国指定重要有形・無形民俗文化財


日立風流物の由来
 日立風流物は日立市の前身である日立村の鎮守神峰神社の祭禮に、氏子達が奉納の意味で造った山車に操り人形を配したもので、江戸時代中期享保の頃に始まり、文化文政の頃には山車に改善を加え山車そのものがからくりとなり、風流物、笠鉾と呼ばれるようになりました。精緻にして豪壮な変化に富んだ山車で、明治の初期には既に現在の形になっていました。また、この種の山車は全国にもその例が無く、昭和三十四年には山車としては指定第一号である国の重要民俗資料の指定を受けています。現在、日立市には東町、北町、西町、本町の4台の山車が有ります。




日立風流物の形態
 高さ15m、奥行7m、巾3m〜8m、重さ5t。 日立風流物は大きな山を背した城郭の形をし、山車の一層には大手門を、最上段の五層には天守閣をそなえています。山車の正面を館といい、五層の唐破風造りの館は中央より左右両側に割れ開く仕組になっています。また、三層以上五層までの各段はカグラサンによってせり上がった後に左右に割れて開くようになっています。これらの操作は全て綱によって行われ、館が大きな扇面の形の五段の雛壇となり、これが操り人形芝居の舞台となります。館での人形芝居が終わると舞台は廻り舞台となって回転し、裏山において別の人形芝居が行われます。これらの芝居は無言劇で山車の中のお囃子に合わせて演ぜられます。