2000/10/23update

第3回公明党全国大会 運動方針(案)


V 二十一世紀 公明党のめざすもの

 わが党は昨年七月の第二回党臨時全国大会において、「21世紀日本」のあるべき国家像として、「世界に開かれた『平和・文化・人権の国』」を、社会像としては「生活者を重視した『活力と安心の生活大国』」の構築をめざすことを示しました。
 そして、国家・社会像としての「活力と安心の生活大国日本」を築く理念として「自助・共助・公助の調和」「小さく効率的な政府」「地方主権・民間主導」「創造革新型の経済」「地球益・人類益の重視」を掲げました。さらに、それに基づくダイナミックな経済・社会戦略である「基本政策・21世紀日本の改革プラン」を提示し、今日その実現を追求していることはいうまでもありません。
 二十一世紀の新生日本を築くに当たって今改めて必要なことは、国家とは何か、また国家はどうあるべきかといった基本的な問題についてのスタンスを定めることだといえます。それにはまず現代国家をめぐる状況を真摯にみつめ、国家の役割を問い直すことが欠かせません。

一、「国家の世紀」から「人間の世紀」へ

 1、国民国家の変貌

 今日、経済のグローバル化が進むなかで、国民国家は変貌(へんぼう)を余儀なくされるように見えます。一国の政府の決定は国境を超えた資金の動きや、他国の政治によって動揺し、効果を減じたりしています。一国の経済危機が瞬時に他国に伝播し、世界の危機につながることは、近年のアジア通貨危機が示す通りです。政府の打ち出す政策の効果は他国の政治によって大きな影響を受け続けています。
 「ボーダレス」や「脱国家」が叫ばれるなか、さらにインターネットに代表されるメディア革命は、国境や民族、文化、宗教を超えて、予想もできないスピードと方法で世界を結びつつあります。この流れは二十一世紀にはさらに加速されることは確実です。二十一世紀を目前にして国民国家の在り方が大きく問われています。
 さらに、中央集権的な国民国家は、地方分権・地方主権の潮流の中で、足元から大きな挑戦を受けています。環境対策、福祉の在り方、公共事業……あらゆる分野で自治体が独自の政策と判断を打ち出すことが求められています。
 その一方で、情報を得るだけでなく発信者となった個々人が国家の枠を超え、世界に挑戦し、世界を舞台に活躍する機会が大きく広がりつつあります。つまり、「国家の世紀」から「人間の世紀」へ、言い換えれば自立した「個人の世紀」へと大きく時代は動いています。
 しかし、こうした潮流の中にあっても、グローバル化、ボーダレス化で、国家の存在が否定されると考えるのは早計です。
 たとえば、マネーや人の自由な移動は、犯罪対策や安全保障についての従来の在り方に大きな変更を迫ることになり、国際協力や多国間の対話がより一層不可欠な時代になっており、国家の役割はある部分では逆に重要になってさえいます。
 一方、グローバル化した経済であっても企業は、固有の歴史や文化をもった国家の枠の中で行動することに変わりはありません。国際化が進めば進むほど、自国の歴史や文化に関心が高まる動きも見られることは周知の事実です。
 公明党は、戦後のわが国に根強かった「一国平和主義」からの決別を主張し、「世界平和主義」の立場に立って、わが国の国連平和維持活動(PKO)への参加をリードし、あるいは、国境をまたぐ組織犯罪への対策の一環として通信傍受法に大幅修正を求めて賛成しました。ともにこうした時代に対応するためであったことは言うまでもありません。
 「人間の世紀」に対応した二十一世紀型の国家をつくる作業を進めなければなりません。

 2、国家主義の胎動に警戒を

 ところが、こうしたグローバル化に対して近年、わが国の中に危険な動きが見られます。国家を超える人や情報、マネーの動きは、これまで国家に守られて存続してきたものを、容赦なく破壊していきます。長い年月をかけて構築し、国家と一体となって獲得してきた既得権が脅かされたり、新たなネットワークの出現で昨日までの勝者が敗者になる変化、変動の激しい時代には、土着的なナショナリズムや国家主義が、「改革」の衣装をまとって、頭をもたげてくるのは今に始まったことではありません。
 また、冷戦崩壊で米ソ二極体制が崩れ、米国による一極「支配」が際立ってきているため、超大国・米国に対するいらだちがナショナリズムという形で生まれてくる土壌もあります。
こうした背景の下で最近、「国家」や「共同体」の重要性を極端に強調する動きが政界や社会の一部に目立ちます。
 現在の日本は、戦後半世紀を経過し、政治だけでなく教育、企業経営、行政などさまざまな分野で戦後システム、戦後民主主義の欠陥を露呈するような問題が噴出しているのは事実です。これは大なり小なり、既成の組織が弱体化し、国家、地域、家庭という枠組みが不安定になることによって、起きたもので、国家を強化することで解決する問題ではありません。戦後民主主義が制度疲労を起こしていることは事実だとしても、その全てを否定し、国家を神聖視し、国民を隷属(れいぞく)させるような転倒した発想は時代錯誤もはなはだしいといわざるを得ません。まして、日本という国家を賛嘆するあまり、過去の侵略さえ肯定するかのような主張は到底容認できません。
 しかし、いわゆる左翼勢力の側にこうした国家主義を防ぐことはできないでしょう。その大半は、わが国の社会主義国家化を求め、統制的・権威的な国家をめざしていたことを考えると、“逆な立場での国家主義”に立つものだったといえ、これも「国家の世紀」の産物だったように思われるからです。日本の左翼勢力が固有の文化や郷土への愛着さえ無視したことは、伝統的日本と人々を切り離し、反政府主義を形成しても、結局は、国家主義に付け入るスキを与えていると言っても過言ではありません。
 「愛国心」が「特定の場所と特定の生活様式に対する献身的な愛情」(ジョージ・オーウェル)であるなら、われわれはこれを大切なものだと考えます。この愛情は、国家に頼らずお互いに助け合い、協力し合う社会をつくる上でなくてはならないものです。しかし、国家主義はこれと似て非なるものです。自分の国や民族がもっとも優れていると信じ、寛容性を欠き、他の国の文化や歴史には冷淡で、しばしば排外主義に転じるのが、その特徴です。その意味で、新たな国家主義の台頭を許してはなりません。
 戦後民主主義批判をてこに、「古きよき日本」を再興する試みも、「自己中心」の反国家・反政府主義も誤った選択です。われわれは、家族や地域を尊重しつつ、世界に開かれた「平和・文化・人権の国づくり」をめざすことこそ、二十一世紀日本の選択肢だと考えます。

3、国の在り方めぐり活発な論議を

 グローバル化のうねりのなかで、これを拒絶するようなナショナリズムに陥らない適正な国家の役割とは何か――二十一世紀の国家像の提示が今、政治に求められているのです。
 国会に設置された憲法調査会に見られるように、憲法をめぐる議論が活発になっているのはこうした国家像の模索といえましょう。二十一世紀日本の国家を見据えた未来志向の幅広い議論が大切です。

二、国民に奉仕する国家に

 1、二十一世紀における国家・政府の課題

 私たちは、二十一世紀の国家・政府の課題・役割について、基本的に次のように考えます。
第一に、経済、教育、環境などさまざまな分野での明確なルールづくりです。
 わが国では長年、裁量行政が一般化し、不可解な規制や競争の制限が横行していました。政治はこれを打破することよりも、ともすれば、そのシステムに依存してきた傾向がありました。こうした体制・制度は戦後日本の復興期には一定の意味を持ったかもしれませんが、透明さと公正さを要求される市場経済のルールには相反するものです。
 市場経済に「ノー」を突きつけられる政治であってはならないのは当然です。経済の変化に対応が遅れがちな行政を再編、改革することこそ国家に課せられた責務だといえます。
 第二に、国民の暮らしの安心を保障する最低限のセーフティネット(安全網)の構築です。
 市場経済は常に勝者と敗者を生み、貧富の差を拡大する性質を持っています。「持てるもの」と「持たざるもの」の格差を縮小する装置は資本主義経済には備わっていません。経済の論理にすべてを委ねていけば、国民の不満や不信は解消されません。それは、勝者にとっても安らぎのない社会になりかねないことは明らかです。その意味で、ナショナル・ミニマムの確保などは国の役割として欠かせません。 
 また、敗者復活や、やり直しが可能であり、「機会の平等」ともいうべき挑戦のチャンスを広く国民に保障することも国家の重要な役割だと考えます。
 第三に、公共財の適正な配分です。
 国家は国民からの税と引き換えに、国民にさまざまなサービスを提供しています。そのサービスの中心が社会保障か教育か、軍事か経済振興かなどによって、その性格は大きく異なることになります。何を大切にし、何を重点にするか、それが国家の将来を決定付けると言えます。
 また、民間ではコストが大きい中長期的な科学技術の振興や基礎的な研究開発支援についても国家の役割が重要であることは言うまでもありません。
 なお、各種サービス提供など「公共」「公益」の担い手として、国や自治体、企業のみならず、地域やNPO(非営利組識)や自立した自発的な個人の参加が二十一世紀には大きく広がることが期待されています。
 第四に、防衛や司法・警察、また災害、事故、環境悪化などから国民の生活を守り安全を確保することは、これからも重要な国家の役割であり続けることは当然です。ボーダレス時代に応じた安全保障体制や警察機能を常に整備していくことは、国民生活を守り支える上で不可欠のものです。

 2、社会保障や教育に特色示す国家に

 公明党は、国家は国民に奉仕すべきであるとの立場から、国民の自己実現を支援し、個人の「成長」をサポートし、社会保障や教育に特色を示す国家への道こそ日本の選択であるべきだと考えます。
 公明党は、与党の時代、野党の時代を問わず、今日まで公正で透明なルール作りのため、規制緩和や行政改革に取り組み、最低限のセーフティネットの構築のため、さまざまな社会保障体制の整備に力を注いできました。地方からの改革を主導し、中央集権から地方分権への政治の流れを作る努力を重ねてきました。また、平和、教育、環境、人権などを重視する国家をめざす政策を提言してきました。
 しかし、上記のような国家に対する時代の要請にこたえるには、大きな困難があるのも事実です。戦後体制のなかで、政党政治は行政システムを転換するだけの力量を備えるに至っておらず、依然、「政官業の癒着」が指摘されています。
 公明党の連立参加は、こうした既得権を温存するために成立したものではなく、それを解体し、国民のための政治への流れを形成するものであることはいうまでもありません。政官業の癒着や利権政治の打破は、連立参加で公明党がめざしたものであり、この目標はゆるぎありません。
 公明党は、戦後日本の既得権を洗い出し、政官業の癒着を断ち切る改革に果敢に挑戦してまいります。
 具体的には基本政策案で詳細に記したように、IT、財政再建、社会保障、教育、環境などの分野で、二十一世紀の基盤作りのため抜本改革に着手していく方針です。

 

<戻る><目次に戻る><次へ>

Webメニュー選択画像