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「……どうしよう」
 硬直が解けた私はパックのいなくなった部屋で困った。
 新型ウイルスも私の掌で不安そうにしてたけど、私はこのハムスターに見えるソフトをどう扱えば良いのか分からなかった。
 これがただのコンピューターウイルスなら迷わないのに、こんなに生き物らしく見えるせいで削除するのは気が引けた。最初にかわいいと思ってしまったこともあってどうしても“殺す”という気がしてならなかった。
 それで、目をつむって削除しようとしても掌から温もりと感触が伝わってくる。
「……ごめんね」
 さすがに直接口で削除を命令するのはためらわれてゴミ箱に移しても、削除しようとするたびに新型ウイルスのつぶらな瞳がちらついた。
「……ああ、ホントにどうしよう!」
 温もりも感触もなくなったのに、このまま削除したら一生後悔してしまいそうだった。
「もう、なんてプレゼントよ!」
 井上さんたちに頼むとしたらパックにもらったことを説明しなければならない。
 パックのことを打ち明けるつもりはなかったから、私はパックの悪口をさんざん言ってそれ以上考えるのを放棄した。パックは悪さをしないし見付かる心配もないと言っていたのだから、決めるまで放っておこうと思った。
 そうでなくてもそろそろミーティングが終わるのだ。
「ゴミ箱から出てきちゃダメだからね! 削除されたくなかったらおとなしくしてなさい!」
 私はゴミ箱に入っている新型ウイルスに言って鳴り始めたケイタイの呼び出し音に応えた。研究室からの呼び掛けは基本的にケイタイを使って行うことになっていた。
「はい、私です」
『あ、望ちゃん? ミーティング終わったよ』
「分かりました。今行きます」
『うん、待ってる。
 後、リンゴジュースのことは新田さんにしっかり伝えといたからね』
「あ、ありがとうございます」
『できるだけ忠実に再現してくれるって』
「そうですか」
『じゃあ、一回切るね?』
「はい」
 私は通話を切って視野をカメラに切り替えた。
 井上さんに様子が変だと思われたかもしれないけど、新型ウイルスのことも気付かれないようにしなければと思った。


「お待たせしました」
『うん、三秒くらい待ったかな』
 井上さんはいつもの軽口を言って私を迎えた。
『ミーティングでは特別な話は出なかったよ』
「そうですか」
『検査もテストも予定どおりで、全部終わるのはまた夜になりそうね。
 望ちゃんがだいぶ元気になってきたからもっとプライベートな時間も作らないとダメなんだけど、できるだけ早くこっちに戻れるようにするからね』
「お願いします」
 私は井上さんに答えながらカメラを上下に振った。
 幸い、井上さんに特別変だと思われなかったみたいだった。
「じゃあ、最初のテストはいつから始まるんですか?」
『それがね、義手の運び込みが終わればすぐに始められるんだけど、まだ必要な部品が全部届いてないのよ』
「え、何かあったんですか?」
『運ぶときに端子をちょっと引っ掛けちゃったんだって。それで、念のためコードとの接続を確認してるのよ』
「そうですか……。
 確か、今度の義手って反応速度とセンサー数が改善されてるんですよね?」
『ええ、そうね。制御ソフトを更新して、内蔵コンピューターも新しくしたみたい』
「義足も前回のテストより生体の足に近付いてるんですよね……?」
『そうよ』
 私は一瞬だけ前回のテストの様子を思い出して気が重くなった。
 前回運び込まれた義手は皮膚が完全に張られてなくていかにもロボットの腕という感じだった。しかも、その義手を研究室の一角に準備された仮の“肩”に付けてテストするのだから、ますます今の私は身体がないんだと実感した。
『望ちゃん?』
「……大丈夫です。ちょっと思い出しちゃっただけですから」
『無理しなくて良いのよ。慣れなくて当たり前なんだから』
「井上さんは“生命”って何だと思いますか?」
『難しい質問ね』
「統合型感覚再現技術を使うことに納得はしてるんですけど……、今みたいにあやふやな状態でいると私はホントに生きてるのかなって考えるんです」
『誰が何て言おうと望ちゃんは生きている人間よ』
「でも……、今みたいに身体がないままだったり、身体の大半を機械に置き換えた人が他にもいるとしたら、その人も生きている人間なんでしょうか?」
『…………』
「もちろん、今の私は自分が生きている人間だと信じてますけど、もし今の状態で脳までコンピューターに置き換えたとしたら私は何なんでしょう?」
『…………』
「『コンピューターに置き換える』っていうことは私がプログラムに置き換えられるっていうことですよね?」
『そうかもしれないわね』
「だとしたら、今の私はコミュニケーションソフトとどこが違うんでしょう? 私が生きている人間なら、生命とAIの違いって何なんでしょう?」
『……本当に難しい質問ね』
 井上さんは少し間を開けて慎重な態度で言った。
 そして、井上さんは私に正面から向き直って静かに言葉を続ける。
『望ちゃんの質問は多分ほとんどの研究者が感じてる難しい問題だから、私もすぐには答えられそうにないわ。でも、望ちゃんの友人として強いてアドバイスするなら、私はこういう問題については考えるだけじゃなくて信じることが大切だと思うの』
「……『信じる』ですか?」
『そう。疑って検証することが科学なのにおかしいけど、考えるだけじゃ決して答えは出てこないと思うの』
 井上さんは真剣な表情で私を見詰めて言った。
『だから、すぐに結論を出そうとするんじゃなくて、一緒に少しずつ考えましょ?』
「はい……」
『もしどうしても気になるようだったらいつでも精神科の先生と話せるようにするから』
「いえ……、そこまでは良いです」
『じゃあ、またいつものように参考になりそうな本を探しておくね』
「お願いします……」
 私が納得しきれないまま答えて、自然と会話が途切れた。
『……義手、遅いね』
「そうですね」
『ちょっと確かめちゃうから待っててくれる?』
「ええ」
 井上さんがすぐに内線電話で義手担当の研究室を呼び出した。
 話をぼんやり聞いていると、接続の確認はあと少しで終わるらしかった。
「……『信じる』か」
 私はうまくごまかされてしまった気がしたものの、改めて新型ウイルスはどっちなんだろうと思った。

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