるか、総合的な検討が迫られている。その場しのぎや問題の先送りは許されず、中長期的な視点に立った構造改革こそ急務だ。