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駅でマコトと別れたヒロシはその足で電車に乗って新宿へ行き、義体化手術を行っている病院で義眼の検査を受けた。 でも、ヒロシが我慢して白っぽい幽霊のようなものを見たことを全部話したのに、義眼の異常は何一つ見付けられなかった。それどころか、マコトに付き添ってもらったことを顔見知りの担当医などにからかわれてしまって、ヒロシはすっかり機嫌を損ねてしまった。結果的に幽霊のようなものを見なくなったことにもなかなか気付かなかったくらいで、マンションのエレベーターを降りたときもヒロシはまだ機嫌が良くなかった。 「……まったく、ヒラタはただのクラスメイトに決まってるじゃないか」 ヒロシはぶつぶつ言いながらすっかり暗くなった外とは対照的な廊下を家に向かった。途中で会った住民とは会釈をしただけですれ違って家のドアの前に立つと、待つことなくコミュニケーションソフトの斉藤がドアを開けた。 『お帰りなさいませ、ヒロシ様』 「ただいま」 『ご夕食はいかがなさいますか?』 「いつもどおり」 天井から聞こえる斉藤の声にぶっきらぼうに答えながらヒロシは靴を脱いで家に上がった。ヒロシの両親はヒロシが退院して学校に復帰するとまた仕事で飛び回るようになっていたから、今夜も斉藤と二台の家事ロボットを除けばヒロシ一人だった。 ヒロシはトイレなど最低限のことをすませてリビングに向かい、家事ロボットが配膳を始めているダイニングテーブルに座った。 斉藤がヒロシの好きなテレビ番組をBGM代わりに流して、台所では完成直前になっていた鶏の照り焼きが焼かれている。 そして、鶏の照り焼きの香ばしい匂いがただよってきたところで、斉藤が壺漬けをつまんでいたヒロシに待ったを掛けた。 『ヒロシ様、テレビ電話が入っております』 「『テレビ電話』?」 『はい。ライトスタッフ探偵事務所のウミダミキ様からです』 「……知らない。後にして」 ヒロシはすぐに壺漬けをもう一切れ口に運んで、テレビ番組に替わってディスプレイに映し出された女性の顔を見ようともしなかった。病院や帰り道で何も買って食べなかったこともあって、今のヒロシからは知らない相手への配慮が完全に抜け落ちていた。 「それより、夕飯はまだ?」 『今ご飯と味噌汁をお出しします。 ですが、ウミダ様からのご用件は大至急だそうで、どうしてもすぐお話ししたいとのことです』 「うるさいな。だったら斉藤さんが用件だけ聞いといてよ」 『はい。私もそのように申したのですが、どうしてもヒロシ様に直接お話ししたいそうです』 「……クソ」 家事ロボットが運んでいる白いご飯とさつまいもの味噌汁を恨めしそうに見てから、ヒロシは勢いよくディスプレイに向き直った。 「じゃあ、つないで。ウミダだか誰だか知らないけど文句言ってやる」 『かしこまりました』 斉藤の言葉が終わるのとほぼ同時にヒロシはディスプレイに映っている女性の顔をにらんだ。相手が大人だろうと怒鳴りつけてやるつもりだったが、実際のヒロシは女性の顔が動き始めるより先に大声で叫んでいた。 「うわあああ!!」 『ヒロシ様、どうなさいました!?』 『お食事中のところ大変申し訳ありません。私、ライトスタッフ探偵事務所から参りましたウミダと申します……って、どうなさったんですか?』 「……ゆ、幽霊だ!! もう二度と見ないですむと思ってたのに!!」 『ヒロシ様、落ち着いてください! ウミダ様は幽霊などではございません!』 面食らった様子のミキをよそに声だけの斉藤が棒立ちになってミキを指差しているヒロシをなだめたが、ヒロシはまったく聞こえてない様子で叫び続けた。 「俺は信じないぞ! 誰かの嫌がらせに決まってる! 幽霊なんているはずないんだ!」 『ヒロシ様、落ち着いてください! ウミダ様、大変申し訳ございません。ヒロシ様はご気分がよろしくないようです』 「お前なんているはずないんだ!」 ヒロシは急いでご飯と味噌汁を置いた家事ロボットに抱きかかえられながらも叫び続けた。斉藤は知るはずもなかったが、ミキの姿はヒロシが日中見た幽霊のようなものとそっくりだった。特に、顔の輪郭と目の感じがうり二つだった。 でも、だからといってヒロシに叫び続けさせるわけにはいかなかったから、斉藤はすぐに通話を中断してミキにもう一度謝罪した。 『ウミダ様、大変申し訳ございません。ヒロシ様が落ち着かれるまでお待ちいただけないでしょうか?』 『……いえ、謝られることはありません。それより、「幽霊」とはどういうことなんですか?』 『それが……、ヒロシ様は幽霊などが大変お嫌いなのですが、幽霊のようなものを見られたばかりなのです』 『それが私に似ていると』 『おそらく、おっしゃるとおりかと』 『…………』 さすがに硬い口調で尋ねたミキはそのまま少し黙った。ヒロシの叫ぶ声はもう聞こえなくなっていたが、いきなり幽霊扱いされて平気でいられるはずがなかった。 『ヒロシ様も夕食をすませられれば落ち着かれると思いますので、それまでお待ちいただけないでしょうか?』 『……いえ、その「幽霊」は私のせいです。すぐにお話しした方が誤解も早く解けるはずです』 『どういうことでございますか?』 『直接話します』 『分かりました』 『それから、少しの間失礼します』 ――!? 斉藤が通話を再開した瞬間、電人であるミキは斉藤を沈黙させてヒロシの家の家庭内ネットワークに侵入した。無造作に思えるくらいの鮮やかな手並みで、かなりの技術を持っていてもなかなか簡単にはできない技だった。 侵入したミキはすぐにヒロシの家の家庭内ネットワークを制圧して、周辺で待機している仲間に制圧を連絡すると同時にいくつかユニットを設置して防備を固めた。 (これでとりあえずは良しと) ヒロシが幽霊嫌いだったとはまったくの予想外だったが、まさかこの時代に“幽霊”呼ばわりされるとも思ってなかった。 (きっと何かの罰ね) ミキはよりによってヒロシに言われたという皮肉に苦笑しながら、今度は慎重に音声だけでヒロシに呼び掛けた。 『……ヒロシ君、さっきは驚かせてごめんなさい』 ――! ヒロシはミキに呼び掛けられて身を堅くしたが、取り乱しはしなかった。斉藤が沈黙する前に通話の再開を告げていたから、座り直した席で緑茶の入った湯飲みを抱えておとなしく待っていた。 『斉藤さんに聞いたと思うけど、ヒロシ君が見た幽霊みたいなものは私のせいなの』 「い、いえ……。そうだとしても、僕の方こそ取り乱してすみませんでした」 神妙な顔をしたヒロシは深く頭を下げた。初対面の相手の前で大騒ぎしてしまったことだけでも恥ずかしいのに、その相手に暴言まで浴びせたのだから、ヒロシは気持ちが落ち着くほどいたたまれなかった。 「本当にすみませんでした!」 『いいから顔を上げて。元はといえば私がヒロシ君の義眼にユニットを入れたせいなんだから、ヒロシ君は気にしないで』 「で、でも……」 『いいから。そんなことよりもっと落ち着いて』 「はい……」 ヒロシはミキの強い口調に少しずつ顔を上げた。ヒロシが頭を下げている間に映像が再開していて、ディスプレイでは青い瞳にハニーブラウンの短い髪をしたミキがヒロシを落ち着かせようと右手を伸ばしていた。 そして、一応謝ったことで少し気持ちが軽くなったヒロシはようやくミキの言った言葉の他の部分にまで気が回り始めた。 「そう言えば、僕の『義眼にユニットを入れたせい』って言いませんでしたか?」 『ええ、言ったわ。ヒロシ君に病院に行ってもらいたくてあの映像を割り込ませたの。でも、ヒロシ君があんなに驚くとは思ってなかったから、私の判断ミスね』 「そんな、義体に侵入するなんて違法じゃないか」 ヒロシは聞き間違いでなかったと知って驚いた。義体やその通信回線に侵入することは法律で厳しく禁止されていたし、技術的にもかなり難しくされていた。また、ヒロシはまだ知らなかったが、ミキが斉藤を沈黙させたことや家庭内ネットワークを制圧したことも完全な違法行為だった。 「いくら探偵だからってなんでそんなことするんだ!」 『もちろん、違法行為だってことは私も分かってるし、ヒロシ君のプライバシーも侵害して申し訳なく思ってるわ。でも、NSSに気付かれないように指輪を探すためには他に方法がなかったの』 「え?」 『ヒロシ君もネットワーク管理会社のNSSは知ってるでしょ?』 「う、うん……。新宿の再開発地区に巨大な本社ビルがある最大手だろ?」 『そう。そのNSSがヒロシ君の提げてる指輪を狙ってるのよ』 「は?」 ヒロシは眉を寄せてミキを見返した。白いスーツにライムグリーンのキャミソールを着たミキは本気なようだったが、ヒロシはミキがなぜそんなことを言い出したのかまったく理解できなかった。 「どういうことだ?」 『話せば長くなるけど、ヒロシ君の提げてる指輪には“アダムの遺産”の半分が入ってるの』 「ええ!!」 突然立ち上がろうとしたヒロシは慌てて味噌汁や緑茶の入った椀や湯飲みを押さえた。ダイニングテーブルではさっきから鶏の照り焼きがおいしそうな匂いを漂わせていたものの、これから夕食という雰囲気は完全に消し飛んでしまった。 「……な、なんで“アダムの遺産”が出てくるんだよ。そんなものがこんなところにあるはずないだろ」 『それがあるのよ。その証拠に、ヒロシ君の提げてる指輪のデザインはこれで、内側には「P to H Sep.14.2158」って彫ってあるでしょ?』 「あ、ああ……」 『彫ってある文字の意味までは説明できないけど、このデザインはアダムがイブに電子空間で贈った指輪を再現したものなの』 淡々と説明するミキに指輪のデザインと彫ってある文字まで見せられて、座り直したヒロシは服の上から指輪を押さえた。 「……で、でも、“偶然の一致”ってこともあるんじゃないか?」 『いいえ、間違いないわ』 指輪のデザインと文字を引っ込めたミキが正面からヒロシを見詰めて、ヒロシはミキの視線から逃れるように目をそらせた。 アダムの遺産はヒロシものどから手が出るほど欲しかったが、まさか自分の手元にあったとは夢にも思ってなかった。それに、ヒロシは今日一日戸惑うことばかりで、この二十歳くらいに見えるミキをどこまで信用して良いかもまったく判断できなかった。 目をそらせたまましばらく考えていたヒロシは独り言のようにミキに尋ねた。 「……その話、ウソじゃないんだろうな?」 『もちろん。ヒロシ君にウソをつく意味がないでしょ』 「じゃあ、アンタがNSSに関係してないっていう証拠は?」 『ないけど、私が電人で、NSSの元会長は元人形使いの差別主義者って言ったら分かる?』 「ああ。でも、だからと言ってNSSの妨害までするのか?」 『そうね。でも、アダムの遺産は元々イブが電人、電命と人間の共存共栄を願って後世に託したものなの。誰かに独占させるわけにはいかないわ』 「なるほど。だから、指輪に入ってるのが半分だけなんだな」 ヒロシが右手でつかんでいる胸元を見下ろすと、ミキが身を乗り出してヒロシを見詰めた。 『だから、ヒロシ君にもNSSに指輪を渡さないでほしいの』 「でも、残り半分はどこにあるんだ?」 『NSSよ。人形使いだった元会長がリズを殺して奪ったの』 「『リズ』って“真夜中の女神”のリズか?」 『そうよ。私は“逃がし屋”って呼ぶ方が好きだけど、リズはイブからアダムの遺産の半分を託されてたの』 一瞬遠い目をしたミキはすぐに元の表情に戻って説明した。 リズは戦前に活躍した電人の一人で、当時は生命と認められてなかった電人、電命を逃がすために人形使いたちと数々の死闘を繰り広げたことで知られていた。特に、特定の根拠地を持たずに単独行動することの多かったリズはその鮮やかな戦い振りから「逃がし屋」「真夜中の女神」と呼ばれて、今でも熱烈な支持者が少なくなかった。 「なるほど……。じゃあ、俺はいつまでNSSに指輪を渡さなければ良いんだ?」 『私たちがNSSから奪われた半分を取り戻すまでよ』 「え?」 『私たちがNSSから取り戻したら、ヒロシ君にはアダムの遺産を自由なソフトウエアにするのにも協力してほしいの』 「本気か? 相手はNSSだぞ?」 『本気よ』 ミキは驚いているヒロシを強い視線で見詰め返して、二人は少しの間にらみ合った。 (ホントにただの探偵なのか?) いくらミキが義眼に侵入できる技術を持っているにしても、ヒロシはミキとその仲間がNSSに対抗できると思えなかった。なにしろ、NSSは日本最大手で世界でも有数のスーパーコンピューターを使っているのだ。 でも、ミキは自分や仲間の能力を固く信じている様子で、ヒロシはその自信がどこから来るのか少しだけ興味を感じた。 「……分かった。その代わり、俺が電子空間に住むのにも協力してもらうぞ」 『電子空間に住みたいの?』 「ああ。義眼を薄気味悪く思われるのはもう嫌なんだ」 ヒロシの吐き捨てるような言い方に、ミキは何かを思い出しようにヒロシを見詰めた。 『……そう。本気なのね』 「ああ。もう嫌なんだ」 『分かった。約束よ。私たちはヒロシ君が電子空間に住むのに協力するから、ヒロシ君も指輪をNSSに渡さないで、アダムの遺産を自由なソフトウエアにするのに協力して』 「約束する」 ヒロシはミキが差し出した右手をつかむように指輪を押さえていた右手を伸ばして、握手と同じやり方で軽く上下に振った。 |
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