〜高萩の歴史〜

参考文献として所蔵資料を挙げています。未完成につき、随時更新中です。

西暦
年号
高萩周辺の主な出来事
旧石器時代
上君田に生活の跡
縄文・弥生時代
上君田、赤浜、上手綱(小場遺跡)に生活の跡
小場遺跡
茨城県教育財団 1986 『常磐自動車道関係埋蔵文化財発掘調査報告書9 小場遺跡』
   (茨城県教育財団文化財調査報告第35集)茨城県教育財団
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 p.29
茨城県考古学協会 2010 『茨城の考古学散歩 茨城県考古学協会30周年誌』東れい書房 p.91
鳥居前遺跡
小川和博・大渕淳志 2005 『高萩市鳥居前遺跡発掘調査報告書』高萩市教育委員会
400頃
各地で古墳が作られる
赤浜古墳群
高萩市教育委員会 1972 『赤浜古墳群』高萩市教育委員会
常総台地研究会 1972 『赤浜遺跡発掘調査報告』高萩市教育委員会
志田諄一 1981 「古墳文化と多珂国造」高萩市史編纂委員会編 『高萩市史』上 国書刊行会 pp.75-77
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 pp.30-31
茨城県考古学協会 2010 『茨城の考古学散歩 茨城県考古学協会30周年誌』東れい書房 p.103
上台古墳群
茨城県考古学協会 2010 『茨城の考古学散歩 茨城県考古学協会30周年誌』東れい書房 p.104
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 pp.34-35
鳥居前遺跡
小川和博・大渕淳志 2005 『高萩市鳥居前遺跡発掘調査報告書』高萩市教育委員会
滝坂横穴墓穴群
瓦吹堅 2001 『災害関連緊急急傾斜地崩壊対策工事に伴う埋蔵文化財調査報告書』
  (茨城県教育財団編『茨城県教育財団文化財調査報告』第181集)茨城県教育財団
600頃
多珂郡衙が大高台に置かれたといわれる
多珂郡衙
瓦吹堅 2009 「郡衙のゆくえ―瓦塔が語るもの―」
  中村紀雄先生追悼論集刊行会編『野州考古学論攷』中村紀雄先生追悼論集刊行会(抜刷)
志田諄一 1981 「律令制下の多珂郡」高萩市史編纂委員会編 『高萩市史』上 国書刊行会 pp.99-112
志田諄一 1989 「多珂郡衙と高戸」『日立市苑』2 pp.8-14
豊崎卓 1962 「多賀郡家」『郷土ひたち』6・7 pp.1-4
719頃
養老 三
万葉集所収の手綱浜の歌が詠まれる
752頃
天平勝宝 四
常陸国の駅として藻島駅が栄える(〜812)
985
寛和 元
荒川に八幡宮創建(一説に1066年)
1192頃
建久 三
舘の坊古館が用いられる
舘の坊古館
鷺松四郎 1981 「高萩地方の城館」高萩市史編纂委員会編 『高萩市史』上 国書刊行会 pp.232-235
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 pp.36-37
茨城県教育庁文化課編 1985 『重要遺跡調査報告書U(城館跡)』茨城県教育委員会 pp.168-169
リュウガイ古屋敷
茨城キリスト教大学常陸国研究会編 1976 『リュウガイ遺跡』高萩市教育委員会
鷺松四郎 1981 「高萩地方の城館」高萩市史編纂委員会編 『高萩市史』上 国書刊行会 pp.235-236
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 p.42
1211頃
建暦 元
塙古館が用いられる
塙古館(安良川城)
鷺松四郎 1981 「高萩地方の城館」高萩市史編纂委員会編 『高萩市史』上 国書刊行会 pp.236-238
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 p.42
茨城県教育庁文化課編 1985 『重要遺跡調査報告書U(城館跡)』茨城県教育委員会 pp.168-169
1226
嘉禄 ニ
地頭宇佐美祐泰、木佐良善阿に命じて現在地に荒川八幡宮の社殿を造営させる
1303
嘉元 元
日弁、赤浜に願成寺と妙法寺を開山
(1311 日弁没、妙法寺に葬られる)
妙法寺
志田諄一 1984 『中世常陸の農村社会 多珂郡赤浜妙法寺過去帳を読む』筑波書林
志田諄一 1988 「妙法寺過去帳と庶民の生活」北茨城市史編さん委員会編『北茨城市史』上 pp.336-346
1320頃
上手綱西垂の西舘屋敷が用いられたと思われる
西館屋敷(西ダレ屋敷)
鷺松四郎 1981 「高萩地方の城館」高萩市史編纂委員会編 『高萩市史』上 国書刊行会 pp.231-232
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 pp.40-41
茨城県教育庁文化課編 1985 『重要遺跡調査報告書U(城館跡)』茨城県教育委員会 pp.164-165
1356
正平 十七
島名鏡神社創立される
1396
応永 三
上手綱、長宏寺を光山和尚が開山
長宏寺
長宏寺開創六百年記念奉讃会編 1991 『長宏寺史』長宏寺開創六百年記念奉讃会
1420頃
応永 二七
大塚氏、手綱の地頭となり、竜子山に城を構える
大塚氏
鷺松四郎 1988 「大塚氏と多賀郡の名主団」北茨城市史編さん委員会編『北茨城市史』上 pp.249-266
鷺松四郎 1988 「乱世における車・大塚両氏の活躍」北茨城市史編さん委員会編『北茨城市史』上 pp.267-288
鷺松四郎 1988 「車・大塚氏の棟入と知行替え」北茨城市史編さん委員会編『北茨城市史』上 pp.289-310
1485
文明 十七
岩城常隆、多賀郡に進攻
竜子山城主 大塚隆成、岩城氏に服属
1552
天文 二一
大塚政成、佐竹氏から「一家の例」をもって待遇される
1558
永禄 元
このころ下君田のささらがはじまる
岩城重隆、佐竹義昭と戦う
大塚親成、調停して和議成立
1568
永禄 十一
佐竹義重、竜子山領へ進攻
大塚勢、石滝台・愛宕坂にて合戦、佐竹勢を撃退
大塚氏、島名城を陣小屋として用いる
島名城(小屋古館)
高萩市教育委員会編 2010 『島名城跡』高萩市教育委員会
鷺松四郎 1981 「高萩地方の城館」高萩市史編纂委員会編 『高萩市史』上 国書刊行会 pp.238-240
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 pp.38-39
茨城県教育庁文化課編 1985 『重要遺跡調査報告書U(城館跡)』茨城県教育委員会 pp.170-171
山小屋古館
鷺松四郎 1981 「高萩地方の城館」高萩市史編纂委員会編『高萩市史』上 国書刊行会 pp.240-241
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 p.42
中世後期(戦国期)、君田地域で中の館などが用いられる
中の館(寺山古館)・田の草古館・明神山古館・内の草古館・小川崎古館
鷺松四郎 1981 「高萩地方の城館」高萩市史編纂委員会編 『高萩市史』上 国書刊行会 pp.241-246
高萩市教育委員会生涯学習課編 2003 『高萩市の史跡・文化財』高萩市教育委員会 p.43
茨城県教育庁文化課編 1985 『重要遺跡調査報告書U(城館跡)』茨城県教育委員会 pp.166-167
1590
天正 十八
岩城常隆病死、佐竹義重三男能化丸が岩城氏を継ぐ
佐竹氏、安良川に証人宿を置き、岩城家臣を詰めさせる
1596
慶長 元
大塚氏、竜子山から岩城領折木城に知行替になる
1600
慶長 五
岩城貞隆、関ヶ原の戦いの際、兄の佐竹義宣の意によって動かず
1602
慶長 七
岩城氏、改易となり領地没収
高萩地方は、戸沢政盛の領地となる
戸沢氏
 参考文献はこちら
1606
慶長 十一
戸沢政盛、竜子山城を修繕、松岡城と改称
松岡城(竜子山城)
 参考文献はこちら
1622
元和 八
戸沢政盛、出羽へ国替えとなり、高萩地方は水戸藩の支配下に入る
1646
正保 三
松岡城地は水戸藩附家老中山信正の知行地となる
中山氏
 初代中山信吉についての参考文献はこちら
1707
宝永 四
中山信敏、常陸太田へ知行地替えとなる
1746
延享 三
上手綱村の庄屋穂積家、郷士に任命される。
穂積家
 文化財建造物保存技術協会 2003 『穂積家住宅保存整備報告書』高萩市
1747
延享 四
高戸浜築工事開始(〜1750、1812〜1813)
1767
明和 四
赤浜村庄屋 長久保赤水、安南国へ漂流した磯原村の商船員を藩命により長崎に迎えに赴く
1773
安永 二
長久保赤水、『芻堯談』を著す
1780
安永 九
長久保赤水、改正日本輿地路程全図を出版
長久保赤水
 参考文献はこちら
1789
寛政 元
穂積家、建設
1801
享和 元
長久保赤水没、85歳
1803
享和 三
中山信敬、松岡地方29ヵ村7新田を知行地とし、常陸太田より移る
このころ、松岡焼の制作が始まったと思われる
松岡焼
瓦吹堅 1986 「北茨城市の陶器窯跡と窯道具について」『北茨城史壇』6 pp.37-48
瓦吹堅 2010 「松岡焼と窯跡」『松岡城跡C地点』高萩市教育委員会 pp.66-68
瓦吹堅 2010 「伝えられた松岡焼」『いわき地方史研究』47 pp.48-53
美濃部達也 2010 「出土遺物の遺構との年代観 近世・近代」
  『島名城跡』高萩市教育委員会 p.159, pp.168-169, p.174
1810
文化 七
寺門忠太夫義周、『松岡地理誌』を編纂
このころ、松岡八景がつくられる
1822
文政 五
中山信情、高戸村に異国船遠見番所を設営
1824
文政 七
5月28日、英国捕鯨船員12人、大津浜に上陸
松岡勢など、大津浜へ出陣
大津浜異人上陸
鷺松四郎 1981 「異国船の出現と高萩地方」高萩市史編纂委員会編『高萩市史』上 国書刊行会 pp.572-589
瀬谷義彦 1988 「大津浜異人上陸」北茨城市史編さん委員会編『北茨城市史』上 pp.693-714
1833
天保 四
徳川斉昭、松岡館に海防軍事訓練を視察
1860
万延 元
松岡の文武稽古場を、就将館と命名
1864
元知 元
8月、松岡勢、大津村の天狗勢討伐のため出陣
9月、中山氏、助川城の天狗党攻撃、27日助川城奪還
10月、中山氏、石名坂へ出陣
1868
明治 元
中山信徴、松岡藩の独立を許可される
1869
明治 ニ
松岡藩主、版籍奉還、中山信徴、松岡藩知事に着任
1870
明治 三
松村任三、松岡藩の貢進生として大学南校へ入学
1871
明治 四
7月、松岡県成立
11月、統合により茨城県誕生、中山信徴退任
1873
明治 六
7月、松岡小学校設置、その他各小学校も逐次設置
12月、常陸駒会社設立
1880
明治 十三
茨城県産馬会社が下手綱村にて設立
このころ馬市が春秋冬5〜7日間開かれる
1884
明治 十七
松村任三、『日本植物名彙』を著す
松村任三
 参考文献はこちら
1891
明治 二四
松村任三、東京帝国大学植物学教室二代目主任教授を任される
手綱炭鉱開鑿
1892
明治 二五
千代田炭鉱開鑿(明治二七、手綱炭鉱に合併される)
1895
明治 二八
高萩炭鉱開鑿
1896
明治 二九
秋山炭鉱創立
手綱炭鉱、上手綱から高萩へ軽便鉄道を敷く
常磐炭鉱
岩間英夫 1982 『ズリ山が語る地域誌 常磐南部炭田の盛衰』崙書房
宇佐美清凱 1999 「北方鉱とドラマ小屋」高萩市文化協会編『ゆずりは』5 pp.170-171
大森幹之 2000 『常磐炭鉱 日本経済の礎を築いた人 写真記録1965-1999』東京印書館
小宅幸一 1997 『黒ダイヤの記憶 常磐炭田石城南部地区の炭鉱』
柏義夫編 2002 『俺たちのヤマ 写真集茨城の炭鉱』小松美術印刷所
清宮一郎 1955 『常磐炭田史』尼子会事務局
草野日出雄 1975 『いわきの炭鉱』はましん企画
小森勇一 1999 「秋山炭鉱の旧跡をたずねて」高萩市文化協会編『ゆずりは』5 pp.164-167
「写真が語る常磐炭田の歴史」出版係編 2006 『写真が語る常磐炭田の歴史』常磐炭田史研究会
常磐じん肺裁判記念誌編 2000 『ヤマの男たち 常磐じん肺12年の軌跡』常磐じん肺弁護団
常磐炭田史研究会編 2004- 『常磐炭田史研究』常磐炭田史研究会
高萩炭鑛50年のあゆみ編集委員会編 1990 『高萩炭鑛50年のあゆみ』高萩炭鑛
炭鉱の社会史研究会編 1987 『新聞記事に見る茨城地域の炭鉱と社会(明治大正編)』現代史研究所
炭鉱の社会史研究会編 2003 『新聞記事に見る茨城地域の炭鉱と社会(昭和編2)』炭鉱の社会史研究会
炭鉱の社会史研究会編 2006 『新聞記事に見る茨城地域の炭鉱と社会(昭和編3)』炭鉱の社会史研究会
地域振興整備公団 1996 『常磐産炭地域振興事業の系譜』地域振興整備公団
長谷川信次郎 1999 「私が知る高萩の炭鉱」高萩市文化協会編『ゆずりは』5 pp.168-169
1897
明治 三十
日本鉄道磐城線(のちの常磐線)、水戸・平間開通
1898
明治 三一
秋山炭鉱北方鉱開鑿
1913
大正 二
『松岡村誌』発刊
1923
大正 十二
『常陸多賀郡史』発刊
1925
大正 十四
『茨城県多賀郡郷土史』発刊
1929
昭和 四
松岡炭鉱手綱鉱開鑿
1940
昭和 十五
菊池寛実、高萩炭鉱株式会社設立
1941 〜 1920   
太平洋戦争、島名・石滝・高萩、艦砲射撃や爆撃を受ける
1947
昭和 二二
高萩・松岡・横川・君田・花貫・若栗各中学校発足
1951
昭和 二六
『常陸高岡村民俗誌』発刊
1954
昭和 二九
11月23日、高萩市誕生
(高萩町・松岡町・高岡村の二町一村、黒前村・櫛形村の一部の合併により成立)
1956
昭和 三一
『櫛形村誌』発刊
市報「たかはぎ」第一号発刊
1957
昭和 三二
横川中学校廃止、高萩中学校へ統合
1958
昭和 三三
東小学校新設に伴い、学区一部変更
若栗・大能・中戸川の各小学校を廃止し、東小学校の分教場とする
1966
昭和 四一
高萩ビーチガーデン開設
1967
昭和 四二
高萩炭鉱高萩鉱閉山を宣言
1968
昭和 四三
向洋炭鉱閉山を宣言
花貫ダム建設に着工(昭和四八、完成)


参考資料:
高萩市史編纂専門委員会編 1981 『高萩市史』上・下 国書刊行会
                 (初版 1969 高萩市役所発行)
高萩郷土史研究会編 1998 『高萩の歴史散歩 平成の松岡地理誌』高萩郷土史研究会



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