■遺作No.20 潮来あやめ園
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太鼓橋の上から見た船着場。潮来は「船頭恋唄」や「潮来花嫁さん」などの唄で知られる。初めて行ったのは昭和34年。もう、何もかも変わってしまった。
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■遺作No.19 割烹「冨く住」
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三夜尊仁王門の前を「新坂」へ抜ける路地に、清楚な構えの「冨く住」はある。以前何度か来たことがあったが、時代を反映してか、心なしかうらぶれて見えた。
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■遺作No.18 浄連寺魔崖仏
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浄連寺裏手の渓谷を見下ろす山の斜面に、江戸時代の作といわれる三十三体の苔むした魔崖仏がある。
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■遺作No.17 夜桜城
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会津の鶴ヶ城は、桜の名所としても有名だ。昔は石垣のみで天守閣も無かったが、昭和40年に再建。今や観光の名所となった。
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■遺作No.16 黄門様像
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桂岸寺境内にある黄門様像。いまやあちこちにある黄門様像だが、ココのは石造りで苔むした状況から、もしや元祖やも知れぬ。
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■遺作No.15 保和苑のつつじ
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保和苑はあじさいが有名だが、つつじもまた見事だ。つつじが終わる頃になると、園内5千5百本のあじさいが咲き乱れ、あじさい祭りは最高潮を迎える。
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■遺作No.14 山村暮鳥の墓
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暮鳥は「雲の詩人」とも呼ばれ、のどかで平易な親しみやすい詩が多い。なかでも、「おうい、雲よ」はみんなの知るところである。
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■遺作No.13 列公御涼所
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水戸藩徳川斉昭(列公)がお涼みになった場所。八幡宮境内の那珂川を臨める所にあり、朝日の御来光の聖地でもある。
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■遺作No.12 旅館「弥生荘」
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散歩の途中で出会った懐かしい佇まい。今でもやっているのかいないのか、そんな事が気になった。
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■遺作No.11 共楽館
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日立市白銀町にある。日立鉱山の福利施設として1917年に?落としされたが、今では市の武道館として利用されている。
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■遺作No.10 保和苑池
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保和苑の庭園は回遊式で、歴史を語る古木がたくさんあって、重厚な雰囲気を醸しだしている。街中にもかかわらず、静寂が漂う。
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■遺作No.9 無所だめの大蛇伝説
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保和苑の奥にある「無所だめ」という池。ある日、蛇とり名人が来てみると、子を身ごもった大蛇がいた。しかし、名人の妻も身ごもっていたので、逃がしてやった。蛇は喜んで、那珂川の方へ去った。
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■遺作No.8 井筒屋
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水戸市末広町の「井筒屋」さん。雑貨屋さんだが今はシャッターが閉まっている。大きな土蔵が昔の繁栄を偲ばせる。
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■遺作No.7 八幡池
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滴るような紅葉の新緑が水面を覆い、湧水の池はあくまで透明だ。鯉は心地良さそうにゆったりと泳ぐ。ここはオアシスだ。
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■遺作No.6 時鐘
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笠間佐白山公園にある時鐘。昔はこれで時間を知らせたのだろう。公園には大石蔵之助の銅像もある。大石家は笠間で、この山の麓に址がある。
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■遺作No.5 湯の上温泉駅
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JR会津田島線の湯の上温泉駅は、萱葺屋根の駅舎が人気だ。大川沿いにさくらが咲いて、山は萌黄色。会津の春が本番の頃。
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■遺作No.4 浄連寺
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北茨城市磯原町。山間の静かな場所にひっそりと佇む。かやぶき屋根の形状に特徴があるという。すぐ傍は浄連寺渓谷。三十三体の魔崖佛も。
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■遺作No.3 ハワイアンズ「与市」風呂
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元ハワイアンセンターの露天風呂。収容人員60名。少しぬるめの記憶あり。
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■遺作No.2 野口雨情生家(2)
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国道六号沿いにある、雨情会によって造られた石碑。
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■遺作No.1 野口雨情生家(1)
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野口雨情は、茨城出身の童謡の詩人。生家が北茨城市磯原町にある。当時のままの建物が往時を偲ばせる。
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