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「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……える? ……ちゃん、聞こえる……?」
「…………」
「……聞こえる? 望ちゃん、聞こえる?」
 ――……井上さん?
 闇の中に井上さんの声がかすかに聞こえた。
 でも、身体がひどく“だるい”し、井上さんの声も遠くに聞こえた。
 私はとにかく目を開けて起きようとしたけど、何度やっても視野は闇のままだった。
「……あ、あれ……?」
「気が付いたのね。
 まだ完全に麻酔が覚めたわけじゃないから動かないで」
「……ま、『麻酔』?」
「そう、無理に返事しなくて良いからね。
 これから少しずつ説明するから」
 井上さんはゆっくり優しい口調で言った。
「……?」
 一体「麻酔」とはどういうことだろう。私の声は信じられないほどかすれて弱々しかったし、たった二言なのに全力疾走したかのような“疲れ”を感じた。
「……ど、どういうこと……?」
「無理に話そうとしないで。
 今から少しずつ説明するから」
“息が切れた”私をなだめるように井上さんの言葉が続いた。
 でも、一体なぜ「息が切れ」たりするのだろう。部屋にいる私は「だるさ」や「疲れ」とは無縁なはずなのに、頭の中も霧が掛かったみたいにはっきりしなかった。
「望ちゃん、まず何も見えないのは異常でも何でもないから安心して。しばらくしたらまた元のように見えるようになるから」
「私……、どうかしたの……?」
「今説明するから急がないで。
 その前に、望ちゃんは今何を感じてる?」
「え?」
「目は見えなくても耳は聞こえてるわけだし、他に何か感じる?」
「え……と……、ベッドに寝てるのを感じる……。
 でも……、部屋のベッドじゃない?」
 私は両手の指だけを動かして部屋のベッドとは違う感触を感じた。何と言うか、とてもリアルな感じだった。
「ここ……、部屋じゃないの……?」
「そう思う?」
「うん……」
 私は井上さんに答えながら意識を身体に集中した。部屋にいたときにはほとんど感じなかった、息をするたびに毛布が上下する感覚や、心臓がはっきり脈打っている感覚、それに、清潔なシーツや少しツンとする消毒薬の臭いを感じた。
「……でも、どうして? 新しい実験か何かなの……?」
 こんなリアルな再現テストをするなんて聞いた覚えがなかった。
「大体、私は研究室でテレビを見てて……」
 一生懸命思い出そうとすると、私は井上さんに怒鳴って何かしたことを思い出した。でも、その後は記憶が途切れてしまっていてよく思い出せなかった。
「……私が何かしたの?」
「そうね。
 でも、それは理由のごく一部よ」
「じゃあ……、残りは何なの?」
 私はまとまらない考えが腹立たしくて尋ねた。
「突然闇の中に放り出されたのは覚えてるけど……」
「そうね。
 研究所のネットワークにサイバー攻撃が突然始まって、セーフモードにしなくちゃならなかったの」
「じゃあ……、私は意識を失ってたんだ……」
 何度か大きく息をして、私は新しい環境に慣れようとした。この前受けた環境再現テストはずいぶん単純だったのに、こんなリアルな環境を準備していたなんて驚きだった。
「そうだ、攻撃は止んだの? 私、そのことで怒ってたんでしょ?」
「そうね。攻撃は全部止んだわ」
「そう……。良かった……」
 パックとチョコのことも思い出した私は井上さんの言葉に安心した。これで二人は危険じゃなくなると思った。
 でも、その井上さんの声に陰があったことに私は気が付かなかった。
「……望ちゃん、聞いてもらいたい大切なことがあるんだけど、良い?」
「何?」
「攻撃は止んだけど、まだ『電子空間にも生命は存在する』って認められたわけじゃないの」
「そう……」
「それに、犯人たちの行動も認められなかったの」
「うん」
「犯人たちも攻撃されてずいぶん反撃したし、事件はさらに拡大して『コンピューター危機』って言われるくらいになったの」
「うん」
「だから、望ちゃんに部屋に戻ってもらうわけにはいかなかったのよ」
「そう……」
 私は残念だったけど、井上さんは何を言おうとしているのかと思った。電子空間にも生命は存在すると簡単には認めてもらえないだろうとはパックも言っていたし、そんなに大切なこととは思えなかった。
「望ちゃん、右腕と右足の具合はどう?」
「え?」
「違和感とか、感じる?」
「どうして?」
「感じてないなら良いけど、望ちゃんの右腕と右足は義手と義足なの」
「え!?」
 私は思わず身じろぎした。そんなことあるはずがなかった。
「冗談、止めてよ。義手と義足ができるのはまだ先でしょ」
「先だったんだけど、今はその先なの」
「そんな……。
 じゃあ、半年もにらみ合ってるの?」
「え?」
「事件のことよ。攻撃が止んだんなら、にらみ合ってるんでしょ?」
「それが……、犯人たちは行方不明なの。一時は世界中のインターネットが使えないくらいだったんだけど、この間国連が終結宣言を出したわ」
「……そんな……。
 私はまた独りなの……」
 私は打ちのめされた。半年も意識を失っていたことだけでもひどすぎるのに、二度も家族を失うなんて信じられるはずがなかった。
「後、斉藤さんは無事だし、望ちゃんが部屋で使っていたものもそっくり残ってるからね。昨日は人工眼の手術がすんで、明日から少しずつリハビリも始まるから」
「…………」
「……望ちゃん、私も事件がこんなことになってとても残念に思ってるわ。研究所や病院の人もみんなそう思ってるし、世界にだって望ちゃんと同じ気持ちの人はきっとたくさんいるはずよ」
 井上さんは言いながらそっと私の両頬に触れた。温かくて、柔らかい、紛れもなく現実の手。
「……美穂姉……」
 もうパックやチョコに触れられないのだと思ったら、私は泣き出していた。部屋にいたときには再現できなかった涙が私の顔をぬらした。
「……私、私……」
 もう二度と電子空間に戻れないのだという現実に私は涙が止まらなかった。まるで子供のように泣いて、泣き疲れた私はそのまま眠ってしまった。

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