夏の一日

作 かば

「ジュン! ジュン! そろそろ時間だぞ」
 マサヒロは台所から顔を出して、小学一年生の一人娘を呼んだ。今日は海へキャンプに出かけるから、早めに準備をすませておくようにと言っておいたのに、ジュンはまだベランダにいるようだった。
「ジュン!」
「は〜い。今行く」
 父親の気持ちにまったく気付いてないようなのんきな声で、ベランダにいたジュンが答えた。生き物が大好きなジュンは、夏休みの宿題に、ベランダで緑のカーテンにしている朝顔に集まる生き物の観察をしていたところだった。
 マサヒロは小さくため息をついて台所を出ると、ベランダからリビングに戻ってきたジュンを迎えた。
 ジュンは満足そうに観察したことを書き込んでいたタブレットパソコンを首から外して、冷たい麦茶を入れた水筒を二本持っている父親を見上げた。この二人が、この家に住む家族の全員だった。
「お父さん、朝顔にエビガラスズメの幼虫が付いてたから捕まえといたよ」
「そうか。それより、父さんは準備できたぞ。ジュンも準備できてるんだろうな?」
「え、もう時間なの?」
「そうだ。そろそろ時間だから、ジュンがトイレに行ったら出発するぞ」
「うん。急いで行ってくる」
 ジュンは近寄ってきた家事ロボットに急いでタブレットパソコンを渡すと、走ってリビングを出ていった。ジュンは今回のキャンプをとても楽しみにしていたが、目の前の虫につい時間を忘れてしまったようだった。
「やれやれ」
 その様子をあきれた表情で見送ったマサヒロは、ジュンに続いてリビングを出ながら、何もない天井に向かって呼びかけた。
「じゃあ、鈴さん。あとのことは頼んだぞ」
『任せてください。もし奥様が来られましても、旦那様の許可がなければお入れいたしません』
「ああ、頼むぞ」
 マサヒロは少し影のある表情になって、天井から声だけで答えた鈴に小さくうなずいた。
 鈴は家中を管理している家政婦型のAIで、母親が不在のこの家では、コミュニケーションソフトである鈴が主婦の役割を果たしていた。
 マサヒロは短い廊下を抜けて玄関に出ると、二本の水筒を自分とジュンの荷物にそれぞれ加えた。
(一体どういうつもりだ?)
 この間、五年ぶりにビデオメッセージを送りつけてきた妻、ラクシュミの真意をいぶかしんだが、マサヒロはすぐに頭を振って、ウォーキングシューズを履き始めた。今回のキャンプは、マサヒロの実家の墓参りを兼ねていたから、駅から少し歩かなければならなかった。
「鈴さん、大洗の最新の天気予報はどうなってる?」
『今日の大洗は夕立があるそうですけど、晴れてかなり暑くなると言ってますよ』
「じゃあ、あまり無理させないように気を付けないとな」
『旦那様も、熱中症に十分気を付けてください。もうお若くないんですから』
「分かってるよ」
 鈴の一言に少しだけ傷付いて、ウォーキングシューズを履きおえたマサヒロは立ち上がった。ジュンが生まれるまでは旅客宇宙船の乗員として小惑星帯に行ったこともあるマサヒロだったが、最近はジュンについていけないと感じることもしばしばだった。
「……大丈夫。観光地なんだから、途中に休むところぐらいあるさ」
 姿見に映った自分の姿を見たマサヒロは、小声で自分に言い聞かせて、ジュンを呼ぼうと振り返った。

「ジュン、あんまりキョロキョロするな」
「は〜い」
 大洗に向かう臨海鉄道の車内で、マサヒロは隣に座るジュンを注意した。車内には月から来たらしい見慣れない姿をした乗客も多くて、好奇心も人一倍強いジュンはさっきから気になって仕方ない様子だった。
 注意されても、ジュンは月から来たらしい乗客をちらちら見続けていて、我慢できなくなったように小声でマサヒロに尋ねた。
「……ねえ、お父さん。あの人、月から来た人だよね?」
「そうだな。サポートスーツを着てるから、月からでも来たんだろう」
「『サポートスーツ』って?」
「月やスペースコロニーとか、引力の弱いところで生まれた人が、地球で自由に動くために着るロボットのことだ」
「そうなんだ。じゃあ、お母さんも着てたの?」
「え?」
「だって、お母さんは小惑星帯出身だったんでしょ?」
 ジュンは驚くマサヒロを無邪気に見上げた。
 マサヒロは、ジュンに「死んだ」とウソの説明をして、母親であるラクシュミのことをほとんど話してなかった。というのも、ラクシュミは生まれて間もないジュンに虐待を繰り返して、裁判所から親権を停止されたあげく、宇宙に逃げ出していたからだった。
(くそ、どこでそんなこと知ったんだ?)
 ラクシュミから送りつけられたビデオメッセージと同じくらい腹立たしかったが、マサヒロは心の中で舌打ちしただけでジュンに尋ね返した。でも、表情がこわばらないように、声がきつくならないように尋ねるのには、強い精神力が必要だった。
「……なあ、母さんが小惑星帯出身だって、どこで知ったんだ?」
「秘密。誰にも言っちゃいけないんだって」
「そうか……。でも、父さんが知ってるところかどうかくらい、教えてくれたって良いんじゃないか?」
「秘密。それより、お母さんはサポートスーツを着てたの?」
 ジュンはマサヒロの誘導に乗らないで質問で続けた。素直なジュンは、マサヒロが教えてくれると信じ切っている目でマサヒロを見詰めて、マサヒロはひどく気がとがめた。
「……母さんは、電人だったから、サポートスーツは着なかったな」
「え、お母さんって、学校さんと同じだったの?」
「いや、母さんは宇宙船だったし、父さんと知り合って船を下りたからな」
 マサヒロは慌ててジュンの声が大きいとばかりに周りの乗客を気にした。
 コンピューターネットワークそのものを身体として、基本的に触れる身体を持たない電人のラクシュミは、どういうわけか、月で知り合ったマサヒロにひとめぼれして、種族や年齢の差を乗り越えてマサヒロと結婚した。その生活はラクシュミがジュンの世話にうまく適応できなくて破綻したが、マサヒロも決してラクシュミを嫌いになったわけではなかった。
 一瞬、マサヒロがラクシュミとの思い出に浸っていると、すぐに下から見上げていたジュンにつっこまれた。
「ねえ、どうしたの? お母さんのこと、思い出してたの?」
「い、いや、何でもない。それより、バンガローに着いたら、すいか割りをやるか?」
「え? 良いの?」
「ああ。たまには良いだろ」
「やった!」
 今度は誘導に引っかかって、ジュンは小さく飛び上がって喜んだ。今までマサヒロはやりたがるジュンに認めてこなかったから、うまく引っかかってくれたようだった。
「これで絵日記に書くことが一つ増えた」
「良かったな。でも、そんなに大きなすいかは買わないからな」
「えー。夕方にはシホちゃんたちも来るんだから、大きなすいかを買おうよ」
「そんなこと言って、シホちゃんたちが嫌がったらどうするんだ」
 マサヒロはジュンの頭を軽くたたいて、ジュンにラクシュミのことを教えたのは誰かと思った。
(まさか、ラクシュミか!?)
 送りつけられたビデオメッセージで、ラクシュミはまた一緒に暮らしたいと言っていた。
(そんなこと認められるか!)
 ジュンに見られていることを忘れて、マサヒロは険しい表情になった。ラクシュミを嫌いになってなくても、マサヒロはラクシュミがジュンにしたことを赦すつもりはなかった。

 マサヒロの目の前で、ジュンが熱心に潮だまりの中を探っている。
「やった! ねえ、見て見て! お父さん、アメフラシだよ!」
「おお、すごいな」
 高々と掲げられたジュンの手のひらには、小さくて黒っぽい塊のようなアメフラシが乗せられていた。
 真夏の強い日差しの下、ジュンは到着した大洗の磯で海辺の生き物探しを存分に楽しんでいたが、見守っているマサヒロは昼前から挙動不審だった。というのも、ジュンが墓参りのころからケイタイを使って誰かとコソコソ話すようになっていて、マサヒロに相手が誰かを教えなかったのだ。
 そのため、ラクシュミのことで過敏になっていたマサヒロは、ジュンに相手が誰かを問いただすべきかで悩んでいた。でも、下手をすると「ラクシュミは死んだ」と説明してきたことがウソだとばれてしまうため、マサヒロはなかなか踏ん切りがつかないでいた。
 ジュンは完全防水のケイタイを使って見付けたアメフラシの撮影や記録をしていて、マサヒロはどうしたものかと空を見上げた。
 すると、磯遊びを始めたころから見えていた積乱雲が、かすかな雷鳴を響かせながら、だいぶ大きくなっていることに気付いた。
(良くないな)
 マサヒロは素早くケイタイを使って今後の天気を確かめて、ジュンから相手を聞き出す作戦を思い付いた。
「ジュン、楽しんでいるところを悪いが、そのアメフラシを放したら、一旦バンガローに戻ろう。積乱雲が近付いてるし、少し休憩だ」
「えー、もう休憩?」
「そうだ。あっちの空に大きな雲が見えるだろう? あの大きな雲がこっちに来るから、もうしばらくしたら、すごい夕立になるぞ」
「でも、ケイタイはまだ何にも言わないよ」
 ジュンは潮だまりに両足を漬けたまま、理解できない様子でマサヒロを見上げた。大雨や落雷など、危険な場合はケイタイが教えてくれるから、まだ大丈夫だと安心しきっているようだった。
「もう少し良いでしょ?」
「でも、ジュンはお墓から来る途中で一回ばてたろう。お昼の焼きそばも残してたし、早めに戻って休んだ方が良い」
「うー」
「それに、シホちゃんたちもそろそろ来るんだから、すいか割りの場所取りもした方が良いんじゃないか? バンガローの近くじゃなくて、砂浜でやりたいんだろう?」
「……うん」
 マサヒロがしゃがんでジュンと目を合わせようとすると、ジュンは残念そうに遊んでいたアメフラシを放した。
「じゃあ、少し上がろう。せっかく大きなすいかを買ったんだから、良い場所を取らないとな」
「うん」
 マサヒロに励まされて、ジュンは気を取り直した様子でマサヒロに両手を伸ばした。マサヒロはジュンに手を洗わせてから抱き上げて、さりげなくジュンに尋ねた。
「ところで、シホちゃんはすいか割りについて何か言ってたか?」
「え?」
「お墓参りのときとか、すいかを買うときとかに、シホちゃんと話してたんじゃないのか?」
「違うよ。シホちゃんとは話してないもん」
「そうか……。じゃあ、シホちゃんはすいか割りのこと知らないんだな?」
「うん。ジュンはお母さんの幽霊と話して――、あ!」
 マサヒロに抱きかかえられていたジュンは、慌てて口を両手でふさいだが、マサヒロはジュンの言葉を聞き逃さなかった。
「『お母さんの幽霊』ってどういうことだ?」
「知らない! 下ろして!」
「こら、暴れるな。怒らないからちゃんと話すんだ」
「知らない! 早く下ろして!」
 突然、大声で騒ぎ始めたジュンをマサヒロはしっかりと抱えた。ラクシュミが自分のことを幽霊だと言ってジュンをだましていたことは分かったが、滑りやすい岩場に興奮したジュンを下ろすわけにはいかなかった。
「おとなしくしなさい! 転んだりしたら大けがだぞ!」
 マサヒロが一喝すると、ジュンは目を大きく見開いておとなしくなった。
 そして、マサヒロはすぐに丁寧な口調でジュンをさとした。
「怖がらせてすまなかった。ジュンが嫌だったら話さなくて良いから、今はとにかくおとなしくしなさい。周りの人たちも驚いてるぞ?」
「……ごめんなさい」
「よし。じゃあ、このまま浜に戻ろう」
「うん……」
 ジュンはマサヒロの肩に頭を預けて小さくうなずいた。
「……お父さん。話しちゃったからって、お母さん、消えたりしないよね」
「ああ。消えたりなんかしないさ」
 マサヒロはジュンの背中を軽くたたいて、松林が広がるキャンプ場をにらんだ。

「おい、いるんだろう?」
 マサヒロは誰もいないバンガローの天井に向かって呼びかけた。ジュンは合流したシホの家族たちと一緒に夜祭り見物に出かけていて、マサヒロの呼びかけが聞かれることはなかった。
「お前も入れるように設定したんだから、隠れてないで出てこい」
 マサヒロが空になったビール瓶が並ぶテーブル越しにディスプレイを指さすと、ディスプレイに精巧なCGでできた若い女性、ラクシュミの姿が映った。
『こんばんは。あたしが接近禁止命令を破ってあの子と話したって裁判所に申告する?』
「いや」
 ソファに身を預けるように座っているマサヒロは、肩をすくめて立体映像のラクシュミを見返した。
 五年ぶりに見るラクシュミは、姿形こそ変わらなかったが、五年前にはなかった、経験に裏打ちされた落ち着きがあった。
「逃げなかったところを見ると、少しは大人になったみたいだな」
『失礼ね。あの子があんなに大きくなったのに、あたしが変わらないはずないでしょ』
「そうだな。感情がすぐ眉に出るところは変わってないがな」
 マサヒロはどこまで冗談か分からない口調で言って、ソファに寄りかからないように座り直した。
 そして、二人は五年ぶりに向かい合って、表情を改めたマサヒロが再び口を開いた。
「それにしても、よく幽霊のふりなんてする気になったな。『幽霊』だなんて、電人の差別的な呼び名じゃないか」
『そうね。でも、宇宙に逃げ出してからずっと、実際似たようなものだったから』
「あの子はお前が強くほしがったんだものな」
『そうよ。今さらこんなことを言う資格はないけど、一日だってあなたとあの子のことを思わない日はなかったわ』
「じゃあ、あのビデオメッセージは本気なんだな」
 マサヒロがラクシュミを見据えると、ラクシュミも強くマサヒロを見返した。
『ええ。宇宙船の仕事は辞めたし、裁判所が命じた再教育プログラムも受け始めたわ。あなたがトランクルームに預けてくれたアバターはまだ出してないけど』
「そうか」
 ラクシュミの決意を聞いて、マサヒロは考え込むように目をつぶった。ラクシュミがジュンにしたことを赦せない気持ちと、磯遊びのときに初めて知った、ジュンがラクシュミを強く求める気持ちの間で、マサヒロもある決意をしようとしていた。
「……このあと、時間はあるか?」
『ええ』
「裁判所の命令もあるから、ジュンと話をさせるわけにはいかないが、久し振りに、夜祭り見物でもするか?」
『良いの?』
「ああ、お盆に帰ってきた家族を追い返すわけにはいかないからな」
『ありがとう……』
 追い返されて当然だと思っていたラクシュミは、目の前の喜びを信じきれない様子でマサヒロを見詰めて、声を震わせた。
『こんなことなら……、アバターを出してくるんだった……』
「おい、お盆に帰ってきたやつが言う言葉か」
『だって……、立体映像じゃあなたに指一本触れられないのよ』
「だったら、早く再教育プログラムを終えて帰ってこい。そのときは、ジュンもきっと大歓迎だぞ」
 マサヒロは苦笑しながらラクシュミをなだめた。でも、心の中では、マサヒロもラクシュミの触れる身体であるアバターを抱きしめたい気持ちで一杯だった。
 ラクシュミは涙でうるんだ目をまばたかせて指でぬぐうと、うれし泣きしながらマサヒロに手を差し出した。
『……じゃあ、連れてって。お祭りはこれから花火大会なんでしょ?』
「ああ。先に行ったジュンたちも知らない、特等席に連れてってやるよ」
 ソファから立ち上がって、マサヒロもラクシュミが差し出した手に自分の手を重ねた。


“第三回夏祭り”という企画に提出した作品で、初紹介の設定もいくつか盛り込んでみました。
 でも、日常風景を題材にしたので、SFが苦手な方でも読みやすいと思います。
(09/08/14 制作)

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