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2、素顔


 マコトはひよわそうなヒロシならすぐに追い付けると思っていたが、ヒロシはマコトが思っていたより足が速かった。ヒロシは他に人がいないみたいにエスカレーターに乗っても立ち止まらずに歩いていくし、サンダル履きのマコトはなかなか差を縮められなかった。
(少しは待ちなさいよ!)
 周囲は授業中だから大きな声を出してヒロシを引き止めるわけにもいかなくて、マコトは保健室に着くまでヒロシの背中を見るばかりだった。
 そして、保健室に着いたマコトは軽く息を整えてから保健室のドアをくぐった。
「……失礼します」
「よお、マコトが付き添いか?」
「はい」
 マコトに背を向けてイスに座っているヒロシの肩越しに養護教諭のタケルがマコトを迎えた。タケルはクセが強い黒髪を後ろで無造作に束ねたスポーツマン風の若手教師で、女子生徒たちに特に人気があった。
「遅れてすみませんでした」
「マコトは悪くないって。悪いのは全部コイツさ」
 タケルは片手でヒロシの頭をたたきながら笑顔でマコトをねぎらった。軽くとはいえ何度も頭をたたかれているヒロシは怒っているようだったが、タケルはまったく気にしてない様子だ。
「ほら、ヒロシも謝れ」
「その前に頭をたたくのを止めろ」
「だったら、たたくのを止めればマコトに謝るんだな?」
「そんなこと言ってないだろ」
「じゃあ、仕方ないな」
 タケルはヒロシが両手で振り払おうとするのをあしらって、今度は両手でヒロシの頭をつかんで無理矢理振り返らせた。
「イタタタタタ!」
「ほら、早く謝れ」
「や、止めろ!」
 ヒロシがイスに座ったまま全力で抵抗して、なんとかタケルの手から逃れた。ドアの近くに立っていたマコトはタケルがヒロシにそんなことをすると思ってなかったから、ただ驚いて二人を見詰めた。
 すると、すぐに落ち着きを取り戻したヒロシがイスに座り直しながらマコトに言い放った。
「……見てて面白いか?」
「え?」
「付き添いはすんだんだから早く帰れよ」
「おい」
 タケルが後ろからもう一度ヒロシの頭をたたいて割って入った。
「それが謝る態度か? マコトは来たばかりでイスを勧められてさえないんだぞ?」
「だったら勧めれば良いだろ」
「マコト、ごめんな。こんなヤツにかかわらせちゃって」
 タケルはヒロシをひじで押しのけるようにしてマコトに壁際のイスを勧めた。ヒロシは一応診てもらう立場なのに、タケルはヒロシのことなどどうでも良いような態度だった。
 そのため、マコトはイスを取りに行きながら押しのけられてそっぽを向いてしまったヒロシを気にしてタケルに振り返った。
「それより、フジムラ君にさっきみたいなことして平気なんですか?」
「『さっきみたいなこと』って?」
「ほら、フジムラ君の頭をつかんで無理矢理振り返らせたじゃないですか」
「……ああ、それなら平気さ。突き転ばしたって義眼は平気だって」
 マコトに指摘されて、タケルは初めてヒロシの義眼に気付いたようにほほえんだ。
「それに、義眼のモニターだって義眼が正常に動いてるかどうか見てるだけだから、心配するようなことなんてないんだぞ」
「そうなんですか?」
「そうさ。コイツが嫌われてる理由の半分はコイツのせいだけど、少しは怖くなくなったろ?」
「はい……」
 マコトはヒロシから少し離れたところにイスを据えて座りながらヒロシを一瞥した。本当はまだ薄気味悪くて敬遠したい相手だったが、ヒロシが人前であんなに感情をむき出しにしていたのがひどく不思議だった。何と言うか、ヒロシも自分たちとそう大して変わらないんだという気がした。
「じゃあ、今コイツに謝らせるから、それがすんだら後は俺に任せてくれるか? コイツは他人に義眼を見せたがらないし、もしかしたら次の授業に間に合わないかもしれないからな」
「え、義眼がおかしいんですか?」
 一瞬ヒロシのことを考えていたマコトはタケルの言葉に驚いて顔を上げた。
「義眼がおかしいんだったら大変じゃないですか」
「ホントにおかしかったらな」
 タケルはマコトに答えながら片手でヒロシに自分の方を向くように指示した。指示されたヒロシはまだふてくされていたものの、もうタケルに抵抗する素振りを見せないで素直にタケルとマコトに向き直った。
「……言っとくけど、こんなの初めてなんだからな」
「そうだな。義眼が不調だなんて滅多にあることじゃないし、今もモニターで異常を確認できてないんだから、大方夢でも見てたんだろうよ」
「だから、寝ぼけてなんかないって言ってるだろ!」
「だったら、なんであんなこと言ったりしたんだ? それとも、あれは人に言えないことを考えていたことをごまかすためのウソか?」
「ふざけんな!」
 怒ったヒロシはタケルにつかみ掛かったが、タケルは慣れた様子でヒロシの両腕をつかんでヒロシの動きを止めた。マコトはまた二人の行動に驚いてしまって、二人を止めることさえ思い付かなかった。
 ヒロシは必死にタケルの手を振り払おうとしているのに、タケルは涼しげな表情でヒロシを見ている。
「ふん……、あれはウソじゃないみたいだな。まあ、幽霊嫌いのお前がウソであんなことを言うはずないもんな」
「え、『幽霊嫌い』?」
「このヤロ!」
 ヒロシはとっさにタケルをけりつけようとして、タケルに転ばされてしまった。片足を上げようとしたところでタケルにつかまれていた両腕を動かされてしまったためだが、同じ理由から頭を打つこともなかった。
「タケル先生!」
「残念だったな。ケンカするときは状況をよく考えろって言ったはずだぞ? それと、お前の言いたいことは全部分かってるから早く起きろ」
「チクショウ!」
 ヒロシはタケルの足下でひどく悔しがってからマコトをにらみつけた。サングラスで隠されている視線がはっきり感じられるような強いにらみ方で、マコトは思わずたじろいでしまった。
「な、何よ……。私のせいじゃないでしょ」
「……笑いたきゃ笑え」
「そ、そんなことするわけないじゃない」
「コイツの話全部聞いただろ? 俺は幽霊が嫌いだから、さっき教室で女の幽霊を見て騒いだんだよ」
 ヒロシに吐き捨てるようにぶちまけられて、マコトはどう反応するべきなのか困った。床に座ったままのヒロシはまたそっぽを向いてしまったし、突然「ヒロシは幽霊嫌いで女の幽霊を見たから騒いだ」と言われても現実味がなかった。
「……どういうこと?」
「知るか」
 マコトの少し遠慮した質問に、ヒロシはそっぽを向いたまま立ち上がった。ヒロシはそのままタケルのすぐ近くで何度も服のほこりを払って、それ以上尋ねられたくない様子だった。
「とにかく、俺は寝ぼけてもいないし、ウソをついてもいないからな」
「じゃあ、ホントに幽霊を見たか、義眼がおかしいかってこと?」
「違う!! 幽霊なんて勘違いか幻覚であって存在しない!」
 ヒロシは突然マコトに向き直って怒鳴った。さすがにつかみ掛かったりはしなかったが、それでもマコトに恐怖を感じさせるには十分だった。
 すると、ヒロシもばつが悪かったのか、身をすくませているマコトから目をそらせて小声で謝った。
「……ごめん」
「ちょっと、それだけ? あたしに怖い思いさせといてそれだけ?」
 立ち直ったマコトはもっと謝罪の言葉があると思っていただけにヒロシを問いただした。あまりにもそっけなくて怒りさえ感じた。
「あたしはアンタにつかみ掛かられるかと思ったのに、アンタの謝罪はそれだけなの?」
「悪かった。幽霊の話をされるのはホントに嫌なんだ」
「だったら最初から先生に言って、病院でもどこでも行って義眼を診てもらえば良かったでしょ! アンタのくだらない好き嫌いにあたしを巻き込まないでよ!」
「何だと! 勝手に名乗り出て付いてきたのはそっちじゃないか!」
「保健委員なんだから仕方ないでしょ!」
 ヒロシもマコトの言葉に怒って言い返したが、マコトの方が素早かった。
「タケル! フジムラにはちゃんと付き添ったんだから先に帰るね!」
「おう、気を付けてな」
「もうこんな根暗男のことなんて知らないんだから!」
 マコトは保健室のドアをこじ開けるようにして出ていった。保健室にはニヤニヤ笑っているタケルと怒っているヒロシ、それにマコトが片付け忘れたイスが残された。
 おかしそうにヒロシとマコトを交互に見ていたタケルがマコトの捨てゼリフを繰り返した。
「……『根暗男』」
 ――!
 マコトが出ていってからも保健室のドアを見ていたヒロシがすごい勢いでタケルをにらみつけた。マコトにぶつけられなかった怒りをタケルにぶつけている感じだ。
「……お前のせいだぞ」
「どうして? 今のは一方的にお前が悪いが、学校の子とケンカしたのなんて初めてなんじゃないか?」
「うるさい!」
「いつもなら無視するかだんまりするかなのに、気がゆるんだのか?」
「黙れ!」
「でもまあ、いつまでも他人を嫌い続けられるもんじゃないし、ちょうど良い機会なんじゃないか?」
「黙れって言ってるだろ!」
 ヒロシは右手を振り上げたが、一、二秒ためらってからゆっくりと下ろした。通用しないことは目に見えていたし、タケルに手を出せばタケルの言葉を認めたのも同じだった。
 タケルはヒロシが手を下ろすのを見届けてから改めて立っているヒロシを見上げた。
「……よし。一つ賢くなったな。
 じゃあ、一応義眼を見てやるからそこに座れ。科目担任とマコトには俺がうまく言っといてやるから」
 タケルはヒロシに一番年が近い叔父として言って、おとなしく座ったヒロシがサングラスを外すのを待った。

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