|
結局、パックは私の部屋で少し話をしてから帰った。 声のとおり若い男の人で、細身の身体に白いサマージャケットを着こなした姿はモデルか俳優なんじゃないかと思ったくらい格好良かった。 もちろん、そのアバターの姿が本当かどうかは分からなかったものの、私はもっと良い服に着替えれば良かったとすっかり慌ててしまった。 でも、パックの話の内容に私はそれ以上に驚かされてしまった。 「……『僕たちが身体に縛られる必要はない』か……」 私はパックが魔法のようにいなくなるのを見送ってからつぶやいた。 パックがソフトの使い方を説明したのは数分だけで、後はずっと電子空間に住む利点を話していた。私が断ると「望は身体に縛られすぎている」と言ってさらに熱心に説明した。 「……私もパックみたいに思うようになるのかな?」 私は振っていた右手を目の前にかざしながらベッドに座り直した。 確かに、今の生活を続けるなら身体がどんな状態だろうと大して違いはなかった。極端なことを言えば脳を維持する機能がありさえすれば良かった。 「でも、ね……」 私は見詰めていた右手を握りしめて膝の上に下ろした。 このアバターはアバターだと忘れてしまうくらいよくできていたけど、それでも現実とは違うところがいくつもあった。 まず、コンピューターの処理能力の関係から髪は短くするか結うかしなければならなかったし、スカートも基本的にはけなかった。 それに、感覚の再現も現実に比べてかなり劣って飲食や運動にも支障があった。 そしてなにより、このアバターには身体の不調や疲れがありえなくてひどく不自然だった。 「…………」 私はまたこの間見た身体の回復具合を思い出して頭を振った。 「美穂姉――私の精神的なケアをしてくれる女性研究員――だって治療が終われば事故前の身体とほとんど変わらないようになるって言ってたじゃない」 自分に言い聞かせるように私は大きな声で言った。 サイボーグ化は怖くないし、私にとって必要なことだ。ロボット技術を応用した義手や義足、人工内耳や人工眼を使っている人は珍しくないし、研究所の人たちだって一生懸命やってくれている。 井上さん――美穂姉のことで本当は肉親ではない――も「うらやましい」と言って太鼓判を押してくれていたではないか。 私は最後にずっとこの不自然な部屋にいたいのかと言い聞かせてそれ以上心配するのを止めた。 「……そうよ、ここは私の住むところじゃないもの」 私は小さく断言してベッドから立ち上がった。 この私の部屋もコンピューターの処理能力の関係から季節がほぼ初夏に統一されていて、他のテストや娯楽用の部屋への行き方も現実とは違った。さっきパックが魔法のように消えたみたいにこの部屋が魔法のように他の部屋に替わるのだ。 もちろん、研究所の人たちはできる限り私に配慮してくれていた。わざわざ娯楽用の部屋を作ってくれたのもその一つだし、この私の部屋も家族で暮らすはずだった新しい家の部屋を再現したものになっていた。 家全体の再現は無理だったけど、机の上には事故で死んでしまったお父さんとお母さん、弟の写真が飾ってある。テレビ電話にして井上さんたちと話したり、インターネットに接続したりできるパソコンもある。ミニコンポやクローゼット一杯の着るものだってあった。 でも、私はそれ以上に電子空間の外で他の人たちと同じように暮らしたかった。 「お父さんやお母さんたちだって応援してくれるよ」 差別や偏見にさらされるにしてもこのまま“隔離”されているよりはずっと良い。 私は改めて決心するとケイタイを使ってわざとミニコンポから元気の出そうな曲を大音量で流した。 一人で考えているから落ち込むのであって、とにかくめちゃくちゃに身体を動かして騒ごうと思った。 「そうだ! 研究室を探検しよう」 いつもは人が大勢いる研究室を自由に動き回れるのは今日だけだった。 私はすぐに音楽を聞き続けられるように準備して早速視野をカメラに切り替えた。 すると、一瞬でステレオカメラによる映像に切り替わった。 実際に目で見ているみたいに奥行きのある映像は人工眼に使われるものと同じで、様々な資料や物で乱雑な研究室の様子がはっきり分かった。 「やっぱり誰もいないよね……」 完全に納得していたつもりだったけど、つい私はパックがこの研究室に忍び込んでいたのではないかと思って証拠を探してしまった。 でも、コンピューター以上にセキュリティが堅い研究室に忍び込めるはずがなくて、研究室には研究員が戻ってきたと思えるような形跡すらなかった。 「……パックについて考えるのは後々」 今はこの私を助けてくれている統合型感覚再現技術の研究室を探検する方が先決だと思い直した。 研究室には井上さんの席を始めとしてじっくり探検してみたいところがたくさんある。もしかしたら明日からからかったりできる面白いものを見付けられるかもしれない。 「美穂姉の机は確か……」 私はのぞき見する楽しさを感じながらカメラが付いているアームを動かして井上さんの机を捜した。 今までにも何度か来たことがあるから大体の場所は分かっている。 「うわ、すっごい散らかってる」 他の人たちの机もひどいものだったけど、井上さんの机もパソコンだけ出ていて後は大量の紙と物で埋まっていた。他の人との違いは試作品らしい部品が山から突き出していないくらいだった。 「……少しくらい片付ければ良いのに」 私は井上さんの席に座っている気持ちになって井上さんの机を見回した。 明らかに整理が追い着かないために積み上げられてしまった山がこの半年間の忙しさを物語っていた。よく見ると洗顔セットなどの生活用具まで置いてあった。 「あ、これ……」 さらに見ていたらディスプレイの陰に私の写真が隠れていた。ディスプレイに付けられたメモの壁や紙の山で見落としてしまうところだったけど、私が事故に遭う前に撮った写真だ。 多分、お祖父ちゃんかお祖母ちゃんからもらったのだろう。花の模様が付いたフォトフレームに飾られた写真には井上さんの字で「ゼッタイ助ける!!」と書き添えられていた。 「……ホントに美穂姉ったら……」 私は涙が出ないのが不思議でならなかった。きっと、事故前の私だったら涙を拭いて隠すくらいのことはしたに違いない。 初めて会ったときから一生懸命でいつも私を励まし続けてくれる井上さん。私のことはまだお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにも“意識不明”と説明されていたから、文字どおり家族代わりになってくれていた。 昨日話したときは「とにかくぐっすり眠りたい」と言っていたけど、少しはゆっくりできただろうか。 「……今ごろ何してるかな?」 研究室の時計で時間を確かめるとちょうど早めの夕食くらいの時間だった。 井上さんは部屋も全然片付けてないと言っていたから、夕食は外で食べるつもりなのかもしれない。 私は井上さんに電話して声を聞きたいと思う一方で、井上さんの貴重な休みを乱してはならないとも思った。 「……井上さんが本当に姉さんだったら良いのに……」 井上さんにとって私は患者の一人でしかないのだと思ったら急に寂しくなった。 いくら親身になってくれても井上さんは私と違う立場の人だ。いつまでもそばにいてくれるわけではないし、電子空間で暮らしているわけでもない。 「パックは寂しくならないのかな……」 でも、寂しかったから私を誘ったりしたのかもしれない。 私はほとんど一方的に説明していたパックに突然親しみを感じた。 パックがどんな理由で被験者になったか分からないけど、少なくとも同じ電子空間で暮らしている“仲間”だった。 私は井上さんの席にとどまったまま、パックのことは誰にも言わないでおこうと思った。 そして、再び部屋に戻った私はベッドの上に寝転がった。 「どうしよっか?」 井上さんが私と違う立場の人だと思ってから、私は研究室を探検する気持ちがなくなってしまっていた。 無重力アスレチックとか、電子空間でないと難しいことをして気持ちを晴らそうかとも思ったけど、そんな気分でもなかった。 「……ビデオも本も見る気しないし、カラオケもゲームも一人じゃつまんないし……」 なんとかしてこの胸のもやもやを吐き出したいと思っても、私は何かをしようという気持ちにならなかった。 なんだか世界でたった一人だけ取り残されてしまった気分だった。 白い天井を見続けているうちにパックの白いサマージャケットがダブって見えた。 今まで誰もいないと思っていた電子空間からやって来たパック。 ずっと電子空間で暮らし続けるなんて考えられなかったけど、この電子空間に他にも人がいると思うと少しだけ心強い気がした。 「……格好良かったよね」 私はつぶやきながらパックの姿を思い出した。 少しキザで偉そうだったけど、あんな格好良い人は滅多にいないだろう。さわやかな二枚目とはああいう人のことをいうのだろうし、治療が終わってサイボーグになったらあんな格好良い人とは付き合えないに違いない。 「……また来るのかな?」 私はパックに来てほしいのかどうか分からなかった。 もっと話してみたい気もしたし、これ以上生活を乱されたくない気もした。 結論の出ないまま私が寝返りを打って天井から目をそらすと、パックにもらったソフトがベッドに出しっぱなしになっていたのに気付いた。 「……これもどうしよう?」 違法だからと捨ててしまうのは簡単でも、すぐに捨ててしまうのはパックに悪い気がした。 でも、このソフトを使ったりしたら井上さんや研究所の人たちに対する裏切りだという気もした。 「別に部屋の外に出てみたいわけじゃないけど……」 興味がないわけでもなかったけど、どっちにしろ私はあと半年か一年くらいで電子空間を出ることになっていた。 それに、明日になれば井上さんたちも戻ってきてまたテストや検査で忙しくなる。休憩時間がそれなりにあっても部屋の外を探検する時間まではないはずだった。 「……そうよね。しばらく取っといてからにすればパックにも悪くないよね」 私は起き上がって手に取ったソフトを机の引き出しに収めた。 すぐに捨てるわけでも、使うわけでもないからどっちにも角が立たないはずだ。 「大体、外に出ても考えが変わるわけじゃないし、パックだってまた来るかどうか分からないもの」 もしかしたら、私やパック以外にも被験者がいるかもしれないではないか。 私は一瞬だけパックが他の女性被験者を誘っているところが思い浮かんだものの、すぐに打ち消して引き出しを閉めた。 「別に一目惚れしたわけじゃないって」 私は少し強い口調で自分に言い聞かせた。 いくら久し振りに見た格好良い人だったからといって井上さんや研究所の人たちを裏切れるはずがなかった。 「まったく、気にしすぎよ」 私はパックのことを忘れるためにジーンズのポケットからケイタイを出した。確か、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんからの新しいメッセージビデオが来ていたはずだと思った。 |
| 押してもらえると喜びます |