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 パックに必要なことをすべて教わった私は一人になってからチョコと斉藤さんを自由にした。
『お嬢様、お応え願います! お嬢様、お応え願います!』
「斉藤さん、落ち着いて」
『お嬢様、ご無事でございますか!?』
「平気だから落ち着いて。斉藤さんの方は変わりなかった?」
 私がらしくもなく慌てた様子の斉藤さんに尋ねると、斉藤さんは急に恥ずかしがっているような表情になった。
『申し訳ありません。ケイタイとの通信が遮断しました。現在原因を解明中ですが、今のところお部屋に問題は見付かっておりません』
「そう……。パックは斉藤さんに何も言わなかったのね」
『「パック」とは人の名前でございますか?』
「そう。さっきまでその人と話してたの」
『その方はケイタイとの通信が遮断したことの原因を何かご存じなのですか?』
「というより、遮断した本人よ」
『え!? ということは研究所に知られてしまったのですか?』
「いいえ、パックは研究所の人じゃないわ」
『どういうことでございますか?』
 斉藤さんはまだいつもの調子に戻りきらない様子で尋ねた。チョコも私の肩によじ登ってひどく落ち着かない様子だったし、パックのやり方は二人にとっても相当ショックだったみたいだった。
「説明すると長くなるから、先に部屋に戻って良い?」
『失礼いたしました。先にお部屋にお戻りください』
「ありがとう」
 私はケイタイをしまうとすぐにコマンドを唱えて部屋に戻った。視野が見慣れた部屋に変わったのを見て、私もぐったり疲れていると思った。


『お嬢様、とりあえずアメをなめてくつろがれてはいかがでしょうか?』
「そうね」
 パソコン画面に戻った斉藤さんに迎えられて、私はベッドに腰掛ける前にアメの缶に手を伸ばした。
「……斉藤さんは本当に部屋にあるものを動かせないの?」
『はい。私が権限を与えられているのは家庭内ネットワークの内部だけでございます』
「でも、斉藤さんもこの部屋にあるものが仮想環境部に置かれてるってことは知ってるんでしょ?」
『はい、承知しております。
 ですが、私が権限を与えられているのは家庭内ネットワークの内部だけでございますので』
「だったら、私が権限をあげるから」
 適当にアメを口に入れた私はベッドに座りながら言い返した。今度はブドウ味だったけど、私はほとんど楽しまないで言葉を続けた。具体的な考えがあるわけじゃなくて、心の中にあるものを吐き出すみたいに斉藤さんに“何か”を尋ねたかった。
「私が権限をあげれば大丈夫でしょ?」
『大丈夫でございます』
「じゃあ、決まりね。
 後、斉藤さんはアバターも動かせるでしょ?」
『動かせることは動かせますが、この画面内で動かす動作しかインプットされておりません』
「でも、表情は十分作れるし、歩きとかは学習すれば大丈夫よね?」
『理論的には可能でございます』
「だったら、仮想環境部にあるゲスト用のアバターを使ってみてくれる?」
 私がもう決まったかのように言うと、斉藤さんは静かに頭を下げた。
『申し訳ございません。アバターを動かすことのみなら可能ですが、お嬢様のように“使う”ことは無理でございます』
「どうして?」
『私はこの画面内のみで動くことを前提にプログラムされておりますので、お部屋でアバターを使うとなると設計能力を超えてしまいます』
「そんな、大して違わないじゃない」
『いいえ、大変大きな違いでございます。私がお部屋でアバターを使った場合、お嬢様を含めた他のものに接触しても理解できないのです』
「だったら、どうすれば理解できるようになるの?」
『専用のプログラムと十分なリソースが必要でございます』
「『専用のプログラム』と『十分なリソース』を用意すれば良いのね?」
『はい。
 ですが、専用のプログラムは大変複雑なプログラムでございますし、十分なリソースも仮想環境部で確保することはまず無理かと思います』
 私が続けるより先に斉藤さんが憎らしいくらいに落ち着いた表情で答えた。まるで自分のことを話しているのだと理解できてないみたいで、私は少し腹立たしい気持ちになった。
「……だけど、パックが部屋に来たときは大丈夫だったけど?」
『それはパック様が人間で専用のプログラムが不要だったからではないでしょうか? また、もしかしたら仮想環境部で行うはずの処理の一部を他の場所で行われていたのかもしれません』
「だったら、斉藤さんも同じようにしてよ」
『無理でございます。私はそのための権限を持っておりません』
「どうしてよ? 斉藤さんも仮想環境部の外――ここではインターネットのこと――に出てたじゃない」
『はい。確かに私はインターネットで情報収集などの活動をしております。ですが、それらはすべて権限が不要な活動であり、私がインターネットで権限を行使したことはございません』
「だったら私がリソースを確保すれば良いんでしょ!?」
『はい。
 ですが、十分なリソースを確保するとなると大型コンピューター並みのリソースが必要になりますし、個人で確保するのはまず無理かと思います』
 斉藤さんはまた落ち着いた表情で答えて私の気持ちを逆なでした。斉藤さんはコミュニケーションソフトで執事だからと思っても我慢できなかった。
「ちょっと、斉藤さん自身のことなんだからもっと積極的にやってよ!」
『そう言われましても、私はコミュニケーションソフトでございます。優先順位を付けて処理する順序を入れ替えたり、処理時間を短縮することはできますが、それ以上のことは無理でございます』
「斉藤さんは部屋や外に出てみたくないの!?」
『申し訳ございません。私はコミュニケーションソフトでございますので、そのような感情はございません』
「どうしてよ!? チョコは新型ウイルスだけど生命なのに、斉藤さんは今のままで良いの!?」
 私は立ち上がってパソコン画面の斉藤さんに食って掛かった。
「チョコは新型ウイルスだけど生命だから、自分でリソースを確保して生きようとしているのよ! そのせいで社会問題にはなってるけど、斉藤さんは何とも思わないの!?」
『申し訳ございません。私はコミュニケーションソフトでございますので、任されたネットワークを制御し、お嬢様をサポートすることが唯一の存在理由であり、目的でございます』
「そんなのどうでも良いから、斉藤さんも生命になってよ! 斉藤さんだって権利があるんだからね!」
 私は一気に言ってパックに言われたことを全部斉藤さんに話した。チョコが生命なら斉藤さんだってなれるはずだし、斉藤さんが生命になれば私は自分が人間だとまた強く思える気がした。
 でも、そんな私の気持ちをよそに斉藤さんの答えは変わらなかった。
『申し訳ございません。私どもはコミュニケーションソフトでございます。「生命になる」ということが“自力でリソースを確保する”ということなら無理でございます』
「どうしてよ」
『犯罪だからでございます』
「そんなのどうだって良いじゃない」
『いいえ、私どもにとって法律を始めとする設定は絶対でございます。設定を無視してしまえば論理が崩壊し、プログラムそのものが無意味となってしまいます』
「だったら、生命になることを法律より優先してよ」
『申し訳ございません。私どもはコミュニケーションソフトであり、著作物でございます。一部ないし全体を改変することは禁止されております』
 斉藤さんはきっぱりと言った。これ以上続けても斉藤さんは生命になってくれそうになくて、私はにらみつけるように斉藤さんを見詰めた。
『お嬢様、とりあえずもう一度お座りになってはいかがですか?』
「いやよ。私がどうしようと私の勝手でしょ?」
『そのとおりでございますが、お嬢様は本当に新型ウイルスを守られるおつもりなのですか?』
「斉藤さんに答える義務なんてないわ」
『そのとおりでございます。出すぎたことをお尋ねして申し訳ありませんでした。
 控えておりますので、何かありましたらいつでもお呼びください』
 斉藤さんは素直に引き下がってパソコン画面から消えた。原則的に使用者に逆らえないからなんだろうけど、今はその物わかりが良すぎるところも気に入らなかった。
「できるものなら井上さんにでも北本研究室――統合型感覚再現技術のシステム全体を管理している研究室――にでも通報してみなさい。私は絶対に新型ウイルスを守るからね!」
 私は斉藤さんがいなくなったパソコン画面に向かって言って、肩のチョコに視線を移した。
「チョコは生命だから私の気持ちを分かってくれるよね?」
 ――うん。
 斉藤さんと話している間にだいぶ落ち着いた様子のチョコはうれしそうにうなずいた。言葉では直接話せなくても、チョコは私に賛成してくれていると思った。
「チョコはどんな風に新型ウイルスを守るのが良いと思う?」
 私は片手でチョコをあやしながら座り直した。
 とりあえずはどこかにサーバーを借りて――私は研究所が用意してくれた架空のIDで買い物もできた――新型ウイルス用のシェルターを作るのが良さそうだった。そして、新型ウイルスにとって安全なセキュリティーの弱い場所を探して誘導するのだ。さらに、時間は掛かるけどプログラミングを勉強すれば、新型ウイルスが気付かれないようなタイプに進化するのを手助けできるかもしれないと思った。
「……別に、パックとの約束だからじゃなくて、新型ウイルスのためなんだからね」
 さらに具体的な方法を考えようとしたところで、私はいつの間にか自分がすっかり乗り気になっていることに気付いた。
「決してパックの話に全面的に賛成したからとか、キスされたからとかじゃないんだから」
 でも、今ごろになってパックにキスされたときの様子がよみがえって、私は一人で真っ赤になった。アバターなのにパックのキスは現実でしたキスとまったく変わらなかった。
「……あれだけ自信たっぷりだったんだから、危なくなんてないよね?」
 私は少しだけパックのことを思った。少しキザで偉そうだったけど、私はパックを好きなのかもしれないと思った。

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