通路の奥からまどかの声が近付いてくる。同級生で友人の絵里と話しているようだったが、あまり穏やかな話ではなさそうだった。
というのも、二人の会話には怒ったような大きな声が混ざることがあって、通路の先にまでよく聞こえた。その上、休日の校舎内にはあまり人がいないこともあって、怒っているのはまどかだけで、絵里の言葉に怒っているらしいこともよく分かった。ただ、具体的な話の内容までは聞き取れなかった。
そして、二人がほぼ同時に、外の光が大きく差し込む、二本松高校の大ホールに足を踏み入れた。
ちなみに、まどかは道着に雪駄をつっかけている活発そうな弓道部員で、制服姿の絵里は、いかにも手厳しそうな報道部員だった。
「――だから、必要ないって言ってるでしょ!」
「そんなこと言って、ちっとも進んでないじゃない。じれったい思いで見てる周りの人のことも考えてよね」
「だからって、部活の最中にまで押しかけて来ないでよ」
「だったら、少しは進めてみなさいよ。取材で良い方法を聞いたから、わざわざ教えに来てあげたんでしょ」
「だから、それがよけいなお世話だって言ってるの!」
大ホールにある自動販売機に飲み物を買いに来たまどかは、お節介な友人に言い返した。絵里は、一向に進みそうにないまどかの片想いに手を貸そうとしていて、まどかは断ろうとしていた。どれだけ絵里たちがやきもきしようと、まどかは他の人の手を借りたくないと思っていた。
すると、止むことのなかった絵里の容赦ない言葉が突然止んで、絵里の歩きも止まった。
「何よ? どうかした?」
先に行きかけたまどかが絵里に振り返ると、絵里はまどかから目をそらせた。絵里は大ホールに来ることに反対してなかったから、明らかに不審な態度だった。
「ちょっと、なんで目をそらすのよ」
まどかは絵里と目を合わせようとしたが、絵里は体をひねってまどかの目から逃げた。
(まさか――)
まどかは絵里が自分に会わせたくない誰かを見付けたのだと気付いたようで、急いで大ホールを見回した。大きな吹き抜けになっている大ホールのあちこちにはベンチやソファが置いてあって、ちょうど、その一つから制服姿の男子が立ち上がったところだった。
――!!
まどかはその男子と目が合った瞬間、凍りついたように動きが止まった。
そして、ギリギリまでためた弓から矢が放たれるように、まどかはすごい勢いで絵里に食ってかかった。
「絵里! だましたのね!」
「ぐ、偶然よ!」
「偶然だったら、なんでここにユーリがいるのよ!?」
慌てて弁解する絵里の胸倉をつかんで、まどかは押し殺した声で厳しく追及した。声を押し殺してもユーリに丸分かりだったが、まどかは追及の手をゆるめなかった。というのも、このユーリこそ、まどかが一年近く片想いしている写真部員で、絵里とは部活の関係で知り合いだった。
まどかはユーリの存在を一時的に意識から追いやった様子で、絵里への追及を続けた。
「よけいなことしないでって何度も言ってるじゃない!」
「だから、偶然だって!」
怒った絵里につかんでいた手を振りほどかれると、まどかは絵里をにらんだ。何と弁解されようと、絵里の仕業だと確信しているようだった。
でも、ユーリが二人に近付くと、まどかはすぐに何事もなかったように向き直った。
「あ、ユーリ。ユーリも部活だったの?」
「いや。ちょっと良いか?」
「も……、もちろん」
少しぎこちない笑顔で、まどかはユーリに答えた。本音では誘いを断りたいようだったが、すぐにもっと上手な笑顔を作って、うまくごまかした。
「じゃあ、私は外してるね」
「う……、うん。またあとでね」
そのすきに絵里がまどかを置き去りにしようとして、振り返ったまどかは笑顔を引きつらせて見送った。足を踏みつけて阻止しようにも、ユーリに気付かれないようにするのは不可能だった。
「ご、ゴメンね。絵里が『護身術を教えてほしい』って言うもんだから」
「弓道部は護身術も教えるのか?」
「う、うん……。顧問がいろいろ武道をやってる人だから、少し教えてくれるの」
「そうか」
ユーリも大ホールから出ていく絵里を見送って、まどかはユーリと二人きりになった。
ロシア系移民の父を持つユーリは薄い碧色の瞳にスラブ系の顔立ちをしていて、まどかはユーリの横顔を盗み見しながら、怒っているかどうかを観察した。というのも、まどかはこの間、ユーリとの距離を縮めたい一心でバカなことをしてしまったとひどく後悔していた。
(あたしがユーリだったら、絶対嫌だもん)
まどかは自分のしたことを思い出してうつむいた。
それは、この間の連休に、たまたま家族で行った軌道上の宇宙港で、宇宙船や宇宙の写真を熱心に撮っているユーリを見付けて、ほとんどむりやりに自分の写真を撮ってもらったことだった。最初は、偶然の出会いをきっかけに少し話をして、二人が入った記念写真を一枚撮らせてもらうだけのつもりだった。でも、緊張のあまりに話が混乱して、なぜか、まどかだけが入った写真をむりやり撮ってもらっていた。
幸い、無口なユーリは怒らないで撮ってくれたが、まどかは別れてから猛烈に後悔して、ほとぼりが冷めるまでユーリに近付かないようにしていた。
(もし、二度と近付かないでくれって言われたらどうしよう?)
まどかは弓道場から持ってきていたタオルを固く握りしめた。ユーリに避けていると気付かれたくなくて誘いを受けたまどかだったが、これからユーリが言うはずの言葉をひどく恐れていた。もしユーリに拒否されてしまったら、何のために生きているのか分からなくなりそうだった。
それでも、まどかは弓道部で鍛えた精神力でなんとか不安を抑えつけて、ユーリの声に顔を上げた。
「な、何?」
頭一つ分背が高いユーリを見上げると、ユーリは制服の内ポケットから封筒を取り出して、まどかに差し出したところだった。
「この間の写真ができたから持ってきた」
「……え?」
「この間の連休に飛鳥の前で撮っただろ」
「う、うん……」
「『ほしい』って言ってたから印刷してきたけど、いらなかったか?」
「う、うううん! そんなことないって! わざわざ持ってきてくれてありがとう!」
まどかはすごい勢いで首を横に振って、ユーリが差し出した封筒に両手を伸ばした。
でも、受け取る直前になって不安になったらしくて、まどかは両手を伸ばしたまま顔を上げた。
「ホントにもらって良いの?」
「ああ。そのために持ってきたんだからな」
「ホントにホント?」
「ああ。でも、無理にとは言わない」
「ま、待って!」
ユーリが引っ込めようとした封筒を、まどかは両手で奪うように受け取って抱きしめた。そうすることによって、この思いがけない展開を逃がすまいとしているようだった。
そして、不安が解消した安堵感もあって、まどかは泣き出しそうな笑顔になった。
(良かった! ユーリはあたしのこと嫌ってない!)
嫌っていたら、きちんと約束していない写真をわざわざ印刷して持ってきてくれるはずがなかったから、まどかは一気に有頂天になった。
「ありがとう! 連絡してくれればこっちから取りに行ったのに!」
「そ、そうだな。それより、確かめなくて良いのか?」
「平気よ! ユーリが撮ってくれた写真だもん! ユーリだって、変な写真を持ってきたわけじゃないんでしょ!?」
「あ、ああ……」
まどかの過剰なくらいの喜びように、ユーリは少し戸惑った様子で目をそらせた。
ちなみに、写真はL版ほどの小さなものだったが、宇宙港にドッキングしている飛鳥を背景に、少し硬い笑顔で立っているまどかの姿がきれいに写っていた。また、自然な立体映像となるようにさまざまな補正や加工がされていて、印刷された写真は物としてとっておけるようになっていた。
「大切にするから!」
「ああ、そうしてくれ」
ユーリはまどかから大切なプレゼントをもらったように感謝されて、少しだけ照れた様子で答えた。
そして、まどかが写真の入った封筒をそっと道着のふところにしまうと、まどかに視線を戻したユーリが尋ねた。
「ところで、安藤はなんであそこにいたんだ?」
「親戚が小惑星帯の入植地に移住することになって、家族で見送りに行ってたの」
「あの飛鳥でか?」
「うん。一生に一度のことだからって。といっても、エコノミークラスなんだけどね」
「でも、すごいな」
「うん。おじさんも運が良かったって言ってた」
まどかはまだうれしそうな様子で答えた。
ちなみに、小惑星帯への移民は、月との関係悪化で月への移民が難しくなってきたこともあって、最近は特に人気が高まっていた。中でも、飛鳥のように小惑星帯まで直航する宇宙船には乗船希望が殺到していて、飛鳥のようになかなか予約が取れない宇宙船も珍しくなかった。
なお、飛鳥というのは日本の会社が日本人向けに運航している移民用の大型豪華旅客宇宙船で、一度に千二百人もの乗客を運ぶことができた。また、翼を広げた白鳥にもたとえられるその美しい姿は、日本を代表する大型旅客宇宙船として、宇宙船愛好家以外にも広く知られていた。
「飛鳥か……」
「ユーリは飛鳥が好きなの?」
「というより、俺は本当の宇宙に行きたいんだ」
「『本当の宇宙』?」
「ああ。地球の近くなんかじゃない、本当の宇宙に行きたいんだ」
ユーリは大ホールの天井まで続く巨大な窓越しに空を見上げて、まどかは表情を堅くした。ユーリが恋愛に興味がないくらい、宇宙に強く惹かれていることを思い出して、喜びが不安に戻ってしまった様子だった。
「そう……」
二人の間に微妙な空気が流れて、ユーリはうつむいてしまったまどかに視線を戻した。
「安藤は宇宙が嫌いか?」
「う、うううん。ただ、ユーリは宇宙がホントに好きなんだなって思っただけ」
「そうか」
「じゃあ、あたし、そろそろ弓道場に帰るね。そろそろ戻らないとみんなに怒られちゃう」
「ああ。引き止めて悪かったな」
「写真ありがとう。また今度ね」
まどかは平静をよそおってユーリと別れた。不安に戻る前の喜びが大きかっただけに、まどかはユーリと目を合わせられない様子だった。まどかの歩きは次第に速くなって、ユーリから逃げようとしているようにも見えた。
すると、ユーリがもう一度まどかに声を掛けた。
「安藤!」
――!
驚いたまどかの歩きが止まった。ユーリに背を向けたままだったが、ひどく緊張した様子でユーリに答えた。
「……何?」
「その写真、実は二枚印刷した。一枚は俺が持ってる」
「だから?」
「その写真は良い出来だから、お前も大切にしろ」
「え?」
困惑したまどかが振り返ると、ユーリはまどかに背を向けて歩き始めていた。話はそれだけだったらしくて、今度はユーリが逃げるように他の出入り口に向かった。
「ちょっと、どういうこと!?」
まどかは呼び止めようとしたが、ユーリは振り返りもしないで出ていった。大ホールにはまどかが一人だけ残されて、ユーリがなぜあんなことを言ったのか理解できない様子だった。
「『写真』?」
ユーリを呼び戻すのをあきらめたまどかは、ふところから取り出した写真を光にかざした。写真はまどかを撮ったものだったから、飛鳥も一部しか写ってなかったし、宇宙も大して写ってないはずだった。
――!!
まどかは浮かび上がった写真を見て驚いた。写真は撮ってもらったときに見たものと違って、まどかが大きく写っていた。まるで、まどかだけを撮った感じで、まどかはますます混乱した。
「どういうこと? ユーリもこの写真を持ってるっていうの?」
まどかは手元に下ろした写真を見詰めた。ユーリは宇宙に強く惹かれているはずなのに、まどかを大きく写した写真を持つ理由が分からなかった。
「まさか……」
一つの可能性に気付いたまどかは赤くなった。ユーリもまどかを好きかもしれないと知って、心の奥が熱くなった。
(だったら、早く言ってよ!)
まどかは心の中でユーリを責めた。嬉しくて仕方なかったが、素直になれない様子だった。
そして、まどかがもう一度写真を光にかざそうとすると、絵里が待ち構えていたかのように戻ってきた。
「どうだった?」
――!
気付くのが一瞬遅れたまどかは慌てて写真をふところに隠した。
「ちょっと、いきなり出てこないでよ!」
「何言ってんの。様子を見に来てあげたんじゃない。感謝こそされても、抗議される筋合いはないわよ」
「見に来てくれなくて良いから出てって!」
「それより、ふところに何隠したのか白状なさい」
「出てって! 絵里には関係ない!」
まどかは、抗議を無視して要求する絵里から、ふところの写真を守るように身構えた。さっき置き去りにされたことも忘れてなかったから、まどかの態度はどう見ても非友好的だった。
「今すぐ出てって!」
「怪しいわね。ユーリに何もらったの?」
「出てって!」
絵里はまどかに近付きながら写真のことを聞き出そうとしたが、まどかはかみつくような剣幕で追い払った。今大切なのは絵里でも部活でもなく、写真をもう一度見ることだった。
「もう戻ってこないでよ!」
まどかは渋々出ていった絵里を牽制してから辺りを見回した。そして、絵里が本当にいなくなったことを確認すると、そっと写真を取り出した。
ユーリが撮ってくれたまどかの写真。
「……今度はもっときれいに撮ってもらわなきゃ」
まどかは自然と笑みを浮かべながら写真を光にかざして、浮かび上がった写真を見詰めた。