|
飛島さんが帰った後は井上さんも仕事に戻って自然とお開きになった。 私はカメラのスイッチがちゃんと切れていることを確認して周りに物を積み上げたゴミ箱を眺めた。昼休みに不安になって出てこられないようにしてみたつもりだったけど、実際には目隠し以上の効果はなかった。 でも、新型ウイルスは言われたとおりにおとなしくしていたようで最後に見たときと変わったところは見られなかった。 「……ホントに新型ウイルスなの?」 生命でないとはっきりすればもう少し楽に捨てられると思っていたのに、結局最後まではっきりしたことは分からなかった。それどころか、本当に実体のない新型ウイルスなのだろうかと思ってしまった。 昼休みに調べたときには新型ウイルスの取扱説明書が出てきたけど、本当に信用して良いのだろうか。もしかしたらウソかもしれないし、私やパックという被験者がいるのだからハムスターの被験体があってもおかしくないはずだと思った。 「美穂姉にもっと尋ねれば良かった……」 電子空間で相手に実体があるかどうかを見分ける方法があるなら喉から手が出るほど知りたかった。 でも、実際にどう尋ねれば良いかとなるとさっぱり見当が付かなくて頭を抱えた。どう考えてもパックのことを説明しないわけにはいかなくなりそうだったし、第一そんなにうまく井上さんに隠し事ができると思えなかった。 結局、私はまた問題を一時棚上げにして新型ウイルスが本当におとなしくしているか確かめることにした。ゴミ箱の周りに積み上げた物――大半は本の形をした文書ファイル――を片付けてゴミ箱の中の新型ウイルスを探す。 「フフ、寝ちゃってる……」 驚いたことに新型ウイルスはゴミ箱の中で丸くなって寝ていた。誰にも相手にされなかったものだから眠ってしまったようだった。呼吸しているみたいにお腹が規則的に動いていて時々ピクピクとひげや耳まで動かしている。 「これで実体がないとしたらすごいプログラムよね」 私にはどうしても生きているようにしか見えなくてそっと新型ウイルスのお腹に触った。 温かくて柔らかい感触がしたと思うと、目を覚ました新型ウイルスがきょろきょろと辺りを見回す。本当に自然な動きで私もつい手を差し出してしまった。 「おいで」 差し出した手に気付いて一生懸命よじ登ろうとする様子がまたかわいかった。まだ完全に新型ウイルスだという警戒を解いたわけではなかったものの、私は新型ウイルスをゴミ箱の外に連れ出した。 「……やっぱり生きているようにしか見えないよ」 パックが新型ウイルスと言ったのは私を驚かせるための冗談で、本当はハムスターの被験体なのだという思いがますます強くなった。というより、そうでなければこんなに細かい仕草まで再現できるはずがないと思った。 「ねえ、ホントにあなたは実体がない新型ウイルスなの?」 ――? 新型ウイルスはそのハムスターの顔で私を見詰め返した。アニメ風の大きく黒い目が本当に話し掛けてくるようだった。 「あなたがホントに新型ウイルスなら私はあなたを捨てなきゃならないのよ」 ――?? 新型ウイルスは納得いかないみたいに頭を動かした。 取扱説明書によると高度な判断能力や進化などによりあらゆる事態に適応できるということだったけど、私にはごく普通のハムスターに見えた。 でも、研究所のセキュリティを難なくすり抜けてきたパックなら本当に再現する方法を知っているのかもしれなかった。 「…………」 私は掌に新型ウイルスを乗せたまま悩んだ。 新型ウイルスが本当はハムスターの被験体なら捨てるなんてことはできなかったし、だからといって本当に新型ウイルスなら置いておきたくなかった。被害に遭うかもしれないという不安以上に“プログラムを生命と認める”ことへの不安があった。 「……生命としか思えないプログラムってことは脳に匹敵するくらい複雑なプログラムってことよね……」 飛島さんは無理だと言っていたけど、パックが正しいなら私もプログラムに置き換えられるということになってしまう。 私は自分が生きている人間だと信じている根拠まで揺らいでしまう気がして急いで頭を振った。 「縁起でもないこと考えないの」 私は生きている人間だし、生命とプログラムは違う。もちろん、生命でも微生物みたいに単純なものもいるし、プログラムもAIみたいに複雑なものもあるけど、とにかく違うのだと思った。 「そうよ! この子の実体を見付ければ良いのよ!」 私はパックが私を見付けたみたいに私も新型ウイルス――かもしれないもの――の実体を見付ければ良いのだと気付いた。しかも、そのために必要なソフトはすでにパックからもらっているのだ。 「ちょっと待っててね」 私はすぐに新型ウイルスを机の上に降ろしてパックにもらったソフトを探し始めた。井上さんたちを裏切ることになるという気持ちがまったくないわけではなかったけど、それ以上に新型ウイルスの実体を見付けて安心したかった。 そのため、私は現実に戻ってからのために使わないようにしていた検索コマンドまで使ってソフトを見付けて実行させた。 煙のようになったメモリーカードが私の掌の上でまとまって本来のソフトの形を現し始める。 「……え、指輪!?」 思ってもなかったことにソフトは指輪の形になった。しかも、ものすごく歴史があって魔法の掛かっていそうな緻密で美しい装飾が施された指輪だった。 「ちょっと、なんで指輪なの……?」 完全に不意を突かれた私は動揺した。パックの真意が分からなかったし、こんな豪華で歴史のありそうな指輪じゃまるで婚約指輪みたいだと思った。 でも、ケイタイを当てて取扱説明書を確かめると、確かにこの指輪が外に出るために必要なソフトだった。指にはめればその時点から効果が発揮されて、呪文のようなコマンドを言えば外に出られるらしかった。 「ど、どうしよう? ……って、あれ?」 首から提げたら効果はないのだろうかと焦った私はサイズが関係ないと知って安心した。少し大きめに見えたけど、サイズが関係ないなら薬指以外でも良いのだと気付いた。 「……今度パックに会ったら抗議しなきゃ」 私は一人で騒いでしまったことが恥ずかしくなってすぐに指輪を左手の小指にはめた。 「…………」 特別何かが変わったような感じはしなかった。 それより、指輪は明らかに私に似合ってなくて少しだけへこんだ。この指輪が似合うのはモデルみたいにスタイルが良い人か、本当に格式と伝統があるお姫様ぐらいに違いない。一瞬、パックはそういう人が好みなのだろうかとさえ思った。 とはいえ、そんなことを思ったのはほんの少しの間だけで、私はすぐに新型ウイルスに手を伸ばした。 「おいで」 部屋の外に出るなら新型ウイルスを部屋に置いていくわけにはいかなかった。 けれど、新型ウイルスはうれしそうに私の手に乗ったと思ったら、さらに腕をよじ登って肩までやってきてしまった。 「ちょっと、遊んでるんじゃないんだってば!」 私はくすぐったさと新型ウイルスがふざけていると思って慌ててたものの、新型ウイルスは肩を少し動き回ったところで落ち着いた。どうやら、肩にいると決めたみたいだった。 「ちょっと、そんなところにいたら落っこちちゃうでしょ」 私が捕まえようとしても新型ウイルスは抵抗して肩から降りようとしなかった。 それに、電子空間では誰かがそうしようとしない限り勝手に落っこちたり動いたりしないことを思い出した。 「……まあいいか」 肩に乗っている新型ウイルスの温かみが心地良かった。耳元だったから新型ウイルスが立てる小さな音もはっきり聞こえた。今までバーチャルペットも飼ったことがなかったのに、なんとなくペットを飼う人の気持ちが分かった気がした。 「……後でちゃんと名前を付けてあげないとね」 私はいつまでも“新型ウイルス”では良くないと思った。 そして、どんな名前が良いんだろうと思いながら私はコマンドを唱えた。 「え……」 初めて部屋の外に出た私は他に言葉がなかった。 研究所の人たちにも色々な部屋を作ってもらっていたけど、部屋の外には信じられないような光景が広がっていた。 「これが外なの……?」 私は“巨大”としか言いようがない石造りの広間を見下ろす場所に立っていた。 しかも、その広間では数え切れないほどの物体が動いたり、形や大きさを変えたりしている。まるでハリウッドの3DCGアニメに放り込まれたみたいだった。 「…………」 すっかり圧倒されてしまっていた私が辺りを見回すと、広間の周囲の壁にはドアがたくさん付いているのが分かった。どうやら、この広間の奥にもさらに続いているらしかった。 ちなみに、指輪の取扱説明書によると広間は記憶装置の仕切られた領域の内部を、ドアは物理的に接続されている接続を、そして、物体は個々のファイルやソフトを表しているそうだ。 「じゃあ、動いたり形や大きさを変えたりしているのは実行中ってことね」 私はもう一度広間の物体に目を戻した。正直言って物体がこれだけあるとは思ってなかったから、ぶつかったりしないように動き回るのは不安だった。万が一誰かに見付かったりしたらどうなるのだろうとも思った。 でも、なんとかしてパックの研究所――新型ウイルスの実体がある可能性が最も高い――に行かなければならないのだと自分に言い聞かせた。 「!!」 不意に耳元で新型ウイルスが鳴いて私は飛び上がった。もう見付かってしまったのかと思った。 「もう! 脅かさないでよ……」 私は新型ウイルスをにらんだけど、すぐに新型ウイルスが怯えていることに気付いた。 「……あ、ごめんね。あなたまで驚かせるつもりはなかったの。でも、耳元で突然鳴かれると驚くから次からは違う方法で呼んで?」 私が新型ウイルスの頭をなでて謝ると新型ウイルスはうれしそうにうなずいた。見ていて本当にかわいかったし、触れるからますます生きているように思えた。この広間で動いたり形や大きさを変えたりしているファイルやソフトとは大違いだった。 「今パックの研究所に行く方法を見付けるからもう少し待っててね」 私は新型ウイルスをなでながら改めて広間を見回した。でも、見付ける前に大きな箱型の物体の陰に見覚えのあるものがあることに気付いた。 「……あれ何? もしかして、私のアバター?」 身を乗り出した私はすぐに近くまで行きたくて広間に降りる階段を探した。まさかデータとして保管されているアバターを見られるとは予想してなかった。 「ちょっと、なんで階段がないのよ!」 広間では研究室のカメラを動かすみたいに上下にも動けるから階段が必要ないのだと知らなくて焦った。でも、私はすぐに広間に降りてアバター以外にも服や家具などを見付けた。それどころか、部屋の壁や床、天井まであった。また、大きな箱型の物体は部屋の本体らしかった。 「……なんかすごい不思議……」 私は広間に散らばっているアバターや部屋の部品などを一つ一つ触って確かめた。研究室のカメラで上下に移動することは慣れていたけど、バラバラになった部屋を見るのはとても不思議だった。現実感がなさすぎて種明かしされている感じもなかった。 「……え、何? 励ましてくれるの?」 私が尋ねると新型ウイルスは人間がするみたいにうなずいた。 「フフ、ありがとう。優しいのね」 お礼になでたらうれしそうに目を細めてもっとなでてくれるようせがんだ。私が落ち込んでいるのに気付いたなんて新型ウイルスは結構頭が良いみたいだった。 「ねえ、だったらパックの研究所の場所も知ってる?」 私の質問に新型ウイルスはなでてもらいながら首を横に振った。 「そう……。でも、被験者がいるくらいなんだから大きな研究所なんでしょうね」 いくらか期待していたから私は少しがっかりした。 でも、大きな研究所なら絞り込むのは難しくないし、この指輪があれば気付かれずに確かめられるはずだと思った。パックの研究所は軍隊や情報機関も関係しているという話だったけど、もし気付かれそうになったとしても魔法みたいに一瞬で部屋まで戻れるのだ。 私は具体的な方法を考えているうちにまた元気が出てきた。 「ファンタジーだと思えば怖くないしね」 むしろ、スリルがなかったら面白くないと思った。 「あなたも見てるだけじゃなくて手伝ってよ?」 私が新型ウイルスに言うと、新型ウイルスはもう一度鳴いて答えた。 |
| 押してもらえると喜びます |