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私が新型ウイルスを守ると決めてから二、三日経った。 具体的な方法は最初に決めたとおりだったけど、斉藤さんとはケンカしたままだったからなかなか大変だった。井上さんたちにも気付かれてはならなかったし、プログラミングの勉強に至っては手を付けてさえなかった。考えるのは新型ウイルスを守る方法とパックのことばかりで、朝の雑談でもどこか上の空になってしまっていた。 『……ちゃん、望ちゃん』 「あ、はい!」 『なんだか気になることがあるみたいね』 「そ、そうですか!?」 我に返った私は慌てて井上さんに答えた。井上さんには悪いけど、今まで何を話していたのかほとんど覚えてなかった。 『悩み事だったらいつでも相談に乗るからね』 「ち、違いますよ」 『そう? だったら良いけど……。 ここ二、三日斉藤さんのことをまったく言わないし、もしなじめないんだったらホントに無理して使うことなんてないんだからね』 「分かってますって。それより、飛島さんに話してくれました?」 『ええ。望ちゃんもメール出したんでしょ?』 井上さんもそれ以上尋ねないでくれた。本当に優しい“お姉さん”で、早く私の相手から解放して飛島さんと一緒にさせてあげたかった。 「出しましたけど……、美穂姉から頼んでもらった方が効き目あるかな〜って思って」 『こら、余計なことまで気を回さないで良いの』 「でも、美穂姉だったらその場で返事をもらえるでしょ?」 『……まあね』 私――正確には私が使っているカメラ――をこづこうとした井上さんは渋々認めた。 飛島さんは仕事が忙しくなると夢中になってしまって時々仕事以外のことを忘れてしまうのだった。 『だけど、二郎の個人授業で本当に良いの? 部屋で色々試すんだったら一人で勉強した方が分かりやすいと思うよ?』 「良いの。できたら斉藤さんみたいな高度な人格を持つAIについても勉強したいから」 『そう……。 だったら覚悟してよ? この間で分かったと思うけど、二郎はあんまり教えるのうまくないから』 「は〜い。美穂姉とデートのときもそうなの?」 『こら』 井上さんも今度は私をこづいた。 そして、私はうまくごまかせたと思ったけど、その代わりに井上さんに逆襲されてしまった。 『望ちゃんがそんなに気にしてくれるなら、私も望ちゃんのことを気にしないと悪いよね?』 「え?」 『望ちゃんも好きな人いるんでしょ?』 「……ちょっと、何言ってるの! そんな人いるわけないじゃない!」 『そう? だったら何人か紹介してあげようか? さすがに研究所じゃ望ちゃんと同い年くらいの子は無理だけど』 「いらない!」 私は一瞬パックのことを言われたと思って必要以上に慌ててしまった。大きな声を出してそっぽを向いた私を井上さんはくすくす笑っている。 『ほら、望ちゃんも同じことをされたら嫌でしょう?』 「……美穂姉のいじわる」 『だけど、本当にいつでも相談に乗るから、どんな小さなことでも相談してね? 私はそのためにここにいるんだから』 「はーい」 『じゃあ、さっきの話の続きだけど、望ちゃんはどこまで聞いてた?』 「えーと……、美穂姉の友達がこの前の休みに買い物でブーツのかかとが取れちゃったっていうところまで覚えてる」 『ずいぶん聞いてなかったのね。 とにかく、その友達はそのままでいるわけにはいかなかったから、代わりのブーツだけ買って帰ったんだって。修理にも結構掛かったらしいし、ずいぶんこぼしてたのよ』 「そうなんだ……。ちなみに、美穂姉だったらどうしてた?」 『そうね……、ブーツを買わないでタクシーで帰るのも結構掛かるし、お気に入りのブーツをあきらめるのもきついしね……。安いのを適当に買ってまっすぐ帰るかな?』 「そうだよね」 私はうなずきながら新型ウイルスのことを思った。ブーツの話で思い出すなんてひどかったけど、新型ウイルスなら余計にあきらめられなくて当然だと思った。 「ところで、美穂姉はペット飼ったことある?」 『あるよ。今は飼ってないけど、犬を飼ってたよ』 「バーチャルペットは?」 『あるよ。 もしかして、何か飼いたいの?』 「うううん。そうじゃなくて、美穂姉はバーチャルペットを生命だって思ったことある?」 私はカメラを振って尋ねた。新型ウイルスのことは話せなくても、電子空間にも生命は存在すると知ってもらいたかった。 『あるよ。ペットロボットを預かったときも思ったし、感覚的にはバーチャルペットやペットロボットを生命だって思ったことのある人の方が多いんじゃないかな』 「だよね。ペットロボットなんてちょっと触っただけじゃ分かんないのも結構あるしね」 『生命についての話だったら生命倫理の先生にも来てもらおうか?』 「いい。ちょっと思っただけだから」 『そう』 呼ぶつもりだったらしい井上さんはすぐに私に向き直った。 「それで、そのバーチャルペットとかのことなんだけど、よく考えたら美穂姉の言うとおりだよね?」 『え?』 「ほら、前に美穂姉が『考えるだけじゃなくて信じることが大切だと思う』ってアドバイスしてくれたことがあったでしょ? だから、ロボットとかバーチャルペットとか、どっちか迷うものは定義よりも感覚の方が大切なんじゃないかなって思って」 『うーん……』 井上さんはイスにもたれかかって片手の指で机をたたいた。 『確かにそう言ったけど……、望ちゃんはそれで良いの?』 「うん。認めたからって今の私が人間じゃなくなるわけじゃないもの」 『そうね……』 井上さんはまだ少しだけ戸惑った様子で机をたたいた。私が今までと正反対のことを言い出したのだから当然だけど、私はそれ以上説明しなかった。 「ねえ、美穂姉もそう思うでしょ?」 『うーん……。それも考えの一つでしょうね。でも、そうするとコミュニケーションソフトやロボットの一部は“人”になるの?』 「人だと感じられればね」 『うーん……。ちょっと考えさせて。今まできちんと考えたことなかったから』 「もちろん。私もちょっと思っただけだから、美穂姉もあんまり真剣に考えないでね」 私があっさり話を打ち切ると、井上さんはホッとしたような表情になった。私に気付かれないようにしていても、私がまた生命の境界について尋ねるかもしれないと思っていたみたいだった。 『じゃあ、後で考えさせてもらうね。 後、望ちゃんに聞いてもらいたかったことってあったかな?』 「だったら、新田さんたちの研究がどこまで進んだか教えて」 『え?』 「ほら、この前アメをもらったけど、飲み物は無理だったじゃない。だから、いつごろ飲めるようになるかなって思って」 『うーん、「できるだけ早く」としか聞いてないな……。今日のミーティングで聞いてみるね?』 「お願い。 あ、でも、私がせかしてるとか思わせないでね」 『大丈夫よ。うまく聞くから』 井上さんは笑ってカメラに手を伸ばした。 『それとも、余計な心配をしないですむように自分で聞く?』 「いい。美穂姉が聞いて」 『分かった。じゃあ、ミーティングの前に片付けておきたい書類があるから、部屋で待っててちょうだい』 「うん」 私は美穂姉にカメラを軽くたたいてもらってから、他の人の邪魔にならないようにカメラを天井近くまで引き上げた。 |
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