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 白血病治療などのため、出産時のへその緒や胎盤中にあるさい帯血を患者に移植する「さい帯血移植」が、2003年6月12日に国内で1000例を達成しました。多くの善意の輪が命の絆を大きく育み、さい帯血移植による成功例は全国で急増しています。

 さい帯血移植は1997年2月に神奈川で1例目が行われました。小児の医療というイメージが強かったのですが、移植1000例目は50代の人でした。さい帯血バンクの努力によって、より多くの細胞を含むさい帯血が集められるようになり、成人への移植は7割を超えています。

 さい帯血は、新しく生まれた赤ちゃんが私たちに与えてくれる貴重なプレゼントです。より多くの生命を救える体制づくりを目指していく必要があります。

 このさい帯血移植普及の中で、公明党は大きな役割を果たしてきました。

 1997年7月に、一人の女性党員さんから「公的バンクの設立を求めて運動している『日本さい帯血バンク支援ボランティアの会』(有田美智世代表)の全国大会にぜひ出席してほしい」と浜四津敏子代表(当時)に声をかけたのが、公明党とさい帯血移植推進の運動との出会いでした。

 全国大会で、さい帯血移植が白血病や再生不良性貧血などの治療に有効な方法の一つであることを浜四津代表は、はじめて知りました。ボランティアの方々と、日本のトップクラスの医学者たちが手を携えて取り組んで状況を見て、党として支援をさせていただく必要性を強く感じました。

 当時は、さい帯血の採取から移植まで約1000万円という莫大な経費がかかりました。そこで、公明党は、さい帯血移植を保険の適用対象にする署名運動に取り組むことになりました。

 1997年8月1日に公明党女性局を中心に署名運動がスタートしました。

 茨城県でも、井手よしひろ県議らを中心として署名運動を展開しました。短期間で12000人のご協力をいただきました。さい帯血移植をすすめるページも、この時に開設しました。

 署名運動は、わずか1カ月余りで50万人を突破。9月25日に当時の小泉純一郎厚相に署名簿を提出しました。小泉厚相は「日本になぜ、こんないいことが広まらなかったのか」と述べ、さい帯血移植を強力に進めていく考えを示したといわれています。

 国会の場では、1997年10月14日に、浜四津代表が参院予算委員会で公的バンク設立と保険適用を求めたほか、公明党の衆参国会議員が次々とこの問題を取り上げました。

 そうした努力が実り、異例のスピードでさい帯血移植に対する保険適用が決定し、1998年4月1日からスタートしました。また、1999年8月には待望の公的バンク(日本さい帯血バンクネットワーク)が設立されました。

 白血病や、再生不良性貧血など、血液性の難病の患者さんの大切な命を救うため、「いつでも、だれでも、安全に」移植を受けることができる、そのような制度を目指して、公明党はさい帯血移植の支援を進めてきました。その制度を国が責任を持って行うことを明確にするための法律(仮称「造血幹細胞移植推進法」)を制定することが必要だと思います。

 また、さい帯血や骨髄液を血液や人工骨と同じように、医療材料として医療保険が適用されるよう働きかけていくことも必要です。これが実現すれば、さい帯血の採取、検査、移植のすべての段階で保険適用されることになり、多くの患者さんにとって最後に残っている負担も解消することができます。

 ほんの6年前までは、だれも知らなかった「さい帯血」が、多くの皆さまの「善意の輪」が広がって、こんなに早く日本に定着し、多くの方の大切な命を救うことができました。これからも医療の専門家とボランティアの皆さま、そして政治や行政の場で働く私どもが共に力を合わせ、「患者さんのため」の取り組みを進めて行くことが大切です。


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