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「……美穂姉?」
『望ちゃん、確認は終わったの?』
「うん……、まだ少し残ってるけど、斉藤さんに任せてきちゃった」
 私は待っていてくれた井上さんに答えた。顔を上げた井上さんはひどく思い詰めた表情をしていて、私はカメラを下ろしながら申し訳ない気持ちになった。
「ごめんなさい、指示に従わなくて」
『いいのよ。気にしないで』
「でも、慌ててたから北本研究室の指示にも従わなかったし……」
『いいのよ。結局、研究所は大丈夫だったみたいだし、望ちゃんが制限しなくちゃいけない理由なんてないんだから』
「じゃあ、何かあったの?」
 私は井上さんを正面から見詰めた。
「研究所は大丈夫だったんでしょ?」
『そうよ。システム管理部も「研究所はサイバー攻撃の対象にならなかったと思われる」って発表してる』
「じゃあ、何があったの?」
『どうもサイバー攻撃の対象になったのはこの大学だけじゃないみたいなの』
「え?」
『まだインターネットにつなげないからテレビの情報だけなんだけど、サイバー攻撃はほとんど全世界的に行われたみたいなのよ』
「ええ!?」
 私は本当に驚いた。パックがこのサイバー攻撃の張本人だと知ってはいても、全世界的に行っていたとまでは知らなかった。
「じゃ、じゃあ、犯人は何て言ってるの?」
『「電子空間の安全保障と引き替えに、電子空間に住む新しい種族のための領土として全世界にあるコンピューターリソースの一割」を要求してるみたい。回答を要求された国連事務総長は即座に要求を拒否したけど、今のところほとんど有効な手を打ててないみたいなの』
「そう……」
『「電子空間に住む新しい種族」が具体的にどういう存在を意味するのかは分からないけど、とにかく望ちゃんは心配いらないからね』
 井上さんはわざと私を励ますように明るい口調で言った。本当は研究所もすごいパニックなんだろうけど、とにかく私を不安がらせないように気を遣ってくれているのが分かった。
『国連も政府も動いてるし、時間も少し掛かるかもしれないけど、インターネットに接続できない他は望ちゃんの生活に変わりはないから』
「でも、もしその『電子空間に住む新しい種族』が私みたいな人のことだとしたらどうなるの?」
『もしそうだとしても望ちゃんもこの研究所も変わらないわ。その人と望ちゃんは関係ないし、望ちゃんはここで治療を受けながら治療に関連する研究に協力してるだけだもの』
「そうじゃなくて、もし本当に私みたいな人が自分で住むために要求してるんだとしたら?」
『どういうこと?』
「もし本当に私みたいな人が自分で住むために電子空間を要求してるんだとしたら、国連や政府は“独立”を認めてくれると思う?」
 私の質問に井上さんは指で机をたたいた。予想してなかったみたいで、井上さんは考え込むように私から視線を外した。
『……難しいでしょうね。その人だって望ちゃんみたいに部屋が用意されてるでしょうし、それ以外のところを勝手に自分のものにはできないと思うわ』
「じゃあ、その人が新型ウイルスとか、新しい生命だと信じてるものと一緒に住みたいと思ってるとしたら?」
『……それでも難しいでしょうね。その人が自由にできるのはその人に用意されてる部屋だけだと思うわ』
「じゃ、じゃあ……、その人が住むためとかじゃなくて、今電子空間にいる新しい生命だと信じてるものを他の人にも認めさせて、安全に住めるようにするためだとしたら?」
 私は井上さんに食い下がった。井上さんの答えはもっともだったけど、私はできるだけすんなり認めてもらいたかった。
「認めてもらえるでしょ? 全世界のコンピューターリソースの一割は無理でも、安全に住める場所は絶対に必要だもの」
『……望ちゃん、落ち着いて。
 望ちゃんの考えは分からなくもないから、二人で一緒に考えましょ?』
「でも、私は認めてもらいたいの。電子空間に新しい種族はいるのよ」
『望ちゃん……』
 井上さんは困ったように私を見たけど、私は止めなかった。ここで井上さんを説得できなかったら本当に“戦争”になってしまうと思った。
「前に生命について話したとき、美穂姉は『ロボットを生命に含めても良いんじゃないかって主張してる人たちがいる』って言ったよね。だから、電子空間に新しい種族がいるって言う人がいても良いと思うの。電子空間にいるものはロボット以上に守られていないし、誰かがこういうことをしなくちゃ真面目に考えてももらえないと思うの」
『そうかもしれないわね……』
「ねえ、美穂姉は認めてもらえると思う? 手を打てないんだったら認めるしかないよね?」
『……少し考えさせて。私もよく考えてみるから』
「お願い。
 でも、全世界的にサイバー攻撃ができるくらいの相手なんだから、国連や政府は拒否して戦うなんてことないよね?」
 私は考えている井上さんを残して視線を研究室に移した。
 研究室はだいぶ落ち着きを取り戻していたけど、緊張と興奮でピリピリした雰囲気だった。私と井上さん以外は全員テレビの周りに集まっていて、食い入るようにテレビを見ている。
「美穂姉、私もテレビ見に行って良い?」
『待って。今行ってももめてるところを延々と見せられるだけよ。事務総長が正式な回答をするのは明日だし、今は止めといた方が良いわ』
「そんなにもめてるの?」
『みんながみんな犯人の話を信じてるわけじゃないから……』
 振り返った私は井上さんの返事に胸が締め付けられるようだった。インターネットで見たサイボーグに反対する人の過激な主張を思い出して、パックとチョコのことが心配になった。
「……ああ、私も何かできれば良いのに」
『望ちゃん、それは私も同じ気持ちよ。きっと、研究所で働いてるすべての人が同じ気持ちだと思うわ』
「じゃあ、美穂姉は認めてくれる?」
『……まだ実感が湧かないけど、望ちゃんが生命だと感じてるなら生命なのかもしれないわね』
「ほんと?」
『ええ。望ちゃんの感覚を信じるわ』
「やった!!」
 私は飛び上がって井上さんの胸に飛び込んだ。井上さんみたいな専門家が認めてくれれば国連や政府もきっと認めてくれると思った。
「ありがとう! 美穂姉!」
『ちょっと、危ないでしょ!
 うれしいのは分かるけど、ぶつかったりしたらどうするの!』
「ごめんなさい! でも、ホントにうれしいの!」
 すぐに井上さんから離れて私は研究室の天井近くをグルグル飛び回った。テレビを見ている人たち全員にも一人一人説明して回りたいくらいだった。
『おい、どうしたんだ!?』
「美穂姉が電子空間にも生命がいるって認めてくれたの!」
『望ちゃんも色々言ってたものね』
『とすると、やはり犯人の中にもいるのか?』
『いえ、まだ断定できないわよ。そう思わせようとしているのかも』
『ここで研究がばれたりしたら致命的だもんな』
 テレビを見ていた人たちは何か言っているみたいだったけど、私はうれしくて全然耳に入らなかった。
「それより、みんなも認めてくれるよね!?」
『まあ、犯人が主張してるように生命の定義を「存在し続けようとするシステム」とするなら否定できないだろうな』
「でしょ! 電子空間にも生命がいるのよ!」
 私は天井近くから大きな声で宣言した。
「美穂姉、研究所は国連や政府に『認めるべきだ』って言ったの?」
『さあ……、分からないけど、意見を求められてるかもしれないわね』
「なんとか話を聞いてもらえないかな?」
『どうだろう?
 教授はどう思いますか?』
『そうだな……』
 井上さんに尋ねられた教授は腕を組んで考え始めた。
 そして、その間に私はテレビが見えるところまで移動して少しだけ画面をのぞいた。
「あ、新しいニュースだって」
『ちょっと、望ちゃん』
「国連で動きがあったみたい」
 井上さんの注意を無視してニュースを見ていた私はすぐに言葉を失った。
『望ちゃん!』
「……そんな……」
 私は後ずさって近付いてきた井上さんに向き直った。
「『武力行使始まる』ってどういうこと!!」
『え!?』
「なんでそんなことするのよ!!」
 テレビでは国連本部前にいる記者が真剣な表情で武力行使に踏み切った国のことを伝えていた。その国は重要施設のシステムを占拠した犯人たちが施設を暴走させようとしたのでやむなく武力行使に踏み切ったと説明していたけど、そんなのウソに決まっていた。パックがそんなことをするはずなかった。
『おい、こりゃ「武力行使」なんてもんじゃないぞ!』
『建物ごと空爆するなんて正気か?』
『落ち着け! 全員自分の席に戻れ!
 望ちゃんもしばらく部屋に戻った方が良い』
『そうよ。一旦部屋に戻りましょ? パソコンを使えばここの様子も分かるでしょ?』
「嫌! ここにいる!」
 私を捕まえようとする井上さんから逃れて私は井上さんに言い返した。
「美穂姉たちは何とも思わないの! 新しい生命が殺されようとしてるのよ!」
『望ちゃんのことの方が優先よ。興奮しすぎたらダメなのは望ちゃんもよく知ってるでしょ』
「だったらすぐに攻撃を止めさせてよ! 記者会見でも何でもして電子空間にも生命がいるって認めさせて!」
 私は捕まらないように研究室の天井すれすれから叫んだ。爆撃された研究所の名前や詳しい場所はテレビに出てなかったけど、私にはパックの研究所だという確信があった。軍や情報機関が関係しているという研究所はパックを“殺す”ことをためらわなかったのだ。
「これ以上手遅れになる前に認めさせて!」
『そう言われても、インターネットが使えないから記者に集まってもらうだけでも大変よ』
「だったら他の方法でやって!」
『望ちゃん!!』
 私はテレビを消そうとした人に気付いて体当たりした。体当たりされた人はのけぞりながら頭を押さえる。
『望ちゃん! なんてことするの!』
「邪魔しないで!! このテレビは絶対消させない!!」
 パックやチョコの様子を知るための唯一の手段を失うわけにいかなかった。私はすぐにテレビを守りに戻ろうとして、突然闇の中に放り出された。

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