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作 かば
「……聞こえる?」
始めに言葉があった。
続いて一人の女性の姿が何もない空間に浮かび、もう一度言葉が聞こえた。
「私のこと、ちゃんと見えてる?」
女性の口元が動いて、この女性が話しているのだと分かった。
目が大きくて、はきはきとした言葉遣いをする女性だ。
――…………。
「ちゃんと聞こえてるし、見えてるみたいね」
彼女は返事が聞こえたみたいに言って、人差し指だけを伸ばした右手を大きく渦を描くように動かしてみせる。
――…………。
「いいから人差し指をジッと見詰めて。
そう。
人差し指と一緒に何が見える?」
彼女に言われるとおりに人差し指を追い掛けていくと、彼女の姿がはっきりしてきて、今まで何もなかった空間にも様々なものが存在していることが分かった。
「そう。
じゃあ、そのままずっと私の足元の方を見てみよっか?
いい?
ずっと視線を下げていくんだからね?」
再び彼女の言うとおりに視線を下げていくと、今度は視線を下げられなくなるのと同時に、見えているものが自分の身体だと分かった。
彼女とは違うガッチリとした身体で、どこにも異状はないように思えた。
「じゃあ、こっちを見て?」
――?
視線を上げた先にいる彼女は両手で鏡を持っていた。鏡に映っている短髪の男性の顔は彼のものであるらしい。
「いい?
これがあなたの顔よ」
「……自分の顔?」
「そう。
ちゃんと話せるみたいだし、私の言ってることも理解できてるみたいね。
じゃあ、これから私のすることを真似してみてくれる?
あ、右と左の違いは分かるよね?」
「……分かります」
彼は少しだけ不快そうに彼女に答えて、鏡を隠した彼女に合わせて両手を上げ下げしたり、首を振ったりしてみせる。
でも、彼は次第に自分がなぜこんなことをしているのだろうと疑問を感じた。
「あの……、自分はなぜこんなことをしているんですか?」
「なぜだと思う?」
「……分かりません。
自分はなぜこんなことをしているんでしょう」
「何か覚えていることはない?」
「……ここは自分の家です。
でも、あなたは誰なんですか? 記憶にありません」
「そう……、良い質問ね。
だけど、本当に思い出せない?」
「…………」
彼女に少しだけからかわれているような表情をされて、彼はもう一度思い出そうとした。
けれど、いくら努力しても、彼女の身に付けているものの名前や彼女の髪や瞳の色の名前は思い出せるのに、彼女が何者なのかは思い出せなかった。
「……分かりません。
本当にあなたは私の知っている方なんですか?」
「じゃあ、あなたの家を回って、他に思い出すことがないか試してみましょう。
私が先に行くから、あなたは後からついてきてくれる?」
「……分かりました」
彼は納得いかなかったものの、彼女について歩き始める。
彼女は彼のことをよく知っているようで、彼の家の中をためらうことなく進んでいく。
次々と現れるすべてのものが彼の中の情報を呼び起こすが、彼女につながる情報は見付からない。
「……ここがスタジオで、そのカメラの使い方は分かるよね?」
「分かります」
「じゃあ、試しに一枚撮ってみてくれる?」
彼女はさっさと言ってスクリーンの前に置かれたアンティークのイスに座った。
「ほら、さっさと撮って」
「あ、はい」
彼は彼女を客だったのだろうかと思いながら、カメラの状態を確認して三脚でカメラの高さを調節し、光量や光線の向きなども加減して準備を整えていく。
彼女のことは何一つ思い出せないのに、カメラの使い方や写真の撮り方はすべて思い出せる。
ただ、彼女が何者なのかということだけすっぽり抜け落ちているような感じだった。
「……では、撮りますからレンズを見て笑ってください」
「こう?」
「はい、良いですね。後ちょっとだけあごを引いてもらえるともっと良いです」
「……こう?」
「はい。
では……、撮りますね」
彼は彼女に手で合図をしてからシャッターを切った。
シャッターを切る瞬間も彼女のことを何か一つでも思い出せればと思っていたのだが、相変わらず何も思い出せなかった。
「……じゃあ、どこも異状はないみたいだし、そろそろあなたの両親に会いに行きましょう」
「え? 写真は良いんですか?」
「ええ、あなたの腕が確かなことはよく分かったから」
「?」
彼はわけが分からなかったが、彼女が今までずっと彼を試していたらしいということだけは理解できた。
「ちょっと待ってください。あなたは本当に何者なんですか? なぜ私を確かめたりするんですか? そんなに私の家の中を知ってるなんて、私の家族じゃないんですか?」
彼はもうスタジオを出ていこうとしている彼女に呼び掛けた。
そして、急いでカメラと照明の電源を切って、再び彼女の後を追う。
「教えてください。あなたは本当に何者なんですか? 本当は、私が思い出さないことを怒ってるんじゃないんですか?」
「そう思う?」
先を歩いていた彼女が急に振り向いた。一瞬だけだったが、思っていた以上に強い視線で彼は一瞬ひるんだ。
「……ち、違うんですか?」
「考えてみて」
「…………」
「まあ、どっちにしろもうすぐ分かるから、今は黙ってついてきてくれる?」
「……分かりました」
「じゃあ、行くよ」
「……はい」
彼女は再び歩き始めて、彼も黙って後に続いた。
一瞬だけ彼に見せた気配は跡形もなくなっていたものの、彼は彼女についての推理を根本からやり直した。彼女が彼の家族でないとしたら、彼女は何者なのか。
でも、彼が結論に至る前に、彼女は再び彼に声を掛けた。
「……ここがどこか分かる?」
「……私が最初にいた自分の部屋です」
「そう。
さっきは立ってたけど、今度はベッドに横になって目をつぶってくれる?」
「え! 私の両親に会うんじゃないんですか?」
彼はひどく驚いたように叫んだ。分かりやすいくらいに驚いた顔をしていて、同じくらい取り乱している。
「何思い出してるの?」
「……あ、あなたには関係ありません」
「そう……。
でも、ベッドに横になって目をつぶってくれないと、あなたの両親に会えないよ?」
「は?」
「いいから横になって」
「……はい」
彼は彼女に押し切られるようにしてベッドに横になった。
彼女が言った言葉の意味を尋ねてみたかったが、逆に彼が思い出したことを尋ねられてしまいそうな気がした。
「じゃあ、目をつぶって黙って聞いててくれる?」
「分かりました」
「まず、最初に言っておくけど、私はあなたの知ってる相手じゃないの」
「え?」
「あなたは私のことを知ってる相手だと思ってたけど、私はあなたの知ってる相手じゃない。
それに、ここもあなたの部屋だけどあなたの部屋じゃないの」
彼の反応を無視して、彼女は子守歌を歌うように語った。
「あなたも私も生きているけど、生きていない。
ここは夢のようで夢でない場所。
あなたが最初に会う相手は私じゃなくてあなたの両親。
誕生おめでとう」
彼が目を開けると、彼女の姿はなかった。
彼女の記憶は温かな朝方の夢のように消え、彼の両親の顔が見えた。
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本文中ではわざとぼかしましたが、ロボットものです。
とはいえ、ロボット以外の存在を含めた“生まれる前の出来事”として、もっと一般化して読んでいただければと思います。
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(07/05/11 制作、08/12/01 再修正)
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