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 環太平洋の縄文人             09.06.29 栗田盛一

   一般的には10万年前にアフリカに出現した新人類は世界に広まり,アジアのモンゴロイ
ド   人はシベリアに3万年前,アラスカには1.5万年前にベーリングを経由して,南アメリカには
1. 2万年前に到達した。結果アメリカ大陸の原住民をなし,中米のアステカやマヤ文明,南
   米のインカ帝国を生んだと言われている。
   
    一方2001年8月1日付読売新聞によると,「アメリカ大陸一番乗りは縄文人」の新説を
   報じている。
ミシガン大学教授C.ローリング.プレイスによると,米国各地の9000年前
   の頭蓋骨の調査結果によると,モンゴロイド人の共通点は少なく,日本の縄文人やアイヌ
   人,ポリネシア人の特徴を持っているとのこと。
この興味のある報告は,内外の学者より
   「少々強引な結論」の声もある。以後の報告を待ちたい。

   
    さて一番乗りはさておき,種々のルートで縄文人がアメリカ大陸に渡ったものと思われる
   縄文人の痕跡が環太平洋には多数存在する。文献,遺跡,民族学より環太平洋の縄文
   人を検証してみよう。
   
  
1.縄文文化
    縄文文化は1万2千年前より栄え,代表格の三内丸山遺跡は5500〜4000年前に栄え
   た。この文化の代表が縄文土器であり,日本本土に広く分布している。
  @縄文人は越の翡翠や北海道の黒曜石,岩手の琥珀,秋田 のアスファルトを求めて,
    海上交通を利用して活躍していた。又食料の面よりも遠洋漁業に属するマグロ漁を営ん
    でいた。つまり単なる集落民族ではなく,それ相当の船と航海術を所有していた民族
    であったと思われる。
 
 A縄文土器の分布にしても本州は元より北海道や絶海の孤島の八丈島で発見されている。
  
B縄文晩期/3000年前の寒冷化により,大集落を維持出来なくなり各地に分散したもの
    と思われる。この一部の民が海洋に活路を求めても不思議ではないと思う。
  C奈良県清水風遺跡より弥生時代中期の数十本のオールを持った準構造船を画した
    土器が出土した。これを復元すると,全長25m,37人乗りのゴンドラ型外航船である。

  D常陸国風土記によると「石城の国から軽野の浜へ,15丈の長さの大船が流れ着いた」と
    ある。
これ等は縄文時代ではないが古代倭人は大型船を所有していた事は間違いない。
   

2.北太平洋コース
  ベーリング海峡コース  :
      一般的な人類の移動で最後の氷河期の海面低下により陸続きになり,アジア大
      陸のモンゴロイド人が動物を追ってアメリカに渡った。
  アリュ−シャン列島コース:
      千島経由のを島つたいに北米に渡るルート。船による安全ルート。

  2.1 中国正史「梁書」629年成立によるアメリカ大陸旅行扶桑国(アメリカ)の僧慧深
      が中国に来て,分身国,大漢国,扶桑国の話をつたえる。

    @慧深は往復旅行をしていた。

    A北太平洋コースと思われ,既にカシミールの僧が渡米していた。
    B扶桑国はメキシコ(マヤ国)説もあるが,私見ではメキシコ(テオティワカン)である
      と考える。

  2.2 西村真次の遺跡調査戦前の人類学者西村真次はカムチャツカ半島,セント・ロー
      レンス島やアメリカインディアンの土器が縄文土器に似ていると指摘していた。
      しかし残念なことに現代の日本の考古学者は海外の縄文文化に言及することに
      は消極的である。
  2.3 18世紀のフランスの探検家ラぺルーズの記録江戸時代にエゾ人がサハリン〜
      アムール川間の600海里を丸木船で交易していた。どうも北コースは交通路とし
      て一般化していたようだ。

  2.4 アメリカ先住民イロコイ族の口承史アメリカ先住民のイロコイ族は1万年前アジア
      よりベーリング海峡経由でアメリカに渡ったとの口承史を記憶している。

3.南太平洋コース
   ミクロネシア−メラネシア−ポリネシア経由コース。各地の縄文遺跡や「魏書」が物語る。

  3.1 中国正史「魏志倭人伝」による南米大陸と倭人卑弥呼を記した魏志倭人伝の
      最後の方に下記の興味ある記述がある。

    @・・・「有侏儒国在其南人長三四尺去女王四千余里又有裸国黒歯国復在其東南船
      行一年可至」・・

     つまり・・侏儒国がその南にある。身長は三四尺で,女王国から四千里である。
     又裸国や黒歯国が更に東南にある。船旅一年である。

    A侏儒国はサイパン,裸国や黒歯国は南米と考えるのが自然ではないだろうか。
    B裸国や黒歯国に関して,ペルーの天野博物館の創立者 天野芳太郎氏の
      エクアドルの調査資料がある。


  3.2 魏志倭人伝の台与と真珠
    @卑弥呼の死後,女王の地位についた台与が中国の皇帝に「真珠5000個を献上」
      とある。

    A民族学の羽原又吉の説:江戸時代に紀州の漁民が国禁を犯して,真珠を採りに
      オーストラリヤまで出掛けていた。卑弥呼や縄文時代にも考えられるのでは。


  3.3 バヌアツ/メラネシアの縄文土器
      1960年中頃に,フランスの考古学者ジョゼ・ガランジェ博士がメラネシアの
      バヌアツ共和国/ニューヘブリデス諸島の畑の地表から約40点の古い土器を
      採取したことに始まる。そして縄文土器とは知らずにエファテ島で採取した土器と
      して論文を発表した。

    @論文の写真を見た篠遠喜彦博士が縄文土器との類似を指摘。調査が始まる。
    A1990年に国際日本文化研究センター主催のシンポジュウムに招待された
      篠遠博士は縄文土器の発見を日本に報告した。
    B疑問を持ちつつ20年後,ウィリアム・ディキンソン・アリゾナ大名誉教授の合作に
      よる土器の成分分析の結果は青森県出土土器と同じとされた。約5000年前と
      判定された。
  *篠遠喜彦博士:ハワイ大学卒,ハワイ・ビショプ博物館にて40年間ポリネシア/太平
    洋考古学の研究に従事。土器なきポリネシアでは「釣針」により時代判定の基礎を
    確立した。

  3.4 芹沢長介の「円筒下層式土器」の報告
      同席した芹沢長介・東北大名誉教授も縄文前期の「円筒下層式土器」と酷似して
     いる発表を後日なした。

  3.5 航海民族ラピタ人
    @ラピタ人が出現したのが今を去る3600年前と言われ,ニューギニヤの北東の
      ビスマルク諸島の近辺に突如として現れた。

    A彼らの人骨はモンゴロイドの特徴を備え,ラピタ土器を作成していた。
   
 B東方は4000kmに数百年で,サモア/ポリネシアまで拡散してした。
      ラピタ土器を広めた。
    C土器文化の無いポリネシアでは画期的と思われるが,ラピタ人の消滅と共に
     土器も衰退する。
    D西方は同様4000kmのボルネオまで黒曜石の交易で拡散した。
    E紀元前千年紀の後半には土器が消滅して,ラピタ人の存在は不明になる。
  
  3.5 ポリネシアの不思議な植物
     アメリカ起源と考えられるサツマイモを筆頭にして各種の有用植物がポリネシアに
     古くから存在していた。

  3.6 民族学より海苔食民族
     増田義郎によると,海草を食べる民族は極めて限られている。主として太平洋岸
     であり,大西洋岸ではほとんどが産業資源として使うだけである。
     ・太平洋岸では日本,韓国,南太平洋国々である。
     ・南米ではペルーとボリビアとチリの現住民である。
     ・ペルーではインカ帝国の時代より,4000mの山の民が海藻を食している。
      年に一度リャマを連れて山岳地帯より海岸で海藻を採取していた。

4.黒潮コース
     明治初期の咸臨丸の渡米コースであり,太古より太平洋岸の漁船,商船が多く
     関係していた。
現代のヨットによる太平洋横断は古代に於ける横断の可能性を
     物語っている。
黒潮コースは古田武彦氏が支持していて,カルフォニヤでは
     「ジャパン・カレント」と呼んでいて,各種の漂着物が有るとの事。
  
  4.1 太平洋の遭難記録
     川合彦充によると江戸時代の日本船の太平洋での遠洋遭難記録が数百件ある
     とのこと。其の内南米を含むアメリカ大陸への漂着は8件を数える。鎖国時代であり
     戻って来た人々は氷山の一角ではないかと思われる。黒潮の成せる事項である。

  4.2 南米エクアドルの縄文土器
    エクアドルのバルディビアの先史集落遺跡で多数の縄文土器に酷似した土器が
    1956年に発掘された。エクアドルのアマチュア考古学者エミリヤ・エストラーダがスミ
    ソニアン博物館に縄文土器に類似しているとして紹介したのが大発見の始まりで
    ある。最下層の土器はC14による年代測定結果は6000年前を示し,精錬された
    形式で忽然と発生したのが特徴である。

  4.3 脚光を浴びた経緯
   @バルディビアの先史集落遺跡で多数の縄文土器に酷似した土器が1956年に
     発掘された。土器なきエクアドルで突如として精錬された土器が出土したことが
     特徴である。
   Aエクアドルのアマチュア考古学者エミリヤ・エストラーダがスミソニアン博物館に縄文
     土器に類似の報告。
   Bエバンス博士夫妻は日本各地で縄文土器の調査を行い,「西九州の曽畑式土器」
     が酷似していることに達した。
   C1965年にクリフォード・エバンス,ベティ・メガース,エミリヤ・エストラーダの三名
     連名でスミソニヤン博物館より正式な学術報告書を発行した。
          (エストラーダ氏は45歳で過に死亡していた)
   Dバルディビア遺跡の発掘調査は現在も続けられ,USA内ではエバンス説に賛否
     両論がある。
   E日本国内的には古田武彦氏の賛同,江坂輝弥教授の反論以外は学会は無視して
     いる。
   
F1995年古田氏はメガース博士(エバンス妻)を招待してシンポジュウムを実施した。
   
Gこの来日で「HTLVI型の論証」,「寄生虫の論証」,「魏志倭人伝」等の収穫により,
     メガースは確信を持つ。

  4.3 メガース博士の主張
   @バルディビア土器は時期や文様より「西九州の曽畑式土器」が太平洋を渡って導入
     された。
   A倭国からの伝播ルートは北太平洋の黒潮に乗ったものと推定している。台風による
     日本の材木のエクアドルへの漂着や西九州の漁船の太平洋への漂流実績による。
   Bメガーズは南北アメリカの土器発掘年代より バルディビア土器が各地に伝播したと
     結論付けている。
  
*曽畑式土器:装飾が直線状の幾何学文様であり,唯一縄文地でない土器である。

5.中南米文化の縄文人の匂い
    中南米古代文化はメソアメリカとアンデスに大別できる。メソアメリカはマヤと
   アステカ,アンデスはインカとテワナコに代表される。どちらも黄金文化が脚光を
   浴びていて,高度の土器文化は黄金の陰に隠れている。

 
  過去を知るには征服者の記録を除くと,アステカやマヤには碑文と古文書がある。
   残念なことにはインカにはこの種は皆無である。マヤには多数の碑文と4通の絵文書
   (ex. トロ・コルテシアノ)と後日 伝説を記したポポル・ヴフ等が現存していて,
   過去を知る手がかりになっている。

  5.1 DNAより見た縄文人の分布
   
@現代のアメリカ先住民のミトコンドリアDNAのハプログループはA,B,C,D,Xの
     何れかである。
   
AハプログループはA,C,D,Xは北アジア,Bは東南アジアや中国南部に多い。
   
B前者はベーリング海経由でアメリカに,後者は南太平洋経由でアメリカに移住者に
    よると考えられる。
   
C日本人の最大のハプログループはDであり,次いで「ハプログループB」は13.3%
     該当する。立派に南太平洋の種族に属している。

  
5.2 マヤの絵文書
    
4通の絵文書内トロ・コルテシアノは神官のための占い,と宗教儀式を表している。

  5.3 マヤ人の伝承歴史書「ポポル・ヴフ」による祖先
     祖先は石や砂伝いに西方の海を渡って来たとある。ポリネシア経由の南太平洋
     コースを連想する。

  
5.4 マヤの碑文による暦の紀元
    
多数ある石碑のマヤ文字の暦によると,石碑に刻まれた日付の原点は現代の
    西暦紀元前3113年に相当する。約5100年前に何か重大な事件が発生したことを
    物語っている。想像を逞しくすれば,縄文人が政権を確立した時期と考えられないか。

  5.5 土器,その他
    @マヤ人は翡翠を重要視したことも何となく,縄文人と相いつながる事例である。
    
Aマヤの土器:円筒形の彩色土器が一般,不思議とロクロ不使用
    
 インカの土器:典型的なのが「アリバラス」と呼ばれる壷で底は円錐形。ロクロ不使
     用で何となく究極の縄文土器を感じさせる。
    
Bアステカ土器は芸術性が高く,絵付の代わりに表面に彫刻した「かめ壷」も発掘
      されている。
  
6.終わりに
  
 @6000年前の縄文人の渡米ルートは 黒潮北太平洋,ポリネシアの南太平洋,
      又は両方のコースかは不明であるが確実に到達していると信じられる。
    
A縄文人は環太平洋に広がり,中南米まで到達したと考えられる。当然1万5千年
      前,南米にはにベーリング海経由の移住があり,一方6000年前の別ルートの
      縄文人と再会したと思われる。何ともロマンの塊である。
    B南米の古代文明アステカ,マヤ,インカを築いた主力はベーリング経由の
     モンゴロイド人ではあるが,これらの文化には縄文人の血が流れていると信じる。