崩壊する現代社会
さとう じゅん
何故?私たちは今日ここに生きているのか?
私がタイドを始めるきっかけになった要素の一つがこの「何故?」の問いかけだ。人類が積重ねた歴史とここ20年−
30年の間に起きている現象を見てみよう。高度経済成長期の70年代、バブル景気の80年代、情報化社会の90年代を経て、2000年を直前に私たちを取巻く社会環境は、今後どのように変化していくのだろうか。またどのように変化すべきでしようか。次の世代(30年間)に緊急に必要とされる課題とは何だろう。私たちの世代に顕著に現れてきたのが、「競争社会の原理」・・・それは弱者を生み出す冷たい社会である。東西の対決が解けて、私たち自由主義社会がかかえこんだ新たな「冷たい戦争」なのだ。私たちは自らの社会の中に「戦争」をかかえこんでしまったのだ。
「人」という字の意味?
物理的、力学的に一本の線あるいは棒が立ち続けることは至難の業である。漢字の「人」の字はうまく表現したものである。二つの要素があって初めて立つことができる。動物で立って行動するのは人類だけだ。「人」の「ノ」の部分を男性その対を女性、(もちろん逆もよいが)と見てみるのもいい。もう少しだけ深いレベルで考えていくと「現代社会は個人の能力の競い合い」から「助け合い、支えあい」のようにとらえるのである。
私を産んでくれた母がいる(いた)。
父がいる(いた)。
住む場所がある。
朝ご飯たべた。
仕事がある。
友達と電話で話した。
懐かしい人から手紙がきた。
家族がいる。
これで「充分すぎる幸せ」を手にしていると謙虚に考えた方が正解だと思う。やたらうわべの知識やテレビに頼る生活ばかり続けていると活字やメディアの作りあげる仮想世界に迷いこんでしまう。本当に気をつけたほうがいい。一般に知識人と呼ばれる人の発言にも聞き分ける耳をもつことが大事である。
親友の死
18年間つきあった親友クリフォードを96年12月に脳梗塞で亡くした。木曜日の夕方訃報を受け金曜日にサンフランシスコに発った。彼の母、ベギィと抱き合い言葉にならない弔慰を伝えた。私の親友は死んでも微笑んでいた。簡素な祭壇にはまるで彼になりすました愛用のギターが飾られてあった。私がクリフと出会ったのはキャンプ座間(神奈川県座間市)で行われたフェアーだった。それからずっと親友だった。苦しい時も、もちろん楽しい時も・・・・。葬式の翌日、悲しみにひたってばかりいれないと思い、地元ライオンズクラブが主催するホームレスのためのフードステーションに出かけた。七面鳥のお腹に野菜をつめこんで口ーストする作業を延々とやった。7000人分のフルコースディナーが手際よく作り出されていった。大ホールに並んだテーブルにナイフ、フオーク、ナプキンをならべた.マットには地元の小学生がホームレスの人達にとクレヨンで描いたマットが置かれた。死はいつ訪れても不思議ではないと肌で感じることが出来た。限りある命の意味を汲み取り、役目をわきまえてまっとうせねば、私たちは経済社会の荒海で人間の仮面をつけたオバケにしかすぎないのだ。
競争社会がもたらすもの
極論に近い言い方になるが漱石の時代にイギリスから日本に持ち込まれた「個人主義」の概念が「利己主義」に変化し、戦後復興、高度経済成長の追いつき追い越せの「実力主義」がもたらしたのは紛れもなく今日の「競争社会」であり、顕著なのが現在のアメリカ社会だ。89年のベルリンの壁の崩壊に象徴される東西の巨大国家による冷戦の終結はさらに加速化したいい意味、悪い意味で「アメリカ化」を世界中で招いている。「国際化」という曖昧モコとした言葉をつきつめて、簡単に言い換えると「アメリカ化」ということになる。この「アメリカ化」はこれから私たちの身の周りにどんな社会現象となって現れるのだろうか?ここに私たちが特に注意すべき数字がある。一体、教科書やマスコミ、新聞で聞かされてきたアメリカンドリームと言われる煌びやかな響きとは対極に位置する荒廃した社会が今のアメリカ社会、最も進んだ「競争社会」で起きている現実なのだ。これらはいかなる宗教でも救われない事実なのだ。タイムマガジンや政府、教育省U.S.
Department of Educationの発表している数字である。
●26秒に一人の子どもが家を出る。
●40%の子どもが18才になるまでに親の離婚を体験する。
●17才以前の性体験は50%でその内30%が避妊し、毎年10万人以上が出産する。10代の妊娠まで加えると毎年100万人、そのうち出産するのが50万人。現在アメリカで生れる子どもの25%は結婚以外の関係からである。
●毎年4000人の子どもが幼児虐待、子育ての放棄が原因で死亡。
●アメリカにおいて30%の新生児が法律上の父親をもっていない。イギリス、フランスも同じ数字で最悪なのはスエーデンで何と50%である。日本は1%で先進国の中では一番まともなのである。
●89年アメリカで両親により重傷の幼児虐待を受けた子どもの数は17万人。96年は57万人。
●アメリカの高校卒業生の20%と大人の20%は読み書きができない。
この事実を裏付けるように、97年4月27日、フィラデルフィアでに風変わりなサミットがあった。政策の主義主張を超えて現大統領のクリントンと前ジョージ・ブッシュらが
湾岸戦争のコリン・パウエルを仲介者に仕立て、将来の若者のための山積した課題に取り組むきっかけとなるサミットを開いたのである。これほど現実はすさんでいるのだ。
THE PRESIDENTS' SUMMIT FOR AMERICA'S FUTURE FACT SHEET
When: April 27-29, 1997
Where: Philadelphia, Pa. - Convention Center, Independence Hall, and various
sites
Convened by: President Bill Clinton, former President George Bush
Chairman: Gen. Colin Powell (retired)
Co-chairman: Henry Cisneros, former Secretary for Housing and Urban Development
Vice Chairman, Caring
Adults and Mentors Task
Force: Thomas M. McKenna, National Executive Director, BBBSA
Sponsors: Points of Light Foundation and Corporation for National Service
Contact: Viola W. Bostic, ANED for Marketing & Communications, BBBSA
http://www.bbbsa.org
アメリカで起きている社会現象は必ず5年後私たちの町で起こる現象なのだ。必ず起こる。家族の崩壊、麻薬の問題、性の問題、幼児虐待は強者が弱者を一方的にコントロールする「競争社会」のフィルターを通すと目から鱗が落ちるようによく理解できる。
世の中には様々な役割を担う組織がある。幼稚園から学校、会社、地域社会・・・。しかし家庭が崩壊したら、元も子もないのである。週刊誌の見出しなどで「母親が女に戻る時」とか一見洒落た、映画のセリフのようなフレーズを耳にするがモンゴルのテントに住む遊牧民が聞いたら理解に苦しむのに違いない。新しいガールフレンド、ボーイフレンドと言って数年毎にパートナーを取換えていては「子供たち」はたまらない。何を心の拠り所にして生きていくのか?その子どもが大きくなり親と同じ事を繰返す、とり返しのつかない社会になってしまう。盲目的に欧米社会を追いかけるのはもうそろそろやめたほうがいい。
私を長年支えてくれた欧米の友人達は家庭を大切にする人達ばかりであったが、大都市に行かなくたってカリフォルニアの小さな田舎町の小学校のPTAからも、「虐待された子供たち」の話をいとも簡単に聞くことができるのはショックである。大事なのはこの現実の教訓だ。私たちの周りがそうなってほしくない。大人の勝手で次の社会の世代を担う子ども達を犠牲にしてはいけないと思う。
社会全体のシステムの見直しが必要
私がタイドでこれから取組む大きな柱はまず、この「犠牲者たち」である。タイドにも虐待された若者がいる。もの分かりが悪いと、兄弟に包丁で切付けられ瀕死の重傷を負った青年。歌が大好きな女性は、ウォークマンを聞きながら通りを歩いていて、石を投げつけられた。人口3万の小さな町での話である。被害者はともかく、問題は加害者である。この人たちは、暴力や罪をくりかえし、やがてそれが神戸で起きたような重大な犯罪を生み出していくから複雑なのだ。そして「少年法」などと権利を主張する様になる。このこと(犠牲者)を思い出したり、話したりする度に本当に悲しくなる。怒りを通り越した悲しみ、崩壊する現代社会のやりきれなさがある。
(97.6)
Child Abuse
Statistics/ Prevalence of Child Abuse in America
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