ヨットで日本一周  ホーム

*多賀正昭さん(日立市東大沼町)が、平成13年(2001年)10月15日ヨット「極高サンライズ」号で日本一周の旅に茨城県那珂湊港を出港しました。千葉県銚子港を皮切りに勝浦、伊豆大島浮波港と太平洋沿岸を本州、四国、九州の港に寄りながら南西諸島を経て沖縄へ。琉球諸島海域で越冬。平成14年(2002年)3月、黒潮に乗り沖縄から対馬、隠岐を経て日本海を北上。佐渡を経由して北前船航路をたどり北海道松前へ。利尻、宗谷海峡、知床、根室海峡と北海道を回り、東北の太平洋沿岸を南下、三陸沿岸を経て約1年をかけ那珂湊港に帰港予定。
無事に日本一周の快挙が達成できますことを祈念いたします。 スポーツエス 鈴木 久米男


10/19日立港(久慈漁港)入港の極高サンライズ号

10/20那珂湊にゴールする多賀さん(久慈漁港にて)

m-taga@mtf.biglobe.ne.jp <多賀さんのEメールアドレス>

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1.日本一周スタート那珂湊マリーナから小豆島土庄港まで
2.小豆島土庄港から宮崎細島港まで
3.宮崎細島港から奄美大島名瀬港まで
4.奄美大島名港から沖縄本島安田港まで
5.沖縄安田港から宮古島平良港まで
6.宮古島から波照間島をUターンして沖縄まで
7.沖縄那覇港から九州博多漁港まで
8.博多漁港から鳥取港まで
9.鳥取港から故郷富山県新湊港まで
10.故郷富山から粟島港まで
11.粟島港から金浦漁港まで
12.金浦漁港から北海道松前港まで
13.松前港から奥尻港まで
14.奥尻港から余市漁港まで
15.余市漁港から焼尻島焼尻港まで
16.焼尻港から礼文島香深井漁港まで
17.礼文島香深井漁港から紋別港まで
18.紋別港から網走港まで
19.網走港から根室港まで
20.根室港から花咲港まで 
21.花咲港からえりも港まで 
22.えりも港から苫小牧港まで
23.苫小牧港から八戸港まで
24.八戸港から田老漁港まで
25.田老漁港から宮古港まで
26.宮古港から金華山港まで
27.金華山港から相馬港
28.相馬港から日立港経由、那珂湊マリーナにゴール

       






































1.日本一周スタート那珂湊マリーナから小豆島土庄港まで
*平成13年(2001年)10月15日(月)午前7時に多賀正昭さんの長年の夢である「ヨットで日本一周」がスタートしました。多賀さん、黒沢浩亘さん、村田博さんの3名が乗り組んだヨット「極高サンライズ」号が茨城県那珂湊港を出港。午後3時30分に千葉県銚子外川港へ入港。
*10月16日(火)午前6時に銚子を出港。午後3時に千葉県勝浦港へ入港。17日(水)18日(木)の2日間、勝浦港に停泊。接近中の台風21号の動きを警戒か。

*10月19日(金)午前5時45分に勝浦港を出港。午後3時45分に伊豆大島の浮波港へ入港。トローリングでカツオが1尾釣れた。夕食はカツオの刺し身とあら汁。おいしい。
*10月20日(土)午前5時40分に浮波港を出港する。午前11時50分に伊豆下田港へ入港。今日、村田さんが艇から降りる。21日から多賀さん黒沢さんの2名で航行する。
*10月21日(日)午前4時10分に下田港を出港。午後0時30分に御前崎港へ入港。多賀さんの南極観測隊時代の友人が焼津市から御前崎港に会いに来る。
*10月22日(月)午前4時40分に御前崎港を出港する。午後2時50分に渥美半島の伊良湖港へ入港。シイラが掛かる。夕食に特製の塩焼きで食べる。海からの贈り物。

*10月23日(火)午前8時30分に伊良湖港を出港。風速8m、波高3mで飛沫を浴びながら航行。午後2時に三重県の波切(なきり)漁港へ入港する。
*10月24日(水)午前6時10分に波切漁港を出港する。熊野灘を航行して午後3時に三重県三木浦港へ入港。
*10月25日(木)午前7時30分に三木浦港出港。午後3時20分に和歌山県の那智勝浦港へ入港。ヨットから陸を見ると豪華ホテルが建ち並び香港にいるような景色。
*10月26日(金)午前7時に那智勝浦港を出港。串本、潮岬沖を経て午後3時10分に三重県周参見(すさみ)港へ入港。おだやかな天気で晴、風速3〜5m、波高1.5m。カツオが1尾、釣れたそうです。又、刺し身とあら汁かな。

*10月27日(土)午前5時45分にすさみ港を出港。天気晴、波風穏やか。午後2時20分に和歌山県阿尾(あお)港へ入港。今日、黒沢さんが艇を降りる。明日から多賀さんひとりの航行となる。明日は、四国の徳島県吉野川河口付近に渡り、明後日の29日は、鳴門海峡を経て瀬戸内海に入る予定。
*10月28日(日)、29日(月)前線通過のため阿尾港に停泊。天気が快復次第、四国へ向け出港とメールが入る。
*10月30日(火)午前7時10分阿尾港を出港。川のように潮が流れ、渦の縁が盛り上がる鳴門海峡を無事通過して午後4時30分四国香川県の引田(ひけた)港に入港。明日は、「極高サンライズ」号のメーカー「岡崎造船」の有る小豆島土庄港に渡る予定。

*10月31日(水)午前5時50分に引田港を出港。天気晴、瀬戸内海の潮の流れは、穏やかでしたが、海苔の養殖が最盛期で海上に作業している人達が沢山いて気が抜けない操作となる。午後0時40分小豆島のこんもりした森に囲まれた入り江の土庄(とのしょう)港に入港。「極高サンライズ」号は、21年目の里帰り。「綺麗な土庄港と美しい夕日を見ながら誰かと一緒にビールを飲みたい気分です。」「艇は21歳、多賀艇長は61歳」(笑)。と多賀さんが話しておりました。明日から「岡崎造船」で艇の点検、補修をおこなう予定です。











































2.小豆島土庄港から宮崎細島港まで
*11月7日(火)久しぶりに多賀さんから電話が入りました。現在、「岡崎造船」で「極高サンライズ」号の点検の結果、「エンジン調整」「スクリューシャフトの防水パッキンの交換」「マスト最上部のランプ交換」などをおこなっているとの事です。修理の合間に多賀さんは岡山県牛窓港まで船旅に行ってきたそうです。エーゲ海のような素晴らしい風景だったとのことです。11月10日(土)、11日(日)には土庄港に岡崎造船が作ったヨットが各地から里帰りして「極高サンライズ」号も参加して「里帰りイベント」がおこなわれるそうです。翌12日(月)「極高サンライズ」号は土庄港を出港して再び旅に出る予定です。
*11月17日(土)多賀さんから電話がありました。12日に土庄港を出港の予定でしたが、13日、高松まで「極光サンライズ」号のテスト航海を、そして「金毘羅参り」おこない一泊して翌14日土庄港へ帰港。補修したいところを直していたとのことです。いよいよ、19日(月)に土庄港を出港する予定です。

*予定通り11月19日(月)午前6時30分に小豆島土庄港を出港して明石海峡を通り兵庫県垂水港に午後4時30分に入港。20日(火)垂水港を午前6時30分に出港。大阪北港ヨットハーバーに午後0時入港。多賀さんの姉が孫と来艇。約30年前の南極観測越冬隊時代の安田ドクター夫妻と山口元隊員も来艇して楽しい一時をを過しました。

*11月21日(水)は午前6時30分に大阪北港ヨットハーバーを出港して午後3時淡路島の由良港に入港。
*11月22日(木)由良港を午前6時30分に出港。紀伊水道を南下して徳島県の日和佐港に午後3時30分に入港。
*11月23日(金)日和佐港を午前7時10分に出港。天気快晴。室戸岬手前の佐喜浜港に午後2時30分入港。

*11月24日(土)午前6時10分に佐喜浜港を出港。室戸岬を通り土佐湾に入る。午後3時30分高知港に入港する。海から見る四国の山々は手付かずで美しいとのことでした。今日は夕日がきれいです。25日は高知見物をするそうです。
*11月26日(月)午前7時10分高知港を出港。海上強風注意報が出ていたが土佐湾の中なので敢えて出港する。港外に出てみると風速13mから15m。波高3mの大波をかぶりながらの航行。上ノ加江漁港へ非難する。27日(火)も海上強風注意報が出ているので上ノ加江漁港に停泊する。

*11月28日(水)上ノ加江漁港を午前7時10分に出港。海上は強風波浪注意報が出ていて雨天のため足摺岬10km手前の久保津漁港に非難する。29日(木)も海上は荒れているため久保津漁港に停泊する。8日ぶりに漁業組合のお風呂に入れて貰いサッパリする。
*11月30日(金)午前7時10分に久保津漁港を出港。低気圧の影響で波高は3mぐらい。航行は大変であるが足摺岬を廻り午後2時30分足摺港に入港。

*12月1日(土)天気晴、風速6〜12m。足摺港を午前7時30分出港する。黒潮の流れに逆らう航行のため速度が遅い。沖ノ島の漁港に午後2時30分入港。

*12月2日(日)沖ノ島の漁港を午前6時50分出港する。四国を離れ豊後水道を渡り九州への航行。黒潮の流れ向っているのと強い風のため波をかぶるが快適な北西の強い風を貰い「極高サンライズ」号は早い速度で進む。午後4時30分宮崎県日向市の近くの細島港の入港する。

















































3.宮崎細島港から奄美大島名瀬港まで
*12月3日(月)午前6時30分に細島港を出港する。北西の風を貰い快調に航行する。午後3時30分宮崎港に入港。12月4日(火)海上強風波浪注意報が出ているため宮崎港の停泊する。南極観測隊時代の寺井先生が来艇。昔ばなしに話しが弾み楽しい時間を過す。
*12月5日(水)午前6時40分宮崎港を出港する。北西の風、風速7〜10m、波高2〜3mで波をかぶるが、毎時52マイル、速度がでる。都井岬を経てロケットの打ち上げ施設が有る鹿児島県内之浦港に午後4時20分入港。12月6日(木)は、海上強風波浪注意報が出ていて内之浦港に停泊する。近くの料金300円の温泉で休養。
*12月7日(金)内之浦港を午前6時40分に出港。大隅海峡を渡り種子島の西表港に午後2時30分到着。友人の実家に泊めて貰う。
*12月8日(土)友人の実家の方の案内でロケットの発射台など種子島を見学。西表港に停泊。亜熱帯のハイビスカスやサトウキビなどがあり南国まで来たなという実感。

*12月9日(日)午前6時40分西表港を出港。気温19℃、黒潮の海水温は23℃。午後0時20分に屋久島の一湊港に入港する。
*12月10日(月)屋久島の一湊港を午前6時45分出港。冬型の気圧配置で風、波ともに強く急峻するなかトカラ列島を南下して口之島の西之浜港に午後3時30分入港。12月11日(火)から15日(土)前線通過や強風で5日間、口之島の西之浜港に停泊する。
*12月16日(日)午前7時00分、西之浜港を出港。途中、中ノ島、諏訪瀬島を眺めながらの航行。二つの島は活火山で噴煙が1000mぐらいまで上がり南海の孤島と云った感じ。午後3時30分に悪石島の「やすらはま港」に入港。名前の通り、悪石島は、周囲12.6kmの断崖で標高584mの御岳があり人を近づけない島。ただ、ひとつネコの額ぐらいの浜辺に「やすらはま港」がある。悪石島は約45世帯が生活している。12月17日(月)海上は強風で「やすらはま港」に停泊する。

*12月18日(火)午前7時10分に悪石島「やすらはま港」を出港。風速12〜15m、波高3〜5mで艇が、時には45度ぐらい傾いての本航海はじめての荒海。傾斜計いっぱいまで傾いても「サンライズ号」(岡崎ピオン30=艇型)はシケに強い機能を発揮する艇であることが証明された。宝島の前籠港に午後1時15分入港。12月19日(水)、20日(木)は波浪注意報が出ているため停泊。漁師さんから刺し身の差し入れがあったり、200円の無人の温泉が有り、まさに宝島です。宝島は約60世帯が暮らしている。
*12月19日(水)から23日(日)まで波浪注意報が出ているため5日間宝島前籠港に停泊。港内でも風速10〜13m、波高も高い。停泊中、宝島の標高291.9mのイマキラ岳に登る。島内にはハブがいるそうですが、現在、気温が低く行動が鈍いそうで姿を見なかった。12月22日(土)は「冬至」、これから日照時間が伸びるので嬉しい。12月24日(月)天気が落ち着けば奄美大島をめざします。奄美大島沖で不審船の銃撃・沈没事件があり緊張する。

*12月24日(月)奄美大島まで約100kmと長距離のため午前4時10分に宝島前籠港を出港する。まわりが暗く港を出るのに苦労する。冬型の気圧配置で港の外は風が強く、波が荒い。南西諸島に入ってシケが多い。午後1時30分奄美大島の名瀬港に入港。海上保安庁の巡視船が2隻停泊している。12月25日(火)は暴風警報(風速20m)がでていて停泊。24日に暗い宝島を出る時、珊瑚礁に艇を当て吃水線の上部にキズができた。停泊中に補修する。正月は奄美大島で迎えることになりそうです。










































4.奄美大島名港から沖縄本島安田港まで
平成14年(2002年)元旦 北緯28度,東経129度 奄美大島名瀬港で新年を迎えました。沖縄が約210km南にあります。胸がワクワクするものをおぼえます。これが航海を進める原動力。夢航海は『安全第一』で『事故一発。前途無効』をモットーに前進します。ご支援よろしく御願いいたします。

*1月4日(金)午前6時50分に奄美大島名瀬港を出港する。奄美大島南の瀬戸内にある古仁屋(こにや)港に午後3時10分入港する。地名の通り瀬戸内は手付かずの自然のままの島が幾つもあり素晴らしい所。松島と瀬戸内海を加えて2で割った感じ。

*1月5日(土)古仁屋港からフェリーで加計呂麻島へ渡る。村営のバスで島内を観光する。この島の美しい砂浜は、映画『男はつらいよ』のロケをした所とのことです。島には店や食堂が無く『昼食抜き』になってしまいました。午後、古仁屋に戻りヨットクラブのメンバーに夕食を招待され、久しぶりに畳の上で正月料理をご馳走になる。感激!。


*1月6日(日)午前8時10分、古仁屋港を出港。天気快晴。風速3〜5m。波高2m。穏やかな航行となる。午後3時50分、徳之島の亀徳港に入港する。

*1月7日(月)徳之島の亀徳港を午前7時10分出港。南西の向かい風をいただきスプレーをかぶりながら遅遅と進む。波高3〜4mとなり前方に真黒い雲が現われる。180度方向転換。帰路、真黒い雲に追付かれ突風とバケツをひっくりかえしたようなスコールでメインセールから滝のごとく真水が流れる。雲が30分ほどで過ぎ去った後は、ハル(船体)、ロープ、カッパなどが潮抜き出来さっぱりした。風は北西にまわりはじめ午前11時50分出戻り接岸。漁師さんが「ゆっくりしていけ、明日も時化だよ」と言って、夜、黒糖焼酎を持って来艇。島や潮のことを聞きながら楽しく焼酎を飲む。
*1月8日徳之島に停泊2日目、西郷隆盛が藩主島津久光の勘気に触れ徳之島に流刑された所を訪ねようと、フエリーの待合所でバスの時間を聞いていた。そこへフエリーで来たお父さんに会い『割り勘』でレンタカーを借りる。7時間満タン返し、保険付、3500円。軽自動車で島一周98Km走り1人2210円也、『旅は道連れ』で観光を楽しんだ。1月9日徳之島停泊3日目、海上強風波浪注意報。船体の手入れ点検をする。


*1月10日徳之島亀徳港を午前6時40分に出港。沖永良部島知名港に午後4時10分入港。南西の風なるも波2mとおさまる。東の洋上に御来光を拝す。さんご礁の海は美ししくも怖い、入港方位を確かめ、さんご礁の張り出し位置を再確認し、水深計を入れ、風に流されない範囲の微速前進。沖永良部島知名港の前にホテルフローラル(6階建、町営)の風呂に入る。800円は、高くとも有難い。4日ぶりの最高のお風呂(パンフレットには、準天然温泉)であった。1月11日停泊。

*1月12日沖永良部島知名港を午前6時40分出港。沖縄本島安田港に午後2時20分入港。徳之島を南下にあたり、徳之島南の海に沈んだ『戦艦大和』ならび『乗組員海難者の御霊』に対し洋上から慰霊祭をとりおこないました。お水、お酒、みかん、柿の種(ふるさとの味)をお供えして、黙祷した後、海に捧げました。戦争と海難事故の撲滅を願う。高気圧におおわれた晴天かつこの上なく穏やかな海となり、沖縄本島に無事到着しました。那珂湊マリーナ出港より丁度90日目です。沖縄本島ヤンバルの山並みを遥か洋上より拝したときの第一声は、「ありがとう、、、、」(すべての自然と人に対して)そして「ランドホー、、、、」〈大航海時代の陸が見えたときの雄たけび)でした。









































5.沖縄安田港から宮古島平良港まで

*1月13日安田港を午前7時出港。石川漁港に午後3時20分入港。石川市は金武火力発電所があり日立製作所に勤務していたとき出張で長期滞在した所だ。

*1月22日沖縄本島石川漁港に来て停泊8日目。石川漁業協同組合に挨拶と1週間位の停泊をお願いする。出張時、お世話になったホテル潮騒に挨拶。懐かしい方々の歓迎を受けお風呂とビールと夕食を戴く。電源開発殿石川石炭火力発電所に表敬訪問。中央制御室、制御室を見学すると16年前の試運転の日々が甦り仕事に携わることの出来た喜びを感じる。そして安定継続運転に日夜、努力されている電源開発殿に頭が下がる。丁度、2号機が定検中で日立のメンバーに合え嬉しかった。沖縄電力殿金武火力発電所、建設中の日立建設事務所を訪問し日立のメンバーに会う。国立沖縄海上技術学校を訪れ、先生に現在の黒潮本流の流れと、2月、3月に発生する東シナ海低気圧(台湾坊主と称したが台湾の人に失礼なので変更)の発生メカニズム、挙動、頻度、勢力等について伺う。有難い話と資料を頂いた。校長先生から是非、体験談を依頼され1月19日(土)60名の生徒さんに『南極の越冬生活』、『ヨット航海』をしながら海で考えたことなどを1時間半ほど話しました。出張当時、お世話になった歯医者さんで歯をくいしばる後半戦にそなえ虫歯の検査を受け歯石を落としてもらう。那覇より12次南極観測隊で一緒に越冬した通称ワルさんが來艇。気象の勉強会となる。石川パソコン教室で受講する。ホテル潮騒に届いた愛妻からの宅急便。半月おくれで拝読させていただく『賀状』に泡盛がおいしかつた。

*1月24日(木)沖縄本島石川漁港を午前7時10分出港。久高島徳仁港に午後1時50分入港。懐かしい街石川で10日間を過す。街の人々に親切にされ『いつか、この海に』と夢を育んでくれた街。感謝の気持ちをこめて石川漁港を出港する。遠ざかり行く街に何度も「ごきげんよう!」と敬礼をおくる。伊計島沖航行中、米軍のヘリコプターが1機、低空で船首へUターンしてくる。ヨットの好きなパイロットかなと思えども機銃が此方を向いているので一瞬、緊張する。マストの上を通り過ぎた。神様の島と呼ばれる久高島が白く泡立つリーフのかなたに見える。港湾案内に掲載されていない港なのが小型のフェーリー出てきたのでホットする。その航跡をたどり接岸完了。1月25日(金)〜27日(日)停泊。
*1月28日(月)久高島徳仁港午前10時10分出港。沖縄本島糸満漁港に午後2時30分入港。久しぶりに風速12m/s、波3.5m、北西の風をもらい7ノットのスピードで豪快に走る。それも荒埼を回り糸満に向うと真のぼりの風となり、スプレーを頭から浴びながら伝統と誇り高き糸満漁師の港に入った。糸満は那覇の南12kmの本島南端の街で太平洋戦争の激戦地でした。ここで運転免許更新(沖縄県警)、免税軽油の使用実績申告と来期の使用計画と免税軽油証の申請を(茨城県税事務所)することにしています。気象、海洋、運用、船体手入れ点検をおこないます。1月28日から2月23日まで長期停泊。2月24日(日)糸満に寄港して以来、停泊28日目を迎えました。3月下旬まで沖縄海域で越冬する。

*2月25日午前7時10分に糸満漁港を出港する。2月26日午後3時15分に宮古島平良港へ入港。

糸満から宮古島まで南西170マイル(300km)の長距離にため天気や海の状態を観察しておりチャンス到来。2月25日に28日間滞在した糸満漁港を出港しました、東の風5〜6m、波高2mの穏やかな海を32時間の航海。日が昇り、日が沈ずみ、月が昇り、また日が昇る大海を「黒いオルフェ」の歌を思い出しながら・・・と書くと実にロマンチックな世界なのですが、現実は少し痛んだクリームパンを食べたため4回もトイレで波の叩く音を聞く羽目になりました。「現実は小説よりP〜なり」。それでも夕陽は美しく、14夜の月は洋上を照らし見事な世界でした。2月26日から3月20まで長期停泊。









































6.宮古島から波照間島をUターンして沖縄まで
*3月9日(土)から3月18日(月)まで宮古のN社のカタマランヨット(双胴艇)が台湾のドックで整備中です。その電気系統の点検整備と回航クルーとして、宮古からフェリーで台湾に行ってきます。回航はN社社長と2人です。このカタマランヨットは、ダイビングの営業用のものです。400km楽しい航海になりそうです。石垣島には3月20日(水)頃に向かう予定です。

*3月9日宮古島から有村産業フェリー「飛龍21」で台湾へ向かう。
*3月10日台湾高雄港に到着。
*3月11日高雄ー台北ー淡水造船所に移動、打ち合わせ。3月12日から3月16日点検補修。
*3月17日から3月19日淡水から整備を終えたカタマランヨットを引き取り宮古島へ回航。T艇長含め3名乗組み。

*3月24日午前7時30分に宮古島を出港。午後2時30分に多良間島前泊港へ入港。いよいよ日本一周を再開する。
*3月25日午前7時10分に事多良間島前泊港を出港。午後3時10分に石垣島石垣港へ入港。石垣島気象台M台長に再会す。(南極越冬5回の最多保持者の越冬隊長)
*3月28日午前7時10分に石垣島石垣港を出港。午後1時30分に西表島白浜港へ入港。手付かずの原始のままの入江が素晴らしい。
*3月30日午前6時40分に西表島白浜港を出港。午後3時50分与那国島久部良漁港へ入港。台湾まで110kmの距離だ。
*3月31日与那国島測候所へ表敬訪問。気象勉強会ののちY所長に島内を案内して頂き感謝。午後4時時ごろ地震による津波警報発令、20cm程度でホッとしました。こんごも要警戒とのこと。

*花の便りに日立の春を想います。南の春風(沖縄の言葉うりずん) が吹き始める4月を日本の最西端の「与那国島」で迎えました。那珂湊を出て167日目、1886マイル(3493km)の航海で辿り着いた「与那国島」は感激、新たなものがあります。明日は日本の最南端の島「波照間島」に向かいます。与那国島にて多賀正昭

*平成14年(2002年)年4月3日(水)午前6時30分与那国島の久部良港を出港。午後6時、ついに日本最南端の波照間島の波照間港に入港する。ここでは12月から6月まで3度の高さに南十字星が見えるそうです。南極遥かの想いとUターンすべき目的地に辿り着いた嬉しさが交叉し人生の充実感を味わう。明日から「北帰行」が始まる。

*4月5日波照間港を午前6時30分に出港する。午後4時に石垣島登野城漁港へ入港。
*4月6日午前6時50分に石垣島登野城漁港を出港。多良間島前泊港へ午後4時30分入港。
*4月7日多良間島前泊港を午前6時40分出港。宮古島平良港へ午後0時40分入港。7日から13日まで停泊。
*4月13日宮古島平良港を午前9時に出港。「長丁場の」航行。4月14日午後0時30分に久米島兼城港へ入港。
*4月15日午前10時に久米島兼城港を出港。座間味島座間味港に午後4時30分入港。

*4月16日座間味港を7時10分出港。沖縄本島那覇港に午後3時入港。





































































7.沖縄那覇港から九州博多漁港まで
*4月19日(金)那覇港で那珂湊港をスタートした時のメンバー黒沢さんと村田さんが乗り組んで3名で航行する。
那覇港を午前7時ちょうど出港。伊江島に午後3時入港。
*4月20日(土)午前7時伊江島を出港。沖永良部島に午後4時30分入港。
*4月21日(日)沖永良部島を午前7時出港。徳之島亀徳港に午後3時入港。
*4月22日(月)徳之島亀徳港を午前7時出港。午後4時に奄美大島古仁屋港へ入港。
*4月23日(火)奄美大島古仁屋港を午前6時30分出港。奄美大島名瀬港に午後5時入港。4月24、25日は休息をとる。
*4月26日(金)奄美大島名瀬港を午前6時15分出港。トカラ列島宝島の前篭漁港に午後6時30分4ケ月ぶりに入港。
*4月27日(土)宝島前篭漁港はガス、風強く一時待機するも視界明るくなり午前9時00分に出港。悪石島やすら浜港午後3時45分入港。風12m/s 波高3.5m 7ノットの豪快な走り。島の温泉に入って「ああ 極楽」と唸る。
*4月28日(日) 北風強く悪石島やすら浜港に停滞。島の小中学校は全校生9名で先生が8名、学校は連休でしたが3名の生徒さんがパソコンの勉強をしてました。インターネットは離島にとって力強い味方です。
*4月29日(月)悪石島やすら浜港を午前6時30分出港。口之島西之浜漁港へ午後1時30分入港。スーパーでソーセージ3本230円、カップラーメン3個450円、野菜は予約制。島の生活の御苦労を知りました。
*4月30日(火)口之島西之浜漁港を7時10分に出港。口永良部島口永良部港に午後1時入港。口永良部島は緑滴る活火山の島で温泉が4箇所有る。最も近い温泉はパイプの修理中で入浴できず残念。明日九州をめざす。

*5月1日(水)口永良部港を午前6時20分出港。鹿児島県枕崎港に4時10分入港。九州本土に帰った感慨にふける。ここからはレールと道路で我が町に続いている。5月2日(木)枕崎港に停泊。知覧の特攻基地を訪ね国難に殉じた方々の心情に頭が下がる。知覧を発進した特攻機は沖縄までの600キロをトカラ列島ぞいに南下した。その2時間30分を思うとき胸が、いっぱいになった。合掌
*5月3日(金)枕崎港を午前6時15分出港。下甑島いむた漁港へ午後4時入港。時化で流れた海藻がスクリューに巻きつき3回潜って取り除く。
*5月4日(土)下甑島いむた漁港を午前7時10分に出港。長崎県野母漁港へ午後4時50分に入港。海藻がスクリューに巻きつき潜って取り除く。水温24度。航行中、かつお3尾掛かる。大漁。
*5月5日(日)長崎県野母漁港を午前5時50分に出港。佐世保相久浦漁港へ午後5時20分入港。久しぶりに青空を見るも3時間後には雲が覆い被さる。かって「黒ダイヤ」と云われ戦後復興の旗手であつた石炭鉱山の軍艦島がある。5階建てのアパートに今は住む人もなく過去の栄光の中で眠っていた。長崎港の入り口を横切り、電源開発殿松島火力発電所に敬礼を贈る。かって仕事をさせていただいた日々に感謝をこめ継続安定運転を祈る。今日も藻がスクリューに巻きつき2回潜る。モウ欠航(もう結構)である。
*5月6日(月)佐世保相浦漁港を午前5時45分出港。平戸島へ向け航行。午前9時20分、上りの北風強く風速10m/s平戸島津吉漁港にて風待ちとする。平戸の瀬戸は潮速く、潮汐表を見て潮の転流時を狙って通過します。
*5月7日(火)平戸島津吉漁港を午前6時5分出港。佐賀県加部島漁港に午後3時40分入港。
*5月8日(水)加部島漁港を午後9時50分出港。霧がかかり出港を遅らす。船越漁港に午後2時30分入港。漁師の家の風呂に入れていただく。
*5月9日(木)船越漁港を午前6時50分出港。博多漁港へ午後1時45分入港。南極で一緒に越冬したK氏の出迎えをうける。







































8.博多漁港から鳥取港まで
*5月10日(金)博多漁港に停泊。4月19日(金)那覇港から黒沢さん、村田さんが乗り込み3名で航行していましたが、5月10日博多港で千葉県銚子市の田村さんが乗り込み4名で航行する。サッカーワールドカップを記念して韓国の釜山(プザン)への出国手続きをする。5月11日(土)博多漁港を午前11時出港。壱岐島芦辺港に午後4時30分入港。出入国管理局で出国手続き。

*5月12日(日)壱岐島芦辺港を午前6時30分出港。対馬島伊奈港へ午後6時入港する。対馬の万関瀬戸を通過。日本海に浮かぶ対馬は「オアシス」である。
*5月13日(月)対馬島伊奈港を午前5時30分出港する。韓国釜山港雲台ヨットハーバーへ正午に入港。入国手続き後に「地ビール」で乾杯。
*5月14、15、16日釜山港雲台ヨットハーバーに停泊。市内観光。サッカーワールドカップムードが盛り上がっている。15日出国手続きをするが前線通過のため16日も停泊。
*5月17日(金)釜山港を午前5時50分に出港。航行中に日本の巡視船に会う。国境の海を感じる。午後7時40分に対馬三浦漁港へ入港。
*5月18日(土)対馬三浦漁港を午前8時に出港。壱岐島芦辺港へ午後4時40分入港。
*5月19日(日)芦辺港を午前5時出港。博多港へ午前10時50分入港。入国手続き後「長浜ラーメン」で打ち上げ。黒澤さん、村田さん、田村さん3名が艇から降りる。5月20日停泊。南極で一緒に越冬したK氏が再来し乗艇。志賀島「金印の現場」に遊ぶ。

*5月20日(月)博多港を午前5時20分に出港。今日から一人旅の航行となる。山口県和久漁港に午後5時30分入港。流れ藻が多くスクリューにからみ付く。素潜りで3回潜り取り除く。21日停泊。
*5月22日(水)山口県和久漁港を午前5時10分に出港する。いよいよ日本海を北上します。島根県萩港へ午後0時10分入港。萩市で吉田松陰神社を参拝し市内観光。

*5月23日(木)島根県萩港を午前5時30分に出港。島根県浜田港に午後2時30分入港。浜田港で5回も係留場所を移動する。
*5月24日(金)浜田港を午前6時30分出港。温泉津港に午前11時30分入港する。エンジンアクセルのワイヤーが切れる。ワイヤーの交換修理をする。
*5月25日(土)温泉津港を午前6時20分出港。大社港へ午後0時10分入港。出雲大社に参拝。名物「わりこそば」を食べる。

*5月26日(日)大社港を午前5時20分出港。隠岐島の浦郷港へ午後5時30分入港。オートパイロット不調。予備機と交換する。5月27日(月)浦郷港から中ノ島港へ移動。後鳥羽天皇配所など歴史探訪する。5月28(火)は西郷港で停泊。洗濯と歴史探訪、エンジンオイル4リットル購入。

*5月29日(水)西郷港を午前5時出港。鳥取県鳥取港(賀露港)へ午後5時「鳥取砂丘」を左に見ながら入港。5月30日(木)鳥取港に停泊。バッテリーナンバー2が充電不足。使用8年のバッテリーを交換する。














































9.鳥取港から故郷富山県新湊港まで
*5月31日(金)鳥取港を午前6時15分に出港。兵庫県津居山港に午後0時30分入港。名湯「城崎温泉」にどっぷり浸かる。

*6月1日(土)津居山港を午前5時15分出港。京都舞鶴港へ午後3時に入港。憧れの軍港「舞鶴港」でY氏の出迎えがある。2日(日)は舞鶴港に停泊して舞鶴市内観光。

*6月3日(月)舞鶴港を午前6時15分に出港する。福井県小浜港へ午後2時入港。日本海の幸「岩ガキ」をいただく。うまい。

*6月4日(火)小浜港を午前5時15分出港。敦賀原発沖で藻がスクリューに絡まり潜って取り除く。敦賀港へ午後2時30分に入港する。

*6月5日(水)敦賀港を午前5時45分に出港。福井港へ午後3時40分に入港。故郷、北陸の海に入って感激する。

*6月6日(木)福井港を午前5時30分に出港する。石川県金沢港へ午後3時40分に入港する。金沢港へ元南極観測隊のメンバーYさん、福井さん(気象庁気象衛星センター所長)、召田さん(気象庁福井気象台長)が來艇。金沢港から福井さんと召田さんが艇に乗り込みむ。

*6月7日(金)午前9時30分金沢港を出港。能登半島の福浦港へ午後4時入港。今日から3名で航行することになる。

*6月8日(土)福浦港を午前5時に出港する。輪島の名船漁港へ午後0時30分入港。

*6月9日(日)名船漁港を午前7時出港。波穏やか、能登半島の先端を回り富山湾の遥かに「立山連峰」を拝す。能登小木港へ午後3時10分入港。小木港で召田さんが艇から降りる。

*6月10日(月)小木港を午前5時30分出港。雄大な「立山連峰」を仰ぎ、最高の天気に恵まれて故郷の「富山県新湊港」へ午後1時30分に入港。友人や兄弟の大歓迎を受ける。新湊港で福井さんが艇から降りる。地元の新聞数社の取材を受け紙面に大きな記事が載る。

*6月10日(月)故郷、富山県新湊港に錨を下ろした8日後の6月18日(火)に御母堂はる様が97歳の生涯を閉じました。まるで息子、多賀さんの帰りを待っていたかのように安らかに永眠したそうです。御冥福をお祈りいたします。御母堂様の葬儀を終え、心新たに7月1日(月)から日本一周を再開する予定です。


































10.故郷富山から粟島港まで

*7月1日(月)雨 富山県海老江漁港を午前6時10分出港する。新潟県姫川港に午後4時10分入港する。20日間の故郷滞在は夢の世界に居る思いと、母の永眠と云う悲しい何時か訪れる現実の中で過ごしました。気持ちの整理が一段落した今日、7月1日(月) 日本海を北に向けて出港しました。富山からの乗組員は、高校時代の友達の藤岡さん(茶道の先生)と私の弟2名と計4名です。

*7月2日(火)雨 姫川港を午前5時50分出港。柏崎港へ午後3時10分入港。梅雨前線が停滞し雨の中を出港する。乗組員は全員、山岳部員なので全天候型人間であり精神的にもタフである。時折、雨雲のなかに雨飾山、妙高山、火打岳が姿を現すと歓声が上がる。柏崎原発を左に見て入港する。末弟、志郎が富山から柏崎までの2日間の航海で「さよなら夕食会」の後、艇を降り富山へ帰る。

*7月3日(水)柏崎港を午前6時10分雨の中を出港。寺泊港に午後2時15分入港する。3日間の雨で船体もセールも人も潮抜きされサッパリする。途中、良寛の故郷、出雲崎漁港に3時間寄港し良寛記念館を参観する。そして芭蕉がここで詠んだ名句「荒波や 佐渡によこたう 天の川」に明日渡る佐渡島に想いをはせる。

*7月4日(木)天気は曇り後晴れ 午前5時35分寺泊港を出港。佐渡島両津港に午前11時50分入港。梅雨の合い間の天気に恵まれ、南東3m/sの風、波高50cmおだやかな海を渡り佐渡両津港「おけさのみなと」に入る。隣の漁船よりヤリイカを5ハイいただく。美味しいかった。

*7月5日(金)は佐渡両津港「おけさのみなと」に停泊して佐渡島の観光をする。

*7月6日(土)佐渡両津港を午前4時25分に出港。新潟西港へ午前11時45分入港する。佐渡はお天気に恵まれるも台風6号が東シナ海より日本海沿海州を通過するとの海上風警報発令を受信し新潟西港へ向かう。新潟にて 藤岡さんが富山ー佐渡ー新潟と6日間の航海で艇を降りる。また新潟西港にて21次南極で一緒に越冬した新潟大学のK先生が息子さんとお孫さんを連れて来艇。話が弾み楽しいひと時でした。

*7月7日(日)曇り時々雨 新潟西港を午前5時45分に出港。粟島港に午後1時15分入港。台風6号の余波 南西5m/sの順風をうけ、残雪豊かな飯豊連峰を雨雲の合い間から仰ぐ。38マイル北北東にうかぶ粟島港に入る。真竹の新緑が柔らかく美しくしなる。 人口450人の粟島は黒鯛が釣れる釣り人憧れの島です。






































11.粟島港から金浦漁港まで
*7月8日(月)粟島漁港停泊 「何んにも無いを、楽しむ島」をキャチフレズにする島の魅力にひかれ「何んにもし無い停泊日」とする。昨夜漁師さん兼民宿のご主人と役場の方がヒラメとアジをもってみえ、岸壁で漁師さん直伝の造りを教わり酒盛りとなる。粟島の海は、豊かで限りなく美しく、時の流れは穏やか。

*7月9日(火)粟島漁港を午前5時10分に出港。酒田港に午後0時20分入港。曇り空、雨はもちそうである。西風4m/sの順風をうけ39マイル快走する。鳥海山が次第に大きく見えはじめ残雪を仰ぎながら山形県酒田市の港に入る。北前船で栄えた重厚かつ粋な文化に出会う街である。南極砕氷艦「しらせ」艦長のご紹介で友人のS氏がモヤイをとってくださる。なんとも有難い。S氏のご好意で、弟と一緒に土門拳記念館のある素晴らしい公園、山居倉庫(庄内米歴史資料館)、本間家旧本邸、参観。そのあと、鳥海山山ろくの八幡町立 鳥海山荘で温泉にどっぷりつかる。

*7月10日(水)酒田港 停泊第1日目、台風6号 紀州沖接近。弟の勇が、富山ー酒田 10日間の航海を終えて富山へ帰る。初めてヨットに乗り良く健闘した我が弟である。
*7月11日(木)酒田港に停泊2日目。台風6号が金華山沖を通過。

*7月12日(金)酒田港を午前4時40分に出港。飛島漁港に午後0時10分入港。台風6号の余波で波高2m、加えて最上川の増水で流木とゴミが流れ出て、半速前進。海原は茶色く砂漠みたいだ。13マイル沖に出てようやくうす緑色から本来の群青にもどっつた。かって 大みかカヌー同好会の原野さんとカヤック2艇で、最上川上流の大石田から清川までの70kmを下ったことを想いだす。最上川の偉大さに敬意をおくる。飛島は長さ約3km、幅約1km まっ平な島です。鳥海山山頂から見たときは、日本海に浮かぶ空母のようでした。新潟からのヨット「睡蓮」が入港しており、隣に係留する。

*7月13日(土)飛島漁港を午前6時出港。金浦漁港へ午前10時40分に入港。南西の風 6m/s 波1.5m 5ノットで快走する。金浦に近付く頃より流木と海の色が薄緑に変わる。金浦は白瀬中尉南極探検隊長の故郷。6年前、同記念館を訪ね白瀬中尉のお墓にお参りし、何時か、この港にと思っていた港に入港し喜びに浸る。 「白瀬中尉をよみがえらす会」(私も会員)のS氏に再会して白瀬中尉のお墓にお参りし、白瀬南極探検記念館を表敬訪問する。

*7月14日(日)金浦漁港停泊第1日目。台風7号の影響を受け上空の梅雨前線が大荒れ。12次南極越冬隊で一緒に越冬した秋田大のK氏が訪ねてくれる。記念館で「帆船と極地探検家シャクルトン特別展」(10/31まで)を見て南極を身近に感じ語りあった。

*7月15日(月)金浦漁港停泊第2日目。台風7号が奄美大島名瀬に接近。その影響を受け昨夜以来8m/sの風と1時間30mmの激しい雨が止まず。警戒を要す。

*7月16日(火)金浦漁港停泊3日目、台風7号が房総沖を通過。金浦は今日も終日雨。白瀬中尉の生家である浄蓮寺の17代目白瀬知和御住職に面会を、お願いして極地探検に生涯の夢をかけた 白瀬中尉の素晴らしいお話を伺い感激しました。










































12.金浦漁港から北海道松前港まで

*7月17日(水)金浦漁港を午前6時出港。秋田港へ午後3時30分に入港。台風7号の余波の海に漕ぎ出す。秋田港付近は一面、雄物川の増水で押し流されたゴミ、流木と土砂で海面は茶色、緊張は艇を舫いをとるまで続いた。秋田港で日立OBのMさん、第21次南極越冬隊の秋田大学K先生、第27次南極越冬隊の秋田大学 I先生が来艇して楽しいひと時を過ごす。

*7月18日(木)秋田港停泊1日目。 昨夜は、日立OBのMさんのお招きにあまえてご馳走になり、風呂に入れてもらい畳の上で大の字になって寝かせていただいた。 畳の上での睡眠は充電した後みたいに体が軽い。

*7月19日(金)秋田港を午前8時30分出港。男鹿半島の戸賀漁港へ午後0時50分に入港。今日は日立OBのMさん、第21次南極越冬隊の秋田大学 K先生が一人で、可哀想だからと同乗(情)してくださる。なんとも有り難い。あいにくの雨もようであったが、待つこと1時間半で雨も上がり南西の順風を受けて出港する。男鹿半島の山々が美しい。海に落ち込む滝も有り壮観。半島めぐりの観光船が走り洞窟をくぐりぬけてゆく、帆船では間違ってもできないことである。戸賀 の港に入り、秋田ー戸賀 のセーリング完結し秋田に帰る御両人をバス停にて見送る。

*7月20日(土)戸賀漁港停泊1日目。前線通過の激しい風雨で停滞とする。港の前にある男鹿水族館を見学していると第27次南極越冬隊の秋田大学 I先生から電話が入り、戸賀停泊を伝えると車で行くとのことで11時ころ奥様とおみえになる。どしゃ降りのなかであっても車の中は快適であり、つくずく完成された乗り物と思う。I先生は教育文化学部自然環境講座生物の先生で「マール」と呼ばれる丸い特異な形態をもつ爆発的な噴火によって生じた火口湖 一っ目潟、二っ目潟を見せてもらい、豪快な石焼料理、なまはげの真山神社、男鹿温泉と男鹿の魅力にどっぷりつかり楽しい日となりました。午後から雨もあがり、日本海の夕陽がすばらしかった。

*7月21日(日)戸賀漁港を午前4時30分出港。青森の深浦漁港へ午後2時10分に入港。南西 6m/sの順風をもらったので、能代港を深浦漁港に変更し45マイルさきの艫作埼(へなしさき)をめざす。対馬海流の1ノットの流れにも乗って6から7ノットで白神山地の山々がせまってくる。深浦漁港は北前船の湊で、北前船にも積まれた「神明宮のトヨの名水」を補給した。

*7月22日(月)深浦漁港を午前4時30分出港。北海道の松前港へ午後3時10分に入港。
今日も南西 6m/sの順風である。小泊港入港をやめてや一気に津軽海峡を渡り48マイルの松前を目指す。岩木山を拝し、竜飛岬を2時方位に見る。以前、日立会集団登山で登った岩木山と青函トンネルの巻上機の試運転で出張した懐かしき所だ。
再び、今日、渡る津軽海峡に感動新たなり。
2000年5月函館に渡ったときは、「函館の女」であったが、今日は「津軽海峡夏景色」である。












































13.松前港から奥尻港まで

*7月23日(火)松前港停泊1日目。「松前の5月は江戸にもない」とうたわれた城下町を散策する。歴史の重みを感じさせる。街の人びとの桜にたいする思いやりが素晴らしい。今度は桜の5月に来たいと思う。
パワーボートを楽しんでいる歯科医のT先生に知り合い、先生の仲間の松前高校M校長、M教頭先生夫妻、写真屋さんのSさんと一緒にT先生の家に招待をうける。奥様の手料理と溌剌した中3の息子さん、82歳のお元気なお母さんと共に有り難いひと時をいただきました。

*7月24日(水)松前港停泊2日目。松前市見物は1日で回れず、2日目の歴史探訪をする。

*7月25日(木)松前港を午前5時30分出港。江差港へ午後12時10分に入港。
山瀬の7m/sの風をもらって6マイル走り、ヨシ島を回ると聞いていたとうり風がピタリと止んだ。江差の手前の大崎を回ると8m/sの川筋の風と潮流で8ノットで走る。かもめ島を回り、江差港に入る。

江差海上保安署の海上保安官が昨年10月に那珂湊海上保安署から発信された「極高サンライズ」の日本一周訓練航海計画書のテレタイプ紙を持ってお見えになる。「困っている事は、ありませんか」と親切な言葉に感謝、感激。海流の流れ状況を本署にて教えていただく。

江差追分記念館で午後2時30分からの名人の「江差追分」を聞くことが出来た。その後、榎本武揚率いる幕府の最強艦「開陽丸」が座礁沈没したところで係留した300mの所と聞いて驚いた。開陽丸青少年センターで引揚げられた開陽丸の船具、武器、往時の書簡を見ながら幕末の世界に遊ぶ。そしてオランダにて造られたこの軍艦の発注者としての管理監督と造船技術、操船航海術をマスターするため16名の人がオランダに渡り3年幾月の訓練に感銘を覚える。また倒れんとする幕府をして、この先見性と国家戦略をもったリーダーに敬意を表したい。夜 松前のT先生から紹介された、江差のヨットマン歯科医のN先生ご兄弟にお会いし楽しい時間が過ぎた。

*7月26日(金)江差港を午前8時出港。奥尻島 奥尻港へ午後2時30分に入港。朝 霧のため待機する。霧が上がり出港する。風弱くうねり0.8m奥尻島が見えてから5時間大きな美しい島である。(本州含む27番目の大きさ)岸壁で 江差のヨットマン歯科医のN先生の友人、スーパー他経営のTさんの出迎えをうける。Tさんの車を貸して頂いたので、有り難くお借りして、青苗にある奥尻島津波館を参観する。1993年7月12日午後10時17分 M7.8の地震が南北海道を襲い、震源地に近い奥尻島は地震直後の津波により大きな被害をうけました。23mの津波、198名が犠牲になる。現場に立ってみると悲しみがこみあげてくる。ご冥福を祈りました。島は、すごい努力のうえに復興しています。

*7月27日(土)奥尻港停泊1日目。航空自衛隊の奥尻レーダーサイトを表敬訪問。(建物の外のみ見学)真冬の厳しさを思うと、国を守る御苦労に頭が下がる。





































14.奥尻港から余市漁港まで

*7月28日(日)奥尻港を午前5時出港。須築漁港へ午後3時30分に入港。
出港して20分ぐらい経った頃、Tさんが愛艇「海響」 250HPのエンジンを響かせ見送ってくださる。帽子を振りながらジンとくるモノがあり。「気をつけて」の言葉を有難く心にいただく。しばし砕氷艦「ふじ」が南極にむかい横須賀沖を通るとき、横須賀の護衛艦隊のお見送りをうけ、「帽をふれ」の号令とそのときに、タイムスッリプした。稲穂岬は三角波がぶつかっていた。須築漁港は茂津多岬の南1.5マイルにある静かな湊で、お店が1軒もなく、旅館が1軒あった。

*7月29日(月)須築漁港を午前5時出港。岩内港へ午後3時40分に入港。
日本一の高さにある150mの茂津多岬灯台に敬礼をおくり、針路30度に変進。岩内まで1ノットの反流があり、岩内方向に向かうには逆流となるが、文句は岩内である。午後4時 山の知人(以前北アルプス黒部五郎から太郎平の縦走路でお会いし時々手紙を交わしていた)倶知安のT御夫妻が来艇。5年ぶりに再会する。お互いの元気を喜び「さっぽろビール」で乾杯。(奥様は運転のためノンアルコール)ジンギスカンが1段と美味しく御馳走になりなした。また江差のN先生の友人、共和町役場の御夫妻が来艇。ヨットの基本デインギーのこと、ナホトカ ヨットレースで小林則子さんと参加されたことなど楽しくお伺いした。

*7月30日(火)岩内港を午前8時出港。余別漁港へ午後2時30分に入港。
朝 霧、視程300m。8時頃霧が上がりはじめたので出港。泊原発2基の安定運転継続と3基目の無事故建設完成を祈り敬礼。巡視船が停泊警戒の任務にあたっており国境の海である。本船に敬礼を送る。憧れの神威岬をまわる。絶壁と岬の沖にそそり立つ40mの神威岩、9mのメノコ岩、更に沖まで白波がかんでいる。水深計をいれ50m深度をキープしてまわる。神威岬をまわると山越えの風が12m/s、一面の白波である。予定通り神威岬の東2マイルの余別漁港に入る。風強く港内でのメインセール下ろしの作業が困難。沖に出て帆を下ろし再入港する。狭い港に船がぎっしり並んでいる。30分ぐらい風の挙動と留める所の水深を慎重に調べる。漁港の方が漁協の2階で見てくれ着けられて困る所は手を振ってくれるから心強い。風の弱い時をみて無事接岸する。2m行き過ぎると追突する狭い所であり、前の船の船長さんに停泊の了解をいただきホットした。

*7月31日(水)余別漁港停泊1日目。朝から雨。終日、雨の予報を聞き停滞とする。今日で7月も終りだ。出港して290日目を「さっぽろビール」で乾杯する。

*8月1日(木)前線通過のため余別漁港に停泊2日目。茨城県税事務所に免税軽油の使用実績と次の半年分の申請書を作成し、那珂湊マリーナに代行委託届を添付し送付する。2月の沖縄から7月の北海道まで4800kmを648リッターで走った。

*8月2日(金)余別漁港を午前5時出港。余市漁港へ午後1時10分に入港。
我等が青春のウイスキーと思うニッカー余市工場を見学した。緑の工場内で美味しいモルトを飲みながら「ウイスキー造り」をスコットランドに学び鉛筆1本で克明なメモで技術を持ってきた創業者、竹鶴政市、リタ夫妻に感謝する。余市は また宇宙飛行士 毛利さんの故郷で宇宙記念館が新しく完成していた。漁師さんが「余市は魚、野菜、果物、水、温泉、人、みんな良い所だ」と言っていた通りだった。











































15.余市漁港から焼尻島焼尻港まで
*8月3日(土)余市漁港を午前5時30分出港。小樽港へ午前9時30分に入港。
石狩湾沿岸は1ノットの反流があった。小樽港3マイル沖でヨットレースが開催されていた。、15艇のデインギーが白波の中を快走している。さすが札幌、小樽だ。小樽入港後、M南極越冬隊長の紹介でヨットで9年間をかけ、ホーン岬を回り南極パーマ半島に上陸した世界1周のK氏(札幌在住)にお会いする。写真を見せてもらいその素晴らしい、凄い世界と想像を絶するチャレンジ精神に心から敬意をはらう。今、その航海記を執筆中とのこと。完成が待ち遠しい。午後4時、石原裕次郎記念館前で12次、21次隊で共に越冬した北大のY先生、I先生、札幌のKさんと再会する。ヨットに案内して先ずは乾杯。積もる話に楽しい時間が過ぎて行く。2次会は小樽名所の「すし屋街」で御馳走になった。鮨も美味しかったが、それ以上に懐かしくて、楽しくて、しばし昭和基地にいる思いがした。

*8月4日(日)小樽港を午前5時15分に出港。雄冬漁港へ午後1時10分に入港。札幌からの東風12m/sをもらい、7ノットで快走する。イッキに石狩湾を渡り、暗礁に警戒しながら雄冬漁港に入る。ここは、30年前の映画、高倉健主演の「駅」のロケ地である。冬の渡船場(当時は車の通る陸路無し)の断崖絶壁から吹き降ろす吹雪がより一層、高倉健を引き立たせていた。その断崖絶壁は、いま夏の日差しを受け明るくそこにあった。よろずやさんのおばさんに「駅」のことを訪ねたら なつかしい顔をして「あの時の小学校は火事でなくなったんだよ。」と話してくれた。

*8月5日(月)雄冬漁港を午前5時45分出港。留萌港へ午後1時30分に入港。波 穏やかにして0.5m、昨日 増毛マリーナのU氏が来艇され増毛マリーナを紹介してくださるも、マリーナに電話連絡して留萌に向う。留萌港は広くて立派な港であるが、小さなヨットには大きすぎ繋留場所に苦労する。一番奥の烏賊つり船の中に入れてもらう。烏賊つり船は、鳥取県、 石川県の船籍で6〜10月の間、操業する。出張している船で「旅の船」と呼ばれている。なんとも港らしい情緒がある。留萌海上保安官が来艇され、これから渡る焼尻島、天売島の定置網、帆立貝漁場の海図のコピー頂き安全なルートを教わる。市港湾管理課員来艇され管理費を支払う。1ヶ月単位で1820円、北海道らしい大らかななシステムである。

*8月6日(火)留萌港停泊1日目。夜来風雨強く、風が変わる。港内の波に押さえられるので対岸の風上側に移動する。夕刻、雨があがったので千望台に自転車で登る。眼下に緑の街、留萌が広がる。登り1時間15分、下りはブレーキを掛け通しの15分。広い坂道を「コンドルが飛んで行く」を歌いながら滑空した気分。

*8月7日(水)留萌港停泊2日目夜来風雨 再び来る。今日は、富山の高岡より乗艇者、田上さん来たる。田上さんは今年、日立を定年退職され、故郷高岡で高岡工芸高校の非常勤講師をされている。日立大みか工場検査部時代ともに仕事をした仲間である。午後5時、留萌駅に出迎える。長旅にもめけず元気な顔に再会する。

*8月8日(木)留萌港を午前5時10分出港。焼尻島焼尻港へ午後3時30分に入港。曇り時々雨、北東の風 波高1.5m の天気予報を聞いて出港する。田上さんには少し酷な海上模様なる。具合が悪ければ23マイル先の苫前港に入る予定。田上さんは初日の船酔いと闘いながら31マイル渡りきり緑麗しき焼尻島に着く。船酔いは陸に上がれば即、開放されるので二日酔いよりずっと良い。









































16.焼尻港から礼文島香深井漁港まで
*8月9日(金)焼尻島焼尻港を午前11時30分出港。天売島天売港へ午後3時20分に入港。今日の航程は天売島まで7マイルなので午前中は、焼尻島一周12kmを徒歩で観光する。漁師さんに挨拶をかわして歩いていくと、「家の車で行きなさい」と車を貸してくれる。御陰様でゆっくり見て回れ木漏れ日のさす森を散策した。10mもの枝を広げる老樹「オンコの荘」が素晴らしかった。森は生き生きしており、島の人の森に対する敬意が伝わってきた。お礼代わりに2Lのウーロン茶と緑茶を持って車を返しにう伺うと、家でお茶と自家製のウニ漬けをご馳走になり甘い余韻が口の中に残った。天売島までの航海は波穏やかにして、田上さんに余裕がでてきた。天売島は「100万羽の海鳥と500人の島民が共存する島」と観光案内に書いてあった。オロロンと鳴くので通称オロロン鳥(うみがらす)と親しまれている。ペンギンそっくりのオロロン鳥は昼、沖に行っているそで写真だけを見た。数が減って1300羽とあった。天売島も一周12kmで最高の標高は184m 自転車で一周し最高点からの滑空で又「コンドル」になった。明日、渡る利尻島利尻岳が水平線のかなたに端正な姿を浮かべている。

*8月10日(土)天売港を午前5時10分出港。利尻島沓形港へ午後4時20分に入港。北東の風 波2m、白波のかなた41マイルの利尻島をめざす。雲が晴れて日本百名山の利尻岳(1721m)見える。登りし山は何時見ても親しみがあり格別である。人は、この気持ちを頂きたくて山に登るのかも知れない。利尻島の仙法志漁港が真上りとなるため沓形港に変更し無事入港する。利尻岳が仰ぎ見る高さにあり、似ている山姿に〜シェーン カンバック ミー〜のシーンを思い出す。沓形港の隣に新湊港あり、富山の新湊から移住した人々が開拓された街ときき懐かしく思う。春の選抜に新湊高校が出場した時 応援団が行き、また新湊市長が訪問された話を聞いて富山の血がさわぐ。近くに町営温泉あり、どっぷりつかる。日本海の夕陽 黄金色に輝く。那珂湊を出港して300日目と利尻島到達を祝し「めざし」なれども「お頭付き」で祝う。

*8月11日(日)利尻島沓形港を午前10時10分出港。礼文島香深井漁港へ午後2時30分入港。今日は日本最北限の島、北緯45度30分、東経141度4分の礼文島に渡る。沓形港から礼文水道を挟んで9マイルの香深港をめざす。香深港は広いフェリーの岸壁があり、そこから港内を通り、隣の漁港に移動していると水深が6mから2m、1mと浅くなり減速しUターンしたところでバラストの底辺が着く。下は浅く岩がみえる。慎重に周りを見て微速後進をかけると同時に田上さんに船首から竹竿を差し押してもらい自力脱出した。広い港内で安心し油断してしまった。猛反省の日だ。幸い減速し微速であったので船体へのショックは微小であることで救われた。港内の連絡航路といえる中央部に障害標識も無く暗礁が放置されているのは港湾管理の怠慢と思う。ここで肝を冷やしているヨットに、昨年10月に会って、昨日電話して確認しておこうと田上さんに話しながら、電話しなかった。これは私の怠慢であった。港外を回り隣の漁港に入るも工事中で停泊できず、2マイル北にある香深井漁港に入った。200m幅のこじんまりした静かな湊で利尻岳が正面に見えた。係留後船内船底のバラスト取付部を点検し異常の無い事を確認する。

*8月12日(月)香深井漁港停泊1日目。第38昇運丸A船長の了解を得て横付けさせてもらう。また御好意にあまえ軽トラを借りて北端のスコトン岬、南端の知床、西海岸の桃岩、地蔵岩、猫岩の奇岩、絶壁を見る。花の礼文島は観光客で賑わっていた。港のスタンドで給油していると礼文名物ともいえるユース桃岩荘のフェリーで帰るお客さんの見送り風景にであった。6年前は船上で見ていたが今度は岸壁である。7人のスッタフが歌い踊り応援団のエールを贈っていた。彼等は船が出て防波堤で人が見えなくなった後も声を出してエールをおくり、船の煙突が見えくなるまで見送っていた。誠意あふれる、その見送の心に感激させられた。夜はA船長が可愛いお孫さんと家の方と来艇。海の話をうかがった。つくずく油断大敵と知る。






































17.礼文島香深井漁港から紋別港まで
*8月13日(火)香深井漁港を午前5時20分出港。稚内港へ午後1時30分入港。南東の風6m/s 波1.5m 29マイルの野寒布岬をめざす。右手前方より時々スプレーを浴びる。野寒布岬をまわり4マイル稚内港に入港した。これで田上さんの6日間の航海が完結し艇を降りる。午後6時、21次隊で越冬したTドクターが来艇。6年ぶりの再会を喜ぶ。ドクターは市立稚内病院長の要職にあり、幻の大魚イトウ釣りの日本一の釣師であり観察者である。釣ったイトウはすべて計測記録し、キャッチ アンド リリースを続けながら、イトウの生態研究に熱中されている。その記録を1999年に山と渓谷社から出版された。「イトウ 北の川に大魚を追う」文 高木知幸  撮影 阿倍幹雄。そして2002年5月第2弾目の「幻の野生イトウ走る」(北海道新聞社 同共著)を上刊された。著者サイン(イトウの体形)入りの御本を田上さんと共に頂戴する。「オッパー」を彷彿させる、引き込まれる名文と迫力あふれる写真で釣り人ならずとも万人にお奨めしたい記録です。船で上刊に、田上さんに、稚内に、乾杯し、街で美味しい海の幸を頂いた。
*8月14日(水)稚内港停泊1日目。田上さんが富山へ帰る。夜、ドクター宅で泊めていただき大の字で休む。有難い。

*8月15日(木)稚内港を午前9時00分出港。東浦漁港へ午後3時30分入港。午前8時、ドクターに送ってもらい岸壁でお別れする。とても楽しかった時間に感謝する。出港して、しばらくの間、7階建の市立稚内病院が良く見え病気の方々の快気を祈り、しばし敬礼をおくる。午後0時5分、日本の最北端宗谷岬をまわる。おりしも風が変わり三角波のなか3ノットでタックする。那珂湊から沖縄までの1ラウンド、そして宗谷までの2ラウンド、そしていま那珂湊に向けての漕ぎ出したばかりの3ラウンドを強く意識する。これからが霧の多発地域、最多発の7〜8月であり潮の流れの速い1.2マイル巾の狭い海峡の中央の国境を越えないように左警戒、右定置網注意である。そしてあせらずに冬将軍の尖兵がくるまえに道南まで南下を目標とする。東浦漁港で漁師さんからホタテ貝をいただき網に入れ「いけす」とする。刺身とバター焼きで最北端通過のお祝いをさせてもらった。

*8月16日(金)東浦漁港を午前5時10分出港。枝幸港へ午後2時20分入港。午前4時59分、防波堤より昇る久しぶりの御来光を拝す。青空90%の快晴なり。オホーック海より利尻岳を見ゆ。オホーックの沿岸は大規模な牧草地帯で緑が美しい。神威岬が見え出す頃より雲量7となりお天気が、あやしくなる。大きな枝幸港に入港する。
*8月17日(土)枝幸港停泊1日目。のぼりの南東の風と雨で停滞とする。艇内の整理整頓。午後雨上がり、夜 港の花火大会をたのしむ。気温16度、セーターを着ている人多し。
*8月18日(日)枝幸港停泊2日目。のぼりの南東の風継続と濃霧注意報により停滞とする。艇内の時計が遅れる傾向が、あり、分解掃除して貰いよみがえる。3500円は有難い。近くに町営枝幸温泉が350円は、これまた有難い。

*8月19日(月)枝幸港を午前5時15分出港。紋別港へ午後4時30分に入港。高曇り東の風5m/sを進行方向10時に貰う。波高1.5m 気温18度 気圧1002hpa上昇傾向で良好な兆しを示している。紋別港まで52マイル(95km)の長丁場に気合を入れる。午前9時17分に海上保安庁の紋別海上保安部救難課、北村保安官より現在地の確認と紋別入港後報告するよう御指示をいただく。オホーック海の2mのうねりの波高から見る水平線の薄緑色が美しい。紋別港入口右側に、鬼瀬とよばれる暗礁が有り白波がたっている。港内の作業船に横付けしていると紋別ヨット協会N会長が、お見えになり、ヨット協会の船を係留している新しい船溜りへ移動する。N会長に岸壁で舫いをとって頂き有難く感謝する。紋別海上保安部救難課へ入港の報告。紋別ヨット協会のヨット「BEYOND」が係留されており、そのとなりに係留させて貰った。「BEYOND」はグランソレイユ34フイートの素敵な艇で、この厳しい海でサハリンにも親善訪問している。協会のメンバーの意気込みが艇から感じ取れる。艇名通りその彼方を夢見るオホーックの海によく似合う良い名前と思った。







































18.紋別港から網走港まで
*8月20日(火)紋別港停泊1日目。台風13号が銚子沖350kmを北上中。艇の底の対水速度計のプロペラに貝が付いたらしく速度が落ちてきたので潜って点検する。海水温16度 気温18度、カヌー用の2mmのウエットスーツでは10分が限界、艇に上がっても、膝が自然に震えており、発熱作用する身体のしくみに寒心しつつ首も縦に振る。夜、紋別ヨット協会のN会長、U兄弟と居酒屋で歓談しながら北の海の幸を御馳走になる。ツボ鯛 八角田楽(タツノオトシゴに似たオホーック産クロッコダイルのような精悍な顔つでで脂が乗ったアジ)、ホッケの焼き物、つぶ貝、ほっき貝、1人1品でも、この豪華さで中華料理のように取り合って全部の美味しさを満喫しました。
*8月21日(水)紋別港停泊2日目。台風13号は岩手県沖を北上中。台風対策のため、もやい4本から8本に増やし風が全方向に回っても耐えられるように200m斜め対岸の岸壁よりロープを張る。Uさんが車を貸してくださる。有難く借用させていただき北大低温研紋別流氷研究所に表敬訪問、26次南極越冬隊のI先生にお会いし南極や越冬した低温研メンバーの思い出に暫し遊ぶ。流氷研究所内は極地の専門書が並び昭和基地にいる雰囲気があった。紋別測候所を訪ね台風の状況と、これから向かう霧多発海域の霧の発生メカニズムについて基本的なことを教えて頂く。Tさんの説明で少し霧が晴れる思いがしたが、ここの霧は、南風、山瀬の冷たい風、太陽の熱射などのパターンが、複雑に関連し研究すれば霧がないとの事がわかった。霧が出たら動かない事を改めて確認する。
*8月22日(木)紋別港停泊3日目。台風13号襟裳沖を北上し熱帯低気圧に変わる。低気圧どうしが結合し勢力が衰えず15m/sの暴風警報が出されたまま。「極高サンライズ」は、木の葉のように揺れて、振動でパソコンの画面の文字読むのも困難。
*8月23日(金)紋別港停泊4日目。台風13号の余波で、うねり6m。艇を係留している所は、紋別の新観光拠点で海氷展望塔オホーックタワー、オホーック流氷科学センター、健康プール、流氷観光船砕氷ローター(アルキメデイアン スクリュウー)を2本搭載した「ガリンコ号U」がある。半アーチ型の防波堤回廊は、夜は、21時までライトアップされ横浜にいるような都会的なムードである。海氷展望塔オホーックタワーは、昨日まで荒天のた営業停止していたが、本日開いていたので見学した。海底7.5mにエレベータで降り海底を覗いたが時化で泥が渦巻いていた。大航海時代から「船乗り」は、水を怖がると言われているが、海底を覗いて同感した。展示設備、資料の豊富さに感じいる。水族館の水槽に「フサキンポ」がいた。出港できない時の私のようだ。午後、紋別の街が一望できる大山のオホーック・スカイタワーから雄大な北海道を見た。樹木の梢が色付いて、小さな秋を見つけた。
*8月24日(土)紋別港停泊5日目。朝5時15分に出港が向風6m/s、うねり4mで好転せず、午前8時30分に紋別港に戻る。高い岸壁で接岸用ブイの下ろしたロープを自艇のスクリュウに絡ませてしまう。潜って取りはずす。Uさんに出戻り報告。車を借りて30km先の湧別漁港に下見に行かせて貰う。ここは、小型船舶港湾案内に掲載されていなく、網走までの避難港として見ておくと心強い。湧別漁港は一部工事中なるも広い港であった。ただ港口が狭いので時化たときには、こわいようだ。夕方Uさん所に伺うと紋別ヨット協会の格納庫でのバーベーキュウに誘って頂く。ご馳走になる。午後8時頃、ホッパクラスのレース艇を車に積んで、夜通し走り根室の大会に出場される紋別ヨット協会の意気込みに乾杯。

*8月25日(日)紋別港を午前5時10分出港。網走港へ午後3時30分に入港。天気曇り 北の風6m/s 波、うねりともに2m。順風にして穏やか。能取岬をまわり定置網に警戒し網走港に入る。大きな港である。小型船船溜りに入れていただくが風変わらず岸壁に押されるので、対岸の作業船に移動する。網走外洋帆走協会のTさん Nさんがお見えになり網走川口に係留されてる自艇「CAREFREE号」に横付けさせて頂く。街の明かりが対岸にあり大都会だ。
*8月26日(月)網走港停泊1日目。海上保安庁、網走海上保安部をNさんと訪ね国境の海域についてロシアが主張する国境、潮流、霧、流れ海藻等に付いて教わる。有難い。ここから知床半島をまわり釧路までは、緊張すべき難所でる。川の水温が22度と高いので船底掃除を予定。先ずは厚手のウェットシーツの購入であるが、網走外洋帆走協会のおかげで5mmの中古品を格安で入手できた。それは威力を発揮し1時間半も作業でき船底に付着した貝、海藻をすっきり落した。これで4ノットが5ノットにあがることを期待する。1ノットは、20%だから大きい。夜、Nさんの艇で網走外洋帆走協会のメンバー5名が歓送会を開いてくれた。これから先の情報だけでも有難いのに感謝いたします。











































19.網走港から根室港まで
*8月27日(火)網走港を午前5時10分出港。知床岬地区宇登呂漁港(通称文吉湾避難港)へ午後2時40分に入港。天気高曇り、南の順風7m/s 気温20度 波高1.5m 左に羅臼岳、右に斜里岳の日本百名山を仰ぎ見て網走を出港する。6年前 ナナハン(ヤマハXV)にまたがりシューンになった気分で走り、息を切らして、熊よけのカウベルをカラン コロンと鳴らしながら登った山を仰ぎ見る。羅臼岳の登山口で温泉に入る時間もなく温泉の臭いをかぐだけだった。知床岬10マイル手前で教わったルシャ(太平洋側からの山瀬)である。15m/s風が、吹き降ろし一面白波となる。最低鞍部からは、黒雲が押し出ていて凄まじい様だ。幸い真横に受ける風は順風なので8〜10ノットの快走でまたたくまに知床岬が近くなった。知床岬地区宇登呂漁港(通称文吉湾避難港)へ入港。文吉湾避難港には番屋が2軒あって漁師さんが7人居た。漁師さんへ「灯台まで行って来ます」と言うと「熊が出るぞ」とのこと。高台まで、けのも道を登る。いかにも熊が出そうなので引返す。漁師さんの夕食の中に入れてもらいビールを御馳走になる。ここの電気は45KVAの自家発電で周波数の安定が悪いとのこと。ガバナの点検調整をして夕食の御礼が出来た。
*8月28日(水)知床岬地区宇登呂漁港停泊1日目。朝5時出港。知床岬を回ると向かい風7m/s、波高3m、早々に引き返す。スクリューに藻が絡み付く。帰港後、素潜りで藻を取り除く。厚手のウェットスーツのおかげで震えずに出来た。

*8月29日(木)知床岬文吉湾避難港を午前7時15分出港。羅臼港へ午後1時30分に入港。朝、南東の向かい風、停滞と決めて番屋に顔を出し漁師さんに「今日は向風で停滞し北風を貰って出ます。」と話すと「北風が吹き付けると岬にとんでもない大きい三角波が立つ」「今日は、まもなく風が北に変わるから今のうちに出ろ」と教わり「出港用意」を号令する。(大きな声で号令をかけると気持ちと体のベクトルが一致し動きがスムーズになる。高校球児のベンチ前の知恵である。)2mの波で上りの風を受け岬を回りオホーツク海より根室海峡に入った。知床の豪快な山々の頂きには暗雲が有り、昨夜の雨のせいか滝3本が懸かっている。午前8時56分ガスが上がり始め薄日が射す。カール(圏谷)に雪渓あり海のアルプス知床の美しさに見とれる。風が変わり始め北にまわる。漁師さんの言葉通りであることが嬉しく有難い。ルサ川沖でオホーツク海からの山瀬をもらい10m/s白波一面の海を8ノットで快走する。羅臼港に入り舫いをとっていると、羅臼海上保安署のY次長が御来艇。根室半島付近は、定置網、浅瀬、霧が多いので乗り上げに十分注意して航行するようアドバイスを頂く。「釧路保安のMさん(21次南極越冬隊通信担当で一緒に越冬した隊員)が待っているよ」と嬉しい伝言。夕方 港のすぐ近くの高島屋旅館の温泉を頂く(350円)。良いお湯で疲れが取れる。羅臼の町は、いたる所で谷水がホースで引かれ用水受けにコンコンと溢れて流れを暫し眺める。なにしろコップ1杯の水を手に受けて右手で右目、左手で左目、残りで鼻と口を洗う生活レベルからみると、豊かな別世界だ。もう1泊したい港である。

*8月30日(金)羅臼港を午前5時30分出港。根室港へ午後4時30分に入港。今日は国境の海かつ浅瀬の野付水道だ。幸いに霧が晴れており出港する。午前11時39分釧路保安より「30日9時観測、11時30分発表、函館海上気象、海上濃霧警報、北海道南方および東方海上、釧路、日高沖では、所々で濃い霧のため視界が悪くなり、視程は0.3海里以下、津軽海峡では次第に視程がわるくなり0.3海里以下。この警報の対象期間は31日09時までです。終、さよなら」の警報を受信。周りを見渡して今のところはこの警報の所々にあたっていない事を確認しながら、より現在地のプロットを細かくするよう心がける。野付水道に入る。水深が水道の中央で8mから5mになる。砂が潮流で移動するため水深が変化する海域で、3mより浅くなったら減速Uターンと決めて進む。砂地であることが気持ちを軽くしてくれる。漁師さんが笑って「砂地だから底に付いたら、いきあしを止めず、そのまま乗り切ればいい」と言っていたが、初めての海でそれをやる度胸を私は持ち合わせていない。国後島が間近い。ロシアの警備艇が高速で国後島のケラムイ埼から現れ北上している。野付水道のセンターを越えていないことをGPSで確認「ヨシ」。釧路保安よりレーダーによるロシアの警備艇の出動の連絡を受ける。午後1時40分巡視船より本船の位置まで戻るよう指示を受ける。国境の海域で保安庁の巡視船を見るのは心強いかぎりだ。PC205小型巡視船に敬礼を送り、ハンド拡声器から「ロシア主張海域に注意して御安航ください。」と有難たい言葉をいただき「承知しました。有難とうございます。」と大声でお礼する。巡視船は羅臼港の方向に向かって行った。弁天島を2時の方向に見て根室港に入港する。霧がゆるく流れてきた。今日は緊張していたのだろう。何時も、にがく感じる緑茶の一服が甘く深くい味だった。






































20.根室港から花咲港まで
*8月31日(土)根室港停泊1日目。憧れていた街で停泊する気分は最高。船体の手入れ、手すりの曲がり、ワイヤー張り調整、セールのほころび点検補修、接岸クッション用発砲スチロールのシートカバーのほころび補修など予定する。手すりの曲がり調整は係留しているすぐ前にあるK精機にお願いできた。曲がりを直して貰い代金はサービスとのこと有難くお礼する。根室の街角で市役所の屋上に、駅前の広場に、港に、いたるところで北方領土返還要求運動のスローガンが掲げられている。昭和56年に取決めた「日魯通好条約」を守らず不法占拠を続けるロシアに対し日本の政治家の力不足を感じざるをえない。市役所の前に友好姉妹都市の記念碑があり、富山県黒部市の名前があり黒部から移住した先人の開拓精神が讃えられていた。そういえば昨日会った漁師さんの顔がどことなく懐かしさがあり、富山の顔であることで納得した。午後6時に「ここに幸あり」のミュージックサイレンが流れる。昭和32年に大津美子が歌って大ヒットこの歌は作詞 飯田三郎、作曲 高橋菊太郎で飯田さんが根室出身とのこと。黄昏の空の下で聞くこのメロデイーは私のセンチメンタルジャニーであった。
*9月1日(日)根室港を午前10時10分出港。温根元漁港へ午後1時50分に入港。霧が晴れてきたので根室半島の突端 納沙布岬に向け出港する。途中で何度か霧に入り定置網をかわすため余裕をもって3マイル沖だしする。幸い温根元漁港の入り口では視程500mあり助かった。霧の中、今日は無理をしたと反省する。

*9月2日(月)温根元漁港停泊1日目。一面の霧で視程100m位、気持ちよく停滞決定。霧の中レンコートを着て2.5km歩いて納沙布岬を訪ねる。納沙布岬は日本最東端に位置し最も早く朝日を迎える岬である。間近に広がる北方領土は霧の中だった。灯台の霧笛が鳴り響き眼下の「ごようまい(単文字でも変換されないとても味のある感じ)水道」の表情は窺い知ることが出来なかった。ただ分かったことは、国境まで600mの狭水道で両側には険礁が拡延し濃霧、速い潮の難所であること、良いお天気でなければ渡れないということだった。岬にある北方館を参観。そこで富山の血が躍るものに出会った。北海道知事に次いで2番目となる北方領土(国後島)訪問された富山県知事が寄贈された銅のレリーフ「漁師さん網おこし」に添えられた言葉であった。言葉は「富山県人の思い出が残る北方領土、かって多くの富山県人が北方領土に渡り昆布漁場の開拓などに苦労を重ねた歴史がある。県人の思い出が残る北方領土。その早期返還は富山県人の切なる願いである。北方領土への訪問に当たり先人の足跡をしのび県民総意の熱い思いをここに記す。平成14年8月 富山県知事 中沖 豊」とある。行動で示す知事に親愛なる敬礼をおくった。北方館のにあいさつをして「岬に最東端の碑が無いですね。」と尋ねたら「北方領土が最東端になりますから、ここには建てないんだ。」そうです。とんだ愚問賢答を得て失礼な質問をしたことお詫びした。この意識では、北方領土は帰らないと、また反省する。
*9月3日(火)温根元漁港を午前5時30分出港。花咲港へ午後3時20分に入港。霧が晴れて高曇り南西の風8m/s、納沙布岬「ごようまい水道」を回る。3mのうねりと波と2ノットの順潮流を貰い貝殻島の灯台に近ずかぬように納沙布岬を回る。「ここを越えると太平洋だ」と思うと大きなうねりも気合が入る。午前8時30分岬を回りきると10m/sの向風となりタッキング(船首を風の来る方向にまわしていく回転方法、上手回し)で3ノット。久しぶりで太平洋のスプレーを浴びる。岸に流されないよう沖出しにつとめる。沿岸は猫頭礁、ハボマイモシリ島、イソモシリ島などに当る波が、遥か空中に舞上がっている。午後2時花咲港よりサンマ船団15隻が出漁して行く。堂々の船団である。おかげで入るのが難しいと云われていた花咲港の針路が明確になった。係留して一息つくまもなく、日が暮れる前に花咲灯台「車石」を見に出掛ける。歩くと1.5時間、日が暮れるのでタクシーを頼む。根室タクシーは根室から15分で来てくれるとのこと。停滞1日を含め3日間の道を思うと、つくずく良く岬を回ったと思う。玄武岩の放射状節理で車輪状に隆起している岩に地球のエネルギーを見た感動があった。帰り道「金毘羅さん」の神社にお参りする。スーパーで買い物して銭湯を訪ねると、偶然にも御主人が花咲ヨットクラブ会長のMさんでした。少し遠いのでと軽トラで送ってくださる。おかげでスプレーを浴びた潮気を洗い流す。夜、M会長とヨットのベテランのYさんと歓談し御馳走になる。カニの本場で大変、美味しかった。












































21.花咲港からえりも港まで
*9月4日(水)花咲港を午前5時30分出港。霧多布港へ午後2時30分に入港。久々のお天気をいただき、西の風3m/s 波1mモユルリ島、ユルリ島を右に見て緩海峡を通る。午後から西の風8m/sが吹き始める。霧多布港3マイルの昆布瀬と帆掛岩の間を通り、前方を見ると海が真っ白である。浅瀬が無いはずなのにと思いつつ、湾を間違えたかと気が交叉する。ルート間違無しので進行すると白い海の原因が分かった。帆掛岩と黒岩の暗礁に波が当り、砕けた波の花が泡になって流れているものだった。北の海でリーフの残照に出合った思い出でホッとする。泡の中、水深計を見ながら慎重に航海した。誰が名付けたのかロマンチックな霧多布。今日は霧が、たっぷりでなく感謝。40分歩いて高台の霧多布温泉に浸かる。野天風呂から見た湿原に沈む夕陽が美しく、中天に秋の卷雲を見た。

*9月5日(木)霧多布港を午前4時50分出港。釧路港へ午後3時00分に入港。心配していた霧が無く素晴らしい朝日を迎える。今日は釧路までの51マイル、北の風4m/sを横から貰う順風だ。黒岩の瀬を慎重に渡り湯沸岬を回る。定置網をかわし3マイル沖出しする。午前8時43分、厚岸湾口大黒島沖を通過。高からず低からず緑の海岸台地が水平線まで続き、北海道は大きい。波おだやかで眠気をさそう。午後3時釧路港へ入港、21次南極で一緒に越冬した通信担当の元気なMさん(海上保安庁、第一管区、海上保安本部北海道東部統制通信事務所 所長)に再会す。Mさんは南極でのニックネームは大明神で、その発生源は、昭和基地の建設地鎮祭で神主役をつとめて以来、その適役振りと風貌、人柄が大明神だ。22年経った今も2人の会話では大明神である。南極のメンバーには本名を忘れていてニックネームだけが継続されている。私にとっては釧路までの難関の到達点に海上保安庁のまさに海の守りの大明神が、いらしゃることは有難いかぎりであった。大明神は今年4月三重県の四日市から転勤され、昨年10月伊良湖岬沖通過時、電話して「お会い出来なくて残念ですね、、」と話していたが釧路で反転実現した。海上保安庁の砕氷船「そうや」を見学させていただいた。その1時間後、北洋の船で急患がでたとのことでヘリコプタ搭載した砕氷船「そうや」が出動した。御苦労様と岸壁にて見送る。夜、大明神が「極高サンライズ」号へ来艇、つもる話に夜がふけた。
*9月6日(金)釧路港停泊1日目。前線通過のため停泊。大明神 単身赴任の利点で「極高サンライズ」号に泊まっていただく。海洋観測船「拓洋」はじめ乗船経験豊かな大明神にとって一番小さな船だったことでしょう。今夜は大明神の官舎で大の字で寝かせて頂いた。
*9月7日(土)釧路港停泊2日目。前線通過後の雨残り停泊。官舎から歩いて20分のところにある湿原を散策する。木道がよく整備されて秋がより深くそこに有る。大明神のおかげで楽しい釧路であった。明日は天気が回復する。大明神と艇でお別れし出港の点検を行う。


*9月8日(日)釧路港を午前5時10分出港。大津漁港へ午2時30分に入港。たっぷり充電した釧路を出港する。釧路の街の御発展と大明神の御活躍に敬礼をおくる。天気曇り、南東の順風4m/s 波2m 視界良好。釧路港の北西10マイルの海域は、好漁場らしく日曜日の今日、五十数隻もの釣り舟やモーターボートがでて壮観。映画「釣りバカ日誌」釧路の「浜ちゃん」に大物満足の敬礼を贈る。台風17号の影響を受けた波高3mのうねりを背にサーフインしながら入港する。大津漁港は十勝川河口の南西方付近の潟に築造中の掘込式漁港で港の対岸は自然の潟が残り葦の生えている景色にしばし心を遊ばせ、茨城の大津漁港に入る日を思った。
*9月9日(月)大津漁港停泊1日目。朝20mの対岸も見えない濃霧、10時頃上がりはじめるが停滞、停泊する。


*9月10日(火)大津漁港を午前4時30分出港。庶野漁港へ午後3時10分に入港。襟裳岬の北北東にある庶野漁港をめざす。針路208度43マイルであるが港湾案内には、この港は「南東のうねりがある時は入港が困難である」と断定してある。もし風が悪いときは広野にある十勝港に入れるので気持ちは、ルンルン。ヨットマンの単純さであるが、これは有難いことで喜ばずには居れない。庶野漁港15マイル手前で東南東の風5m/s うねり南南東2mで十勝港にするか庶野にするか思案のしどころである。十勝港にすれば明日は庶野漁港までとなり、庶野に入れば明日は難所の襟裳岬を越えれる圏内に。結論は午後6時時までに十勝港に入れることを条件に庶野漁港へ向かう。午後2時30分、磯に立つ大きな白波に厳しい顔で双眼鏡を置く。入れば30分、戻れば3時間。戻るリミットも迫ってきた。決断は後15分進入し様子をみることにした。港の入口は左に白灯、右に赤灯を確認。外東防波堤の波の砕ける高さ2m。サーフインの状況は風下250mの巾で外東防波堤の内側に入れば「うねり」から解放されるので、80mの外東防波堤が大明神であり入港可能である。大きな「うねり」に乗り、外東防波堤の突端で「テトラの岬は大回り。ヨシ」の安全標語に気合をいれて無事入港する。港内で今日も頑張ってくれた「極高サンライズ」に「ありがとう」を言いながらセールを下す。襟裳岬が間近になった庶野漁港のビールは美味しく庶野の初夜。

*9月11日(水)庶野漁港を午前5時10分出港。えりも港へ午後2時10分に入港。起掛け一番気象通報テレホンサービス(海上保安庁提供で難所の灯台で地域の風向,、風速、気圧、波高などの無人テレホンサービス)を聞く。「襟裳岬では西の風8m/s、気圧1012hpa、視程20km、波3(気象庁波浪階級表で、やや波がある、0.5mをこえ1.5m以下) うねり3(気象庁うねり階級表で、短くやや高いうねり、波高2m以上 4m未満)」であった。視程が良く高気圧に覆われているので出港する。この3日間、気象通報テレホンサービスを聞いてきたが風は何時も10m/sは吹いているのでヨシとした。岬の灯台の下から沖合い0.8マイルの間、立岩、ローソク岩、カマ岩、沖岩が恐竜の背のように立っている。押し流され乗り上げぬよう5マイル沖合いを回る。岩群を回ってから、真のぼりの風を受け2ノットの逆潮で4時間の悪戦苦闘。襟裳岬を回った喜びと良いお天気を頂き、日が高く、時間的余裕等で森進一の歌が出た。♪「えりもの岬では 波が高くてなかなか船が進めません 灯台が何時も同じ所にあって 風が正面から吹いてきて波は前から うねりは後ろからきて ぶつかりあって どんな波でもある 秋でした〜」 えりも港に入り、歩いて10分の田中旅館でトロン温泉につかり心身ともにトロンとする。



































22.えりも港から苫小牧港まで

*9月12日(木)えりも港停泊1日目。本日は襟裳岬を回った記念とトロン温泉の相乗効果でトロン停泊日とする。当初計画では、ここより130マイルの下北半島 白糠漁港を予定していたが時間的に余裕ができたので道南のハイライト苫小牧、室蘭を廻り、日高の山々、駒岳、活火山恵山、そして恵山岬の椴法華(とどほっけ)漁港から津軽海峡を渡る変更をかみさんに申し出て許可を貰う。

*9月13日(金)えりも港を午前5時30分出港。三石漁港へ午後2時30分に入港。快晴、北西の風2m、波0.5m、気温21度、気圧1005hpaで夏が戻って来た。久しぶりにセーターを脱ぐ。様似、浦河の沖合いを通り神威岳 幌尻岳を拝す。幌尻岳は、6年前、上谷さんが日本100名山の完登(100番目)の山。上谷さんと奥さん、原野さん、平松さんと感激したの山頂が遥か山並みの彼方にひときわ高く聳えている。「ありがとう、お元気で」と幌尻岳と現役の皆様に敬礼をおくる。三石漁港に入り、潜水士作業船「牛若丸」に横付けさせて貰う。この会社のタグボートは「義経」で、クレーン船は力持ちの「弁慶」で納得のゆくユーモアなネーミングであった。ひょっとしてこの会社の社長は女社長「静御前」かも知れない。艇を降り銭湯へ。帰り道、酒屋さんで三石特産「昆布焼酎」を買う。磯の香りの中で「昆布焼酎」を飲む。トロリとなりながら地酒をしみじみと味わう。
*9月14日(土)三石漁港停泊1日目。銭湯と「昆布焼酎」の相乗効果でトロリ停泊日とする。お天気なので朝から布団干し、船体手入れ、燃料60リッター購入、飲料水補給す。午後、スポーツエスへレポート(釧路港まで)を送信する。

*9月15日(日)三石漁港を午前5時10分出港。苫小牧港へ午後3時30分に入港。素晴らしい朝日を迎える。今日は苫小牧までの52マイル、西の風4m/sを横から貰う順風だ。静内沖を過ぎ午前7時40分、新冠沖から苫小牧火力発電所の煙突が見える。33マイルの彼方から見える大煙突に出張の日々を感謝をし、再会と安定継続運転に敬礼をおくる。午後0時00分、波0.5m、気温23度、気圧1008、夏が続いている。午後3時10分、苫小牧港手前で積乱雲くずれの暗雲が雷雨となる。雷雨のお陰で船体,カッパ共にスッキリするが、洋上の雷は何時も怖い存在だ。手すりからロープに持替えコクピットで頭を下げ、首を縮めて気休めする。苫小牧港は漁船溜まりに入れてもらった。
*9月16日(月)苫小牧港停泊1日目。前線通過、荒天のため停滞。朝、勇払マリーナのYさん来艇。今年4月開業したばかりの素晴らしい勇払マリーナの案内を受ける。マリーナの所長のSハーバーマスターにお会いし見学させてもらう。マリーナは苫小牧の東、約5マイルの勇払にあり北海道と市の計画で親水公園の施設として陸上艇置(390艇)が完成し、これから海上係留(110艇)の建設が継続されていた。このエリアを中心に次世代に大きな海の夢を発信してくれることを確信し御発展を祈念した。午後6時Yさんの誘いを受け家にお邪魔する。話をするうちに息子さんが新潟大ドクター課程で自然科学研究の在学中とのこと。もしかしたら21次南極で一緒に越冬したK先生の所か、と思ったら予感が的中。あまりの偶然に驚き、K先生に電話をする。新潟港寄港時の御礼と今日の話のいきさつを伝え奇遇に驚く。電話をYさん御夫妻に代わり、息子さんがお世話になっている御礼と息子さんの様子を伺うことができた。親の息子さんを思う心情が伝わってくる。御夫妻は先生と初めて話が出来たと喜んでいた。先生の御蔭で息子さんに代わり親孝子できました。
*9月17日(火)苫小牧港停泊2日目。風待ち停泊。美しい苫小牧の町を散策する。公園博物館が街中にあり、ヨーロッパ的である。その博物館に次のように掲げられていた。「苫小牧市開基百年の記念事業として建設された。郷土の自然を知り、歴史を振り返り、現在を見つめ、将来のくらしと文化を創造する核として役立つことを願っています。」と。夜は昨日の御縁でY家また御邪魔させて頂いた。楽しく夜が更けた。明日は良い風になりそうだ。







































23.苫小牧港から八戸港まで
*9月18日(水)苫小牧港を午前6時30分出港。室蘭港へ午後6時30分に入港。今日の天気予報は前線の通過で雷、曇り、時々晴れ、一時にわか雨と何でも有りの百貨店。沿岸の波高1.5m日中2mやや高い。風は北または北西の順風なので「出港用意」。Yさんに出港するむね、予定変更とお礼の電話を入れる。出港して岸壁を見るとYさん御夫妻が手を振って見送ってくださる。なんと有難い事だろう。容姿端麗な樽前山が右手に迫ってくる。登別アヨロ鼻を通過すると暗雲が飛来し雷雨となる。20分くらいで雷雨が去り晴れ間を見る。しかし風が南西にまわり向かい風になった。速力5ノットから3ノットに落ちる。室蘭の地球岬まで15マイル5時間、地球岬を回れば順風で10マイル2時間。4時頃室蘭港入港と考え、室蘭エンルムマリーナに停泊をお願いする。地球岬に近づくにつれ風が、しだいに強くなり15m/sを計測する。海面は盛り上がり砕けた波から立つ白い泡が風下に尾をひいて流れる。地球岬をまわって順風をもらえると思っていたが、岬とともに風もまわり北北西になる。これでは室蘭エンルムマリーナに6時すぎとなり、闇のなか入港不可なのでマリーナに沖出しすることを連絡する。マリーナのKさんが遅くなって岸壁で携帯電話とライトで誘導してくださるとの有難い言葉にマリーナをめざす。地球岬を回って正面に伊達火力発電所の白い煙突が見える。、日立の川辺さん達が精魂込めて試運転した発電所だ。以来25年の安定継続運転に敬礼をおくる。午後6時30分に携帯電話と誘導のライトを頼りに無事、桟橋に係留できる。Kさんにお礼を述べると、岬の上から時化の中をタック(風上に向かうジグザグに走る航法)しながら走っているのを確認していたとのこと。有難く伺う。そして地球岬の風は南西から北西風にまわるので 出港にはルンルンで、入港には、きついことを教わり身をもって納得くする。マリーナで先行していた日本一周のヨット「伯楽」のOさん、Tさんにお会いする。同好の士に会えて話が弾む。「伯楽」は37フィートの立派な船で三重県の伊勢志摩がホームポーこれから函館に入って太平洋を南下する予定。私が早ければ日立市で出迎えを約束する。
*9月19日(木)室蘭エンルムマリーナ停泊1日目朝、椴法華漁港(とどほっけ)に向け出港する「伯楽」を見送る。天気が良く気温も23度。今日は洗濯、布団干し 船底掃除を行い清々が、室蘭エンルムマリーナのメンバーの方々と話しているうちに日が暮れスポーツエスへのレポートメールの発信を延ばしてしまった。5ノットの船が光速のホームページより先行している「サボり癖」を反省しながら、ほろ苦いビールを飲む。

*9月20日(金)室蘭エンルムマリーナを午前6時10分出港。椴法華(とどほっけ)漁港へ午後2時10分に入港。北西の風4m/s 曇 駒が岳(1131m)を目指して走る。山をめざして走るのは楽しい。室蘭から今日のコースを陸路で辿ると内浦湾(噴火湾)の円周は約180Kmになるが海路は約60Kmである。駒が岳を過ぎると横津岳(1167m)が大きく見えてきた。駒が岳と横津岳の鞍部の沖を通るとき8m/sの山瀬が来た。「来るか」と思っていた通り来たので気分良く余裕で走る。山腹から噴煙をあげている活火山「恵山」が見えてきた。道南の津軽海峡に面した突端、恵山岬の北西1マイルに椴法華漁港がある。活火山「恵山」の麓で温泉のある港と思うだけでうれしい。港内に「伯楽」が停泊しており、Oさんが「横付けしなさい」と手招いてくれる。艇を係留する場所が入港一発で決まる事は、めったにない慶事だ。有難く舫いをとっていただく。港は明るく活気があった。定置網にかかった大まぐろが水揚げされフォークリフトにのせて台秤で計量さてるので見に行ってきた。計量236キロの凄いモノもあった。漁師さんが500万はすると嬉しそうに話していた。夕方 恵山灯台の前にある「ホテル 恵風」の温泉(450円)につかる。活火山の山肌を目の前に見ながら露天風呂で深み行く北海道の秋を感じ、その恵に浴した。北海道も明日でお別れ。尽きぬ余韻が脳裏をかすめた。夜「伯楽」に招かれご馳走にあやかる。

*9月21日(土)椴法華漁港を午前5時20分出港。青森県下北半島白糠漁港へ午後3時10分に入港。函館に向かう「伯楽」と再会を期して出港。海は穏やか。津軽海峡の東流(日本海から太平洋に流れる海流)に乗って47マイルの白糠漁港を目指す。津軽海峡の真ん中で13マイル先の尻屋崎の白い灯台が見える。午前9時、北海道を離れるにあたり洋上慰霊祭を行う。お酒「北の勝」、水、りんご グレープフルーツ(4ッ切のうち 2つを両舷に)お菓子(クラッカー、かりんとう)を両舷から海に捧げ、慰霊の敬礼をおくる。この先の航海安全を祈願する。そして遠くなり行く北海道に「お世話になりました」と万感をこめ敬礼をおくる。思えば7月22日に青森県の深浦港から松前港に渡ってから丁度2ヶ月目となり、そのときの津軽海峡夏景色は、いま津軽海峡秋景色と季節が移り変わっていた。そして今日は、「津軽快挙」なのである。尻屋崎沖5マイルを回り2000年6月の函館往復の航跡にジョイントした。「夢の日本一周」が遂に達成する事が出来ました。尻屋崎の灯台に向ってお礼の敬礼をおくり、皆様のご支援に心から感謝いたしました。12時20分からのオケラネットワーク(アマチュア無線のヨット航海支援システム 21.437MHz)で報告させてもらいキー局の山田さん はじめ宮古島の大西さん各局からお祝いのメッセージをうれしく頂く。白糠漁港に入港し2年前お世話になった第一昌福丸T船長さんにお会いする。第七進漁丸のT船長さんは八戸に出港中とのことを伺う。夜、生きているイカをいただき第一昌福丸T船長さんとシャンペンをあけ日本一周達成の祝杯をあげる。何とも言えない「仕合わせ感」をかみさんに伝える。

*9月22日(日)白糠漁港停泊1日目。第一昌福丸でイカ釣りの体験乗船させていただく。朝5時から午後5時までT船長さんの操船、操業。その忙しさ、多種目の作業を段取り良く処理される。海のプロの仕事ぶりを学ぶ。今日の水揚げは上等とのことで私も大きいイカ50杯ぐらい捌かせ貰い上甲板のロープに干した。イカは200mくらいの深い所にいて、深度の設定、しゃくりの設定等、自分のノーハウをコンピューターにプログラムして行うハイテク機器を使って仕事に驚いた。夕方、第七進漁丸のT船長さんが帰港される。家に呼んで頂き風呂と夕食を御馳走になる。そのうえ「つくだに」の御土産を頂く。恐縮。
*9月23日(月)白糠漁港停泊2日目。前線通過。

*9月24日(火)白糠漁港を午前5時20分出港。八戸港へ午後3時00分に入港。南西の風5m/s、うねり2m、波1m 六ヶ所村の一角は高層ビルが立ち並んでいるい様で壮観。白糠の隣の東どうり原発も順調に建設が進んでいるようだ。防波堤、発電建物が出来ていた。今日も低気圧が通り雷雨に会うこと5回。その度に風向が変わり、身をもって気象学の教科書を読んでる思い。うねりが高くなっても大きな港に入るので気が楽だ。さすが八戸港は本船の出入りがはげしい。鮫地区漁港、蕪神社のまえの船溜まりに入れて貰う。蕪神社はウミネコの繁殖地で有名な所。300羽くらい残って夏を過ごしていると掲示板あり。前に来た町は、勝手が分かり尋ねることなく銭湯に直行する。

*9月25日(水)八戸港停泊1日目。今日は、また嬉しい事がある。日立の元、同じ職場の先輩Fさんが青森に住んで居て今回も青森から80kmを車で走り来艇くださる。正午ごろお元気なFさんに再会し、差し入れの鮨を一緒に頂く。おいしい鮨が一段とおいしい。楽しく話が弾み陽が傾く。「何か困る事は無いか」との言葉にあまえて、車で買い物に連れてって貰う。無洗米5kgとエンジンオイル4リッター缶など重い物を買う。これで那珂湊までのエンジンの副食と私の主食が用意できた。午後4時30分、日立市での再会を約束してお別れする。別れた後ポッンとしてしまう。これも嬉しさのの反動なのだろうか。夕日が美しい。





































24.八戸港から田老漁港まで
*9月26日(木)八戸港を午前5時30分出港。久慈港へ午後12時20分に入港。満天の星を頂いて明けた今朝は放射冷却にて11度と冷え込んでいる。右手で舵を握り、ステンレスの手すりを握る左手が手袋を欲しがる。私の手袋限界は7度なので耐寒訓練だ。お世話になった八戸港に敬礼をおくり、八戸小唄に歌われた鮫岬を回る。「うたに夜明けた かもめのみなと  ふねは 出てゆく 南へ 北へ 鮫のみさきは しおけむり」。今も昔も海にたずさわる男の生き様をさらりと唄った味のある歌詞をかみしめる。天気快晴 南東の風6m/s 気温上昇し18度 気圧1012hpa 波うねりをともない2mのセーリング日和となる。31マイルを走り久慈港にはいる。久慈港の北側は暗礁帯で白波が立っている。久慈市は岩手県北東部にあり九戸地方の中心、JR八戸線と三陸鉄道線の分岐点で港も掘り込み式3000トン岸壁から15000トン岸壁の大型港湾の建設整備が行われており、臨海工業都市を目指している。。いつまでも東北の静かな港ではないようだ。

*9月27日(金)久慈港を午前5時20分出港。田老漁港へ午後3時10分に入港。久慈の漁師さんに手を振って出港する。漁師さんも操縦室から手を振って応えてくれる。この次に立ち寄るヨットもきっと歓迎されると思うと嬉しくなる。久慈南方の三浦崎、とど岩を回り、野田湾沖を通る。沿岸部にうす青い煙たなびいている。まさかマキを焚いている事はないと思うが風情ある。南風になり速力5から4ノット、波は前1m、うねりは左から2mの複雑な波模様。うねりの下りで縦波を浴びぬよう操船する。北山崎の200mの断崖絶壁は壮観なり。リヤスの海に入った実感をかみしめ3マイルより更にに少し沖出する。真崎灯台を3時方位に見て田老漁港を目指す。田老に入るジョウロ型になった絶壁の海岸線に近付くと3mのうねり。防波堤の距離感を頭でシュミレションし定置網の状況によっては入港断念とする。幸い定置網の間隔が広く、宮古ー田老の観光船が入港してくれたので、そのあとをたどり入港できた。田老入港の目的は、38年前、ラサ工業(株)田老鉱業所納 第4立抗400mスキップ巻上機の試運転で春夏秋冬と出張させて貰った現場で、昭和46年閉山されたその跡地を訪ねたかったのである。2000年の函館往復航海時に訪ねたかったが、絶壁の狭い入り江に入る余裕がなくて断念した所であり、田老入港は嬉かった。出張時泊った宿は、食堂になっていた。向かい側に「こむかい屋」と看板があがった旅館があり、移ったのかと思い尋ねてみると、昔の宿「丸仙」さんは漁港のほうに移り、宿と鮨屋を経営してるとのこと。「こむかい屋」さんの玄関の壁に立派なラット(船の操舵輪)が飾られており、聞いたところ御主人が港湾工事の作業船の会社を経営しておられその時の船の舵輪とのこと。御主人が亡くなられおかみさんが7年その会社を経営し、4年前に会社を譲渡し、この旅館をたてたとのこと。以前、北海道の三石漁港で潜水士作業船「牛若丸」この会社のタグボートは「義経」で、クレーン船は力持ちの「弁慶」で納得のゆくユウモーアなネーミングであった。ひょっとしてこの会社の社長は女社長「静御前」かもしれないと報告していた女社長「静御前」が居たのでおどろいた。その宿で風呂だけ入れていただいた。スプレーをかぶった後だけに有難いお風呂だった。帰りは「丸仙」さんに寄りビールと、風呂の中で決めた航程にいそいそと従う。ビールに秋刀魚の刺身 何とも云えぬうまさである。マスターと昔話をしているとマスターのお父さんがラサ工業(株)田老鉱業所のOBで田老鉱業所の50周年記念誌を見せてくれる。そこには創業の力あふれる原風景があった。明日はバスで途中までゆき1時間歩くことにしていたが、熊が出るので案内してくれることになった。それに明日は「田老漁港の港祭り」で歌と踊りがあり、模擬店がでて飲みに来いと誘いを受ける。カウンターで飲んでいた役場の方から「いい時に来たね。」と、飛び入りの田老ファンを歓迎してくれる。

*9月28日(土)田老漁港停泊1日目。「丸仙」のHさんにラサ工業(株)田老鉱業所の跡地を案内していただく。鉱山に至る山道は昔のままの砂利道で、私にとってタイムトンネルだ。田老鉱業所の跡地は、M大の工学部の実験場になっている。昔の主な建物が森の中に残っていた。第4立抗巻上機室に向かう。胸の高まりをおぼえる。巻上機室は忘れもしない山の中腹に立っていた。「おおー、、」と声にならない声がでた。壊れた窓から中に入れてもらう。38年前の現場が、そこにあり懐かしい機器が、そこに有った。「長い間、御苦労様でしたね。」と話し掛けていた。モーターや電気品にはビニールシートが掛けられ飛ばないように紐で結ばれていた。それを見た時、鉱山の人のやさしい気持ちにふれ涙がこぼれ落ちた。多分、回ることの無い機器に対する思いやりである。砂川さんや鶴田兄弟のお顔が浮かぶ。ここに来て本当に良かったと心底思う。そして、この機器の幸せと、この機器に携わり、造りし者の幸せを頂いた。日立の携わった人に報告するため声をかけ写真を撮った。名板の製造年は1962年。40年前であった。Hさんは、時間を忘れて帰って来ない私を、きのこ採りをして待ってくださった。申し訳ない。山を下りる。懐かしい余韻が何時までも心に残った。そして此処にきて良かったと くりかえし思った。午後「田老漁港の港祭り」を楽しむ。あいにくの雨模様であっが魚市場の屋内特設ステージは大漁旗に飾られ歌と踊りで盛り上がっていた。プロの歌手のショーもあり、もちまきに魚まきがあり、ビニール袋には入ったイカやしゃけの切身がまかれ今夜のおかずを頂いた。






































25.田老漁港から宮古港まで
*9月29日(日)田老漁港を午前5時30分出港。宮古港へ午前9時10分に入港。台風21号の3mもある大きなうねりが防波堤でくだけちっている。防波堤から離れてうねりを乗り越えて沖出しする。田老の入り江の岩と松の絶壁が素晴らしい。三王島が潮煙の中に立っている。宮古の月山を目指して走る。浄土が浜の白い三角岩が連なって見える。「浄土もかくあらん」と高僧により名付けられた名所であるが、このうねりの中 浄土が浜を船で見に行けば、地獄を見る事だろう。沖出しを保ち船の極楽「リヤスハーバー宮古」を目指す。入港前の報告をして係留許可を貰う。2年前の管理人Kさんが退任され、若さあふれるNさんが管理人であった。今日は日曜日であり、ヨット部の学生さんが15艇くらい出艇し練習に励んでいる。岩手県のヨット競技のレベルは高く、今年のインターハイで準優勝の栄冠に輝いている。台風21号が益々発達し965hpa中 心 の風速 40m/sとなり北上している。

*9月30日(月)リヤスハーバー宮古停泊1日目。台風21号の避難を宮古とする。船内整理 点検 終日 雨、月山は煙霧かかりて東山隗ィのふすま絵のごとし。
*10月1日(火)リヤスハーバー宮古停泊2日目。台風21号は速度20kmから40kmにあげ、大型勢力を保ち関東に接近する。前管理人Kさん来艇され歓談する。台風対策として安全な場所を教わり移動する。Nさんがモーターボートでサポートしてくれ有難い。夕刻、台風は三浦岬を通過し川崎に上陸したことをラジオが伝えている。関東は大変になっている。気象庁のワルさん、海上保安庁の大明神の越冬仲間から警戒と激励の電話あり、更にに気を引き締める。台風21号は此方に来ることは間違いなし、ラジオは台風情報を連続伝えている。

*10月2日(水)リヤスハーバー宮古停泊3日目。台風一過の朝を迎える。台風21号は昨夜、強風を吹き付けて北上して行った。余韻の西風7m/sは爽やか。良い港に避難させて貰い、無事すぎたことに感謝する。ラジオは午前0時10分宮古測候所が昭和16年観測以来の最大瞬間風速43.5m/sを観測したことを伝えていた。それから1時間後の午前2時20分手元の気圧計が965hpaまで急降下し凄い風が止まり、雨がやみ 雲が切れ 星が輝いた。台風の目の中に入ったのだ。星を仰ぎながら自然の不思議にホッとする。台風の後半戦にそなえ舫い綱を少しずらして締め直し万全をきす。午前2時37分、972hpa風まだ静かなり。午前3時、975hpa風が再び吹き始めた。点検させて貰ったので後は台風が静かになるばかりと安心して寝てしまった。午前6時、台風は85km/hの速さで苫小牧沖と伝えていた。横付けさせてもらった「潤」のS船長さんが見え、台風が無事過ぎたことを喜ぶ。「潤」は船齢36年の16トンの北欧型の汽船で絵になる船だ。木製のキャビンの手入れ、エンジンの載せ替えの苦労話を楽しくしてくださる。いろいろ参考になった。午後 布団干し 船内乾燥 夕刻 国立宮古海上技術学校の生徒の漕ぐカッターの気合の入った掛け声に「ご苦労さん」とエールと敬礼をおくる。敬礼にたいしてVマークを返してくれる若きシーマンを頼もしく思う。世話になった国立沖縄海上技術学校のことを思い出す。明日は良い風が貰えそうだ。































26.宮古港から金華山港まで
*10月3日(木)リヤスハーバー宮古を午前5時30分出港。釜石港へ午後1時10分に入港。台風21号の避難でリヤスハーバー宮古の奥船溜りに横付けさせて貰った汽船「潤」にお礼を言って出港する。今回も大変お世話になったリヤスハーバー宮古は、まだ朝もやの中にまどろんでいた。台風21号のつめ跡は2日目の3mのうねりと川から流れ出たゴミ、強風で飛ばされた木の梢の木の葉に残っている。午前7時40分、本州最東端のトド岬を通過する。正端な白い灯台とてっぺんが逆三角形したアンテナの鉄塔が美しく並び、ひと巾の絵になる風景だ。寄り添っている白い灯台とアンテナの鉄塔は灯台守夫婦を主人公にした名画「喜びも悲しみも幾歳月」の佐田啓二、高峰秀子のシーンを思い出す。そして今、気付いたことは高校生の多感な時代に感動した映画から多くのことを学んだ。男らしい生き方、仕事に対する取り組み、困難を乗り越え任務を完遂する強さ等。今の時代に不足していると思われる心のミネラル分を。午前10時37分、塩釜保安から海上航行障害警報発令。台風21の被害で養殖イカダが漂流している緯度、経度を報じている。今 向かっている塩釜も該当しており、「見張り第一厳となせ」と海上自衛隊の号令をかけゲインをあげる。午後0時30分、釜石湾に入り鎌が埼頂上にある地上高49mの太平洋に面している真白い観音像を拝する。神々しく、かつ安堵の気持ちを頂く。釜石で散髪しさっぱりする。

*10月4日(金)釜石港を午前5時40分出港。三陸町越喜来、崎浜漁港へ午後12時10分に入港。天気快晴、南西の風5m/sやや上り、気温23度 気圧1006hpa 波うねりともに3m、26マイル走り越喜来に入る。ここは息子がお世話になった北里大学で先生にお会いする。明日、北里大学水産学部創立30周年記念式典と祝賀会があり、先生から招待を受ける。予期せぬイベントに出会い有難くお受けする。夜、息子がお世話になっていた下宿のKさん宅で夕食を御馳走になる。 網元と大船渡市市議会議員のKさんに明日の朝4時、鮭の網起こしに誘われる。その後の記念式典と祝賀会も一緒に出ることとなる。

*10月5日(土)越喜来、崎浜漁港停泊1日目。朝4時、鮭の網起し体験乗船。ダイナミックな漁であり、豊かな海を実感した。ただ台風21号で定置網に大きな被害が出ていることが痛ましい。北里大学水産学部創立30周年記念式典と祝賀会にKさん出席する。緊張した式典の雰囲気に更なる御発展を祈る。

*10月6日(日)三陸町越喜来、崎浜漁港を午前5時30分出港。気仙沼シビ立漁港ー天天丸ハーバーへ午後2時30分に入港。三陸沖は海上濃霧警報。高速道路霧のため閉鎖とラジオが伝えている。現視程3マイルあり、「出港用意」となす。シビ立漁港に入ると早馬神社のお祭りで立派な「おみこし」が大漁旗を飾った漁船に載って来て、しめ縄が張られた岸壁に上げられ土地の人達が、お参りした後、また船に乗せられて隣の湊へ向って行った。前回、お世話になったSさんの家へ挨拶に伺う。その後1992年ヨットに日本一周し、此処に移り住んだ天天丸のSさんがモーターボートで迎えに来てくださり、モーターボートの後について天天丸ハーバーのブイに係留させて貰う。

*10月7日(月)気仙沼、天天丸ハーバー停泊1日目。前線通過、夜来風雨強し。船尾にアンカーを1本うっておいたが心配なので艇に泊まる。此処は山陰げで携帯は圏外。夕刻、シビ立漁港のSさんに招かれお家におじゃまする。2年生と幼稚園のお嬢さんが天真爛漫で可愛い。

*10月8日(火)気仙沼、天天丸ハーバーを午前6時20分出港。金華山港へ午後2時50分に入港。金華山に着いたら茨城の海が近付いて来たことを実感。午後、スポーツエスへレポートを送ろうと奮闘するが、うねりで艇が揺れパソコンを使うのが困難。やっとレポートを送信する。






























27.金華山港から相馬港
*10月9日(水)金華山港を午前9時10分に出港。鮎川港へ午前10時30分入港。夜半の雨が上がったので午前6時30分、金華山黄金神社を参拝し450mの金華山山頂に登る。木の葉の舞う谷筋の道を登ること1時間で山頂に着く。山に登ると昔の筋肉と細胞が喜んででくれるのが良くわかる。金華山港はフェリーの発着のみで停泊しているのは、「極高サンライズ」号だけだった。鮎川港に着いて燃料補給をする時、ホースで給油してもらったが給油口のレバーコックが閉まらないトラブル発生。船倉に軽油があふれ予期せぬ大仕事となる。ロープ200m、チェン15m、その他、船倉の物を全部出しスタンドに運び洗剤で油を流す。船倉の油を拭き取り乾燥を行う。おかげで船倉はピカピカになったが体はクタクタ。しかし、洋上のトラブルと違い陸続きで行う仕事は気が楽だ。120リッター(20リッタータンクと20リッターポリタン5個)満タンにしたので那珂湊まで充分。明日は杜の都、仙台です。

*10月10日(木)鮎川港を午前5時40分出港。仙台小浜フリートへ午前2時30分に入港。天気快晴なれど西の風13から15m/sの真上りだ。この風は1025hpaの高気圧からの吹き降ろしの風で相馬に向かうには絶好の風だ。しかし仙台にはタック(ジグザグ走法)しながら毎時2マイルで16マイルに8時間かかる。頭からスプレーをあびる。那珂湊マリーナのヨットの先輩でかつ師匠の黒沢さんとクルーの村田さんが「マルガリータ」号で那珂湊から相馬港まで迎えに来てくださる。海の男の心意気を有難く思う。今日、「マルガリータ」号は平潟港に居り12日に相馬港でお会いできる予定。台風22号が東に向かうことを期待する。仙台で8次、12次、一緒に越冬した気象担当のNさんと12次夏隊の海上保安庁水路部測深調査のSさんと21次、一緒に越冬した通信担当のSさんにお会い出来て嬉しい。ただ日立OBのMさんは温泉に行かれる予定と重なり、昨夜、元気なお声をうかがった。夜 前回お世話になった宮城外洋帆走協会のSさんの招待でお風呂をいただき畳の上で休ませて貰う。テレビがノーベル化学賞を受賞された田中さんのニュースを伝えていて、昨夜聞いたビッグニュースの田中さんのお顔を拝する。富山の人、島津製作所の技術者であり、かつ若くしてその業績をきちんと評価してくれるノーベル委員会を嬉くてならない。島津製作所の創業社長は私しの尊敬する人の一人でいつの日か鹿児島の別荘跡の記念館を訪ねたいと思っていた会社である。

*10月11日(金)仙台小浜フリート停泊1日目。相馬まで1ピッチなので点検手入れの停泊日とする。午後4時、北海道の椴法華漁港で別れたヨット「伯楽」が入港す。Oさん、Tさん元気なお顔に再会。午後6時、KさんとMさんの「マルガリータ」号は、良い風を貰い相馬港まで後8マイルで「三日月が美しい」と快走している。


*10月12日(土)仙台小浜フリートを午前5時30分出港。相馬港へ午前1時10分に入港。満天の星を仰ぎ「出港用意」。今日は「マルガリータ」号に会えると思うとウキウキする。風も味方してくれて北西の風4m/s、29マイルを快走する。相馬火力発電所の煙突が見える。煙突を目標に走る。相馬火力100万kwの安定継続運転に敬礼をおくる。試運転に当った Oさん、Kさん、Mさんの顔が浮かぶ。相馬港にて那珂湊マリーナからの「マルガリータ」号の黒沢さん 村田さんの出迎えをうける。博多以来の再会の喜びを大きく手を振って答える。また一歩茨城の海に帰ってきた実感が湧いてくる。迎えに行くよと言われて別れて5ヶ月。お互いの約束を果たしうる男の友情が、艇と艇の間で飛びかっている。この瞬間が最高である。「友、遠方より来る。また楽しからずや」である。13日は「マルガリータ」号とランデブーで久の浜港に向う。



































 
28.相馬港から日立港経由、那珂湊マリーナにゴール
*10月13日(土)相馬港を午前7時20分出港。福島県久の浜漁港へ午後4時50分に入港。「天気晴朗なれど、台風22号の影響でうねり高し」。高気圧が、日本をすっぽりカバーしているお陰で台風を追いやり、日本海海戦の電文の状況下で緊張を保持している。「マルガリータ」号とランデブーしながら40マイル、波うねりとも3mの海上を一路南下する。相馬火力、福島原発、広野火力の煙突を目標に走り「安定運転継続」に敬礼。試運転を担当させてもらった広野火力3号機 100万キロワットは格別に懐かしい。久の浜漁港の防波堤に大きなうねりが砕け散っていたが180mの外防波堤のお陰で入港できた。岸壁で漁師さんが親切に「こちらに付けろよ、、」と指示してくださっつた。有難い。日立から山仲間のMさん、いわきの家内の妹と夫妻、それに予定外の家内が出迎えてくれ感激する。蟹洗温泉につかり瞑想す。家内予定有りて、日立に帰る。キャビンに泊る予定のMさんは、うねりで艇の揺れの大きさで車にねぐら変更する。今宵はよく揺れるので懸命な判断と思う。

*10月15日(火)久の浜港を午前6時30分出港。平潟港へ午後2時10分に入港。本日、久の浜港で停泊を予定していたが、うねりが、おさまり横付けさせて貰っていた漁船が午前2時に出漁される。仕事の船の邪魔にならないようワンピッチ進め平潟港に向う。うねり2m、天気晴朗なるも高気圧の吹き降ろしで13m/sの風で波が1.5m、幸いに北西から南西に吹いてくれたので、まのぼりにならずに走れた。小名浜をすぎ懐かしの常磐共同火力発電所をみる。立派な発電所である。「ご苦労様と安定継続運転」に敬礼をおくる。正面の潮煙の中に平潟港の白灯台確認する。平潟港は茨城の海。10月15日は、今回の日本一周のスタート(那珂湊を出港)した日。ちょうど同じ日に1年ぶりで茨城の海に帰って来た。茨城の海は懐かしく、今日はスプレーを頭から浴びる時化模様であるが心はは弾んでいる。平潟港の魚市場には水揚げされたばかりの底引き漁独特の多種の魚が仕分けされていた。ひらめ、小鯛、かわはぎ、たこ、ふぐ、きんき、などなど。

*10月16日(水)平潟港停泊1日目。南風が吹いており、大津港は南に開いているため平潟港で停泊に変更する。ヨットの旅は風次第で変更しなければならない。変更も楽しみの1っと思う。7時ころ出勤前のアマチュア無線Mさん来艇。21MHZでテスト交信する。風船爆弾の資料をいただき、第2次世界大戦時、大津港辺にその基地があったことを聞いて驚く。風船爆弾は自動高度調整機能と大気圏のジェットストリームの速度から爆発時間をセットされたことは聞いていた。ここから飛ばしたのかと思ってみると景色が変わって見える。午後2時、日立会山岳部OBのOさん来艇。日立に帰った気持ちが、また膨らむ。「マルガリータ」号のKさん、Mさん共々Oさんに案内をお願いして茨城県天心記念五浦美術館へ参観に行く。開館5周年記念ー山種美術館コレクションの期間でKさん、Mさんに楽しんでいただいた。Oさん有難う。

*10月17日(木)平潟港を午前7時10分出港。川尻漁港へ午前11時40分に入港。快晴 北東の風弱く2m/s 波うねりとも0.5m 太平洋がこんなに穏やかなのは、稀である。午前11時10分、十王のパラボラアンテナを右に見て鵜の岬を回る。日立の町や山々が大きく見えてくる。川尻漁港から会社のOB同僚のMさんがモーターボートで出迎えてくれる。日立の海に帰った喜びをこめて手を振ってこたる。岸壁で富山工業高校同級生Tさん、同窓生Kさんので迎えを受ける。青雲の志をいだきて日立に来て、がむしゃらに働いて、定年をむかえた同士の心意気が通う。午後2時、那珂湊マリーナの先輩Sドクタ夫妻が来艇。1年ぶりの挨拶と握手に力がこもる。午後3時30分、Mさんが「マルガリータ」号のKさん、Mさんを案内して鵜の岬、十王ダムをまわり、会社の先輩K.Hさん宅では再生資源で自作された野天風呂をいただく。K..Hさんの計らいで十王町のW町長と十王町N議員が挨拶に訪れた。夜は芋煮会で航海の労をねぎらってくださる。奥様の手料理が美味い。嬉しいことに東京から所要で日立にお見えのK.Kさん(日立工場 制検課時代の課長で、私を南極に派遣して下さった元上司)が御来邸して盛りあがる。「ヨットで日本一周」が、茨城新聞に報道されと友人から電話いただく。

*10月18日(金)川尻漁港停泊1日目。「マルガリータ」号のKさん、Mさんが所要で那珂湊マリーナに帰る。明日、午前11時ごろ日立港沖で落ち合い日立港へ入港を予定する。良いお天気が続いたので明日から下り坂の予報。降水確率60%。東シナ海にいる低気圧の速度が、ゆっくり移動することを願う。


*10月19日(土)川尻漁港を午前8時10分出港。日立港久慈漁港へ午前11時30分に入港。午前6時30分ごろ宮城県鮪立漁港のSさんと友人が来艇。「もうすぐゴールだね」とサンマ、いか、帆立の差し入れを頂く。、遠い所から有難い。午前8時10分に十王のK.HさんとMさんが乗艇し3人で出港する。川尻は情緒豊かな町で、国民宿舎「鵜の岬」が10年連続人気日本一であるのも、納得できる。天気曇り、北風4mの順風、波うねりとも1.5m、5ノットで走る。大定置網をかわし、神峰山、高鈴山は雲の中なるも、日立、国分の工場が見える。織田作之助の小説「わが町」、ベルゲット道路のターやんの気持が重なる。ヨットが初めてのK.Hさんは、少し船酔いしたが、日立研究所、大みか事業所の建物が見えてきて調子が好転する。日立港(久慈漁港)にて日立の懐かしい仲間の出迎えを受ける。午後3時に12次南極越冬隊でともに越冬した気象庁のFさんを大甕駅に出迎える。富山以来の再会で無事を喜ぶ。午後4時ごろ Kさん、Mさん Kさんの小学1年生のお孫さんの3人が乗り組んだ「マルガリータ」号が入港する。

*10月20日(日)日立港久慈漁港を午後12時20分出港。ホームポート那珂湊マリーナへ午後2時30分に帰還。 「ヨットで日本一周」完結せり。良く続いた天気が崩れ始め、雨風ともに強く、完結の日には遠慮願いたいお天気だ。午前11時雨風がおさまる。久慈漁港で2年前まで勤務していた日立製作所情報制御システム事業部大みか事業所の元先輩同僚が祝賀会を開催。同事業所の森田憲一所長ら約100人が祝福に駆け付けてくださる。「祝日本一周達成」の横断幕の前で「マルガリータ」号のKさん、Mさんと共に花束の贈呈を受ける。なんとも恐縮の極みである。ヨットも一般公開し多くの方々に見ていただいた。外から見た大きさに対し船底が深いヨットのキャビンの広さに感嘆の言葉を貰う。船首の65cm巾の敷き布団の寝くらの狭さに驚いてたが、広いと転がるので、この巾が合理的スペース。この答えに同情的同意を多くの方に頂いた。午後0時20分に那珂湊マリーナに向けファイナルの航行にかかる。「マルガリータ」号が先行快走。「極高サンライズ」号は気象庁のFさんと2人乗りで雨上がりの北風10m/sの順風を受け、7ノットで快走する。この旅(ヨットで日本一周)の終にふさわしい有難い風に感謝する。大洗水族館が新しくなり素晴らしくなっている。那珂川の海門橋をくぐり、仲間が手を振って出迎えてくれる那珂湊マリーナに午後2時30分、無事帰還する。昨年の10月15日に出港してから371日の夢航海が完結した。午後2時50分に海上保安庁、第3海上保安本部、那珂湊保安本部に帰着御礼報告の電話をして、明日、御報告に伺うことの了解を得る。「極高サンライズ」(岡崎ピオン30)は、実に素晴らしい船であった。しけのピオンの称号にふさわしい風格と実力を発揮しこの航海を導いてくれた愛艇「極高サンライズ」号にシャンペンをそそぎ喜びを分かち合う。


お礼にかえて
このホームページを編集、掲載してくださった鈴木さんの叱咤激励がなかったら、自分1人のルーズな航海に落ちていたと思います。ホームページの御蔭で多くの方に航海の様子を知ってもらい、ある時は楽しんでいただき、そして、その喜びを分かち合うことが出来ました。ホームページを見てくださった方々はじめ、多くの方々の御支援、応援をいただいてヨットで日本一周の旅を完結する事が出来ました。長いようで本当に短かかったこの1年でした。 永年夢みてきた「この夢航海」は実に素晴らしく、沢山のことを学びました。海の偉大な力と海に生きる人々の叡智、逞しさ、優しさ、そして海のように広い心意気の方々に御会い出来ました。多くの方々の御支援、御好意、応援に心から感謝申し上げます。皆様から頂いた元気、気迫、好奇心、夢、希望を「海からのメッセージ」として次世代に発信できたらと夢見ています。アマチュア無線ヨット航海支援グループ「おけらネットワーク」の皆々様、本当に有難うございました。航海を継続する楽しさと力を頂きました事を、おしまいになりましたが記して帰港御礼の挨拶と致します。 有難うございました。
2002年10月20日 自宅にて 多賀 正昭



*10月20日(日)日立港(久慈漁港)を出港。那珂湊マリーナに帰港。午前11時から日立港(久慈漁港)で日立製作所元大みか工場OBなどによる「日本一周達成祝賀会」が開催されました。


日本一周達成祝賀会

多賀さんの挨拶(航海報告など)

多賀さん、村田さん、黒澤さんに花束

来場者に応える多賀さん御夫妻

ゴールに向けて日立港を出港準備

出港するマルガリータと極高サンライズ

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