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誰かがドアをノックした。 「え!」 私が慌ててベッドから立ち上がると、今度は男の人らしい声が聞こえた。 「待って! 怪しい者じゃない!」 いつの間にかドアにつま先が差し込まれていて、接続を拒否させないつもりのようだ。差し込まれている黒い革靴が文字どおり私の部屋に土足で入り込んでいた。 「…………」 「怪しい者じゃないから部屋に入れてくれないか?」 驚いて黒い革靴を見ている私に声は頼み込むように言った。 声の感じからすると若い男のようだ。 「……誰、ですか? 研究室の人じゃないですよね?」 驚きから立ち直った私は少しずつ非常用スイッチがある壁際に回り込んだ。研究室の人たちは全員休みで今の研究室には誰もいないはずだった。 というより、この私の部屋まで直接やって来られる人がいるはずなかった。 「…………」 「頼む。君も“被験者”なんだろう? 日本にも被験者がいるなんて驚いたよ」 「!!」 私は急いで壁際から離れた。 この人は外部の人で、私たちのことを知っていると思った。 「人を呼びますよ!」 「構わないけど、そうしたら君たちのことまで知られてしまうよ?」 「!」 「しかも、この研究を民間の研究所でやってるなんて大丈夫なのかい? 日本は世論の反対もあって研究は進んでいないと聞いていたけど」 「…………」 「もっとも、君の場合はやむを得ない“適用患者”って言った方が良いんだろうけどね」 「…………」 男は私が黙っている間も気にしないでしゃべった。 私は一秒だって早く話を打ち切りたかったけど、男の話し振りからすると私たちのことをかなり知っているようだった。 「頼む。ちょっとだけで良いから入れてくれないか?」 「……あなたは一体何者なんですか? どうやって私たちのことを知ったんですか?」 「それより君『も』の方を聞いてほしかったな」 「?」 「僕も君と同じ立場なんだよ?」 「……え、それって……」 「そう。僕は被験者だけど、ここには海の向こうから新天地を探しに来たんだ」 「……!!」 私は聞き間違えたのかと思った。月並みな言葉だけど、驚きのあまり言葉が本当に出なかった。 でも、男は平然とした口調で話を続けた。 「僕も他に被験者がいるとは思わなかったから本当に驚いたよ。だから、どうしても会ってみたくてやって来たわけだけど、ちょっとだけで良いから入れてくれないかな?」 「……無理です。どうやってここまでやって来たか知りませんけど、この部屋には私以外の人用のアバターはありません」 「それは大丈夫だよ。僕は君たちのフォーマットに合わせた自分のアバターをちゃんと持って来てる」 「でも……」 「それに、僕は君を助け出したいんだ」 「え?」 私は急に真剣な口調になった男の意図が理解できなかった。 「君はとらわれのお姫様なんだよ」 「?」 「君は研究員たちにだまされて閉じ込められているんだ。こんな部屋の外には無限の新しい世界が広がっているというのに君は全然教えられてないんだ」 「…………」 「だから、部屋に入れてくれないか? 本当にちょっとだけで良いんだ」 「……困ります。あなたがなぜそんなことを言うのか知りませんけど、私は研究所と病院の人たちを信じてますから」 「君をサイボーグにしようとしているのに?」 「…………」 「はっきり言うけど、今の技術水準じゃ君たちのところの統合型感覚再現技術を使ったって元のような生活はできないよ?」 「…………」 「君は高校生らしいじゃないか。そんな若い君が試作品みたいなサイボーグの生活で満足できる?」 「…………」 私は言われたまま答えられなかった。確かに、それを言われるときつかった。 研究所の人たちは治療が終わるころまでにもっと良い機材が開発されると説明していたけど、私はまだ不安をぬぐい去れないでいた。私のように統合型感覚再現技術を使ってサイボーグになる患者は初めてだったし、世論ではサイボーグに否定的な意見が根強かったからだ。 その上、私はこの間見た身体の回復具合を思い出してそれ以上の考えを振り払った。 「……止めてください。私はこのまま一生コンピューターの中で暮らすつもりなんてありません」 「どうして? 言っておくけど、僕たちはもう人間じゃない“新しい種族”なんだよ? そんな不自由な身体にしがみつかないで僕と一緒にこの無限の新しい世界で暮らさないか?」 「…………」 「もちろん、これは冗談なんかじゃないし、そのための技術だってちゃんとあるんだ」 男の人はもう一度ドアの向こうから誘った。諭すような、本当に私のことを考えてくれているような口調だった。 「…………」 「入れてくれるかな?」 「……困ります」 「どうして? 研究員たちに何か言われてる?」 「そういうんじゃなくて……、突然そんなことを言われても困ります……」 「ああ、そういうことか」 男の人は納得したように言って、ドアのすき間からメモリーカードを差し出した。 「取ってくれる?」 「……何、ですか?」 「これは君が部屋の外を出歩くのに必要なソフトだよ。これを使えば君も部屋の外に出られるようになるし、新しい世界も同じように見ることができる。もちろん、研究員や他の人間に気付かれることもない」 「…………」 「視覚変換は僕の好みに合わせてあるけど、とりあえず僕がいないときに外の新しい世界を体験してみれば良い」 「……危険はないんですか?」 「大丈夫だよ。ウイルスとか怪しげなものは入ってないから信じてほしい。僕は純粋に君を助け出したいんだ」 男の人はメモリーカードを差し出したまま繰り返した。 ウソをついているようには思えなかったし、本当は今すぐにでも会ってもっと色々な話を聞かせてもらいたいくらいだった。 「…………」 「受け取ってくれるかな?」 「……受け取る前にこっちのソフトでウイルススキャンしてもらって良いですか?」 「良いよ。その代わり、君の名前を教えてもらって良いかな?」 「え?」 「交換条件というわけじゃないけど、いつまでも“君”じゃ失礼だからね」 「…………」 「それとも、簡単には教えてもらえないかな?」 「…………」 私は男の人の言葉に迷った。男の人は本当に他の研究所から来た被験者のようだったけど、もしかしたら私たちのことを調べているのかもしれないと心配した。 「…………」 「あ、僕のいる研究所は軍や情報機関が関係しているけど、僕は民間人だし、君たちのことを誰かに教えるようなことは一切しないから安心してほしい」 「…………」 「僕は研究所を出たいと思っているんだ。だから、君たちのことは絶対言わないって約束する」 「……分かりました」 「良かった。じゃあ、教えてくれる?」 「“望”です。“菅原望”」 「『望』か……。ホープだなんて良い名前だね」 男の人はほほえみが伝わってくるような声で言って、差し出した私の手にメモリーカードを乗せた。 「……あの……」 「何だい?」 「名前、教えてもらえますか?」 「もちろんだよ。僕のことは“パック”と呼んでくれれば良い。『夏の夜の夢』に出てくる妖精のパック」 「……『パック』さん……」 「望のことは“望”って呼んで良いかな?」 「あ、はい」 「じゃあ、そのソフトの使い方を説明するためにちょっとだけ入れてもらって良いかな?」 パックはドアの向こうから言った。 |
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